沖縄集二編 上 (おきなわしゅう2へん)

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概要・解説文

『沖縄集(おきなわしゅう) 二編(にへん)』上巻 (全 上下2巻の内)  宜湾朝保(ぎわん・ちょうほ) 編 (1876年刊) 解説

 『沖縄集 二編』(以下、「二編」)は、琉球王国で最初に刊行された和歌集『沖縄集』の続編(≒第二編)です。和歌というのは、五・七・五・七・七で詠まれる定型詩で日本(≒大和文化圏)伝統の公式文学です。俳句や近代短歌の原型となった文学としても重要です。『沖縄集』が琉球王国時代を通して名人とされる36人の歌人の歌を一首づつ収録したのに対し、「二編」は朝保の同時代人の歌を選んでまとめた本です。

 琉球王国で最初の和歌集でありながら琉球王国末期に成立したというのは奇妙な感じがしますが、そこには様々な理由が考えられます。一つには、和歌は当時の「日本」の文芸であり、琉球王国には「琉歌」という独自の文芸があったことです。
 琉歌は、八・八・八・六音で構成される定型詩で、和歌や漢詩と異なり、踊りと密接な関係にあることが特徴とされています。琉球の政治家・文人らにとって和歌の勉強が必要だったのは、主に外交使節として江戸を訪問する際に和歌・漢詩などの文芸で親交を温めていたためです。琉球国内では琉歌によって十分に文学的コミュニケーションがとれていたのです。

 ところが琉球独自の文芸である琉歌の文集の編さんについては意外に少ないことが知られています。これは、琉歌が「詠む(≒読む)」というより「歌い踊る」ものであるためだと考えられています。歌い踊るのは口承(こうしょう)芸能であり、書写する文化とは距離があるからです。また漢詩や和歌が中国や当時の「日本」で公式の文学として皇帝・天皇らの認める公式文芸とされていたのと異なり、琉歌は公式の文芸ではなかったのです。

 「二編」をまとめたのは『沖縄集』同様、琉球王国を代表する政治家・文人である宜湾朝保(1823~1876)です。朝保は琉球王国が解体され明治日本の一部とされる時期に国政を担った政治家です。難しい局面に立たされながら琉球王国が琉球藩となることを受け入れる決断をし(1872年)、のちに琉球の多くの人々の非難を受け、晩年は門を閉ざして暮らしたとされています。
 こうした朝保にとって和歌は自身の心をなぐさめるものでしたが、同時に政治家としての朝保は和歌を琉球の未来をよりよいものとする道具と捉えていたと考えられます。朝保とその仲間たちは薩摩藩の文人らと盛んに歌会(うたかい)を開いて、親交を温めているからです。この「二編」がそれら歌会で詠まれた薩摩・琉球の歌人らの歌を収録したものであることは朝保自身の序文に書いてあります。
 激動の時代を見据えていた朝保にとって、琉球の人々の最も賢明な未来は、琉球王国が明治日本の一部となることであり、明治政府の中心になる薩摩藩士らと親交を深めることによって開かれる、ということだったとみられます。花鳥風月を愛(め)で、のどかに世の中を賛美する「二編」の歌を詠むとき、琉球の明るい未来を夢見た朝保の心が見えてくるようです。

 「二編」は和歌集の規範である『古今和歌集』(905年成立)にならい、四季の歌、恋、その他という構成を取っています。この上巻は春夏秋冬の歌を繊細に時系列に沿って並べています。温帯に属する日本・本州と共通の季節感が琉球にあったわけではないですが、和歌は想像(≒空想)の世界に遊ぶ性格の強い文学であるために不思議に芸術作品として成立していると評されています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年)※項目「沖縄集」「宜湾朝保」「八田知紀」ほか参照。
 ※項目「思出草」(大内初夫・担当)では県立図書館本を盛命自筆の原本としているが、のちに池宮論文(2002年 下記)などにより蕉雨亭=護得久朝常による筆写本であると考えられるようになった。
『近世沖縄の肖像』(上・下)(池宮正治 著 ひるぎ社 おきなわ文庫 1982年)
 ※全編にわたって『沖縄集』に収録されている政治家・歌人の多くの伝記が収録されている。
『近世沖縄和歌集』(池宮正治ほか編 ひるぎ社 1990年刊)
 ※『沖縄集』の解説、活字化、注釈が掲載されている。続編である『沖縄集 二編』や朝保の個人和歌集である『松風集(しょうふうしゅう)』についても同様に掲載されている。
ほか

○調査ノート
・琉歌集の編さんについては、琉歌の母体となったとされる歌謡を集成した『おもろさうし』(1623年)はあるものの、純粋な琉歌集となるとわずかに『琉歌百控(りゅうか・ひゃっこう)』(1795~1802年成立)や、楽譜仕立ての『屋嘉比工工四(やかび・くんくんしー)』(1750年頃成立)などが残るだけで、多くの琉歌は口伝えで明治以降に集大成されて次々と刊行されているという状況です。
・一方、漢詩集は早く1725年に、程順則(てい・じゅんそく)らにより『中山詩文集(ちゅうざん・しぶんしゅう)』が刊行され広く読まれました。東アジア文化圏では漢文が共通の文化でしたから、程順則ら琉球王国の外交の担い手は、琉球王国の文化力を内外にアピールする目的もあり、漢詩文集刊行を盛んに行っていたのです。

(鶴田大)
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