御三代伊江親方日々記 [写本] [嘉慶19年より21年まで] (ごさんだいいえうぇーかたひにっき)

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概要・解説文

『伊江親方日々記(いえ・うぇーかた・ひにっき)』(六) 解説

 『伊江親方日々記』(=以下「伊江日記」と記す)は、伊江親方朝睦(ちょうぼく 1731?~ ? )が記録した日記です。「親方」とは「按司(あじ)」に次ぐ地位で、「按司」は国王・王子に次ぐ地位で、どちらも国政を担う有力士族です。「伊江日記」は、役人時代の職務日記から引退後の個人日記を合わせて7冊・32年間(=1784~1816年。ただし途中、欠けた部分あり、実質・約18年分)にわたる日記です。朝睦は「三司官(さんしかん=国王を補佐し、実質的に国政を動かす役職)」として尚穆王(しょう・ぼく・おう)時代から尚温王(しょう・おん・おう)時代にかけて1782~1801年の20年間にわたり活躍しました。特に法律の整備や林業の振興に活躍したことが知られています。

 琉球王国時代には多くの日記が書かれ、その一部が現存しています。しかしそのほとんどは役人などが公的な立場で、仕事上の出来事を記したものがほとんどで、個人的な日記としてまとまったものは非常に少ないとみられています。この「伊江日記」は、そのほとんどが役人を引退したあとの朝睦の個人日記なので、その意味でこの日記は当時の士族の私的な生活・文化を知る上で非常に貴重なものです。しかも朝睦は「三司官」を勤め、引退後も首里王府において重要な位置に居た人物でしたから、公的な歴史に現れない琉球王国の裏面史(りめんし)をうかがうという意味でも貴重です。
 朝睦自身が書いた原本は失われおり、曽孫(ひまご)・朝彬(ちょうりん)が1861年当時に、現存していた日記を書き写したものがこの本です。

 ところで「伊江家」というと、琉球王国が琉球藩として「日本」の一部となることを決断した摂政(せっしょう≒国王の代理)・伊江朝直(ちょうちょく)の「伊江按司家(いえあじけ)」が有名です。しかし「伊江日記」の記録者・朝睦の「伊江親方家」はそれとは異なる家です。どちらも王家に連なる家ですが「伊江親方家」の家譜(かふ=系図などの記録)が失われたため両家の関係は不明です。「伊江」という呼び名は領地である伊江島によるものですが、領地替えによる呼び名の変更など、士族の領地や呼び名は実に複雑ですので、ここでは省きます。

 この第6冊には嘉慶(かけい)19年(1814)から同21年(1816)の3年間にわたり記されています。三司官を引退してからすでに10年以上が経っていますが、私生活の記述に混じって薩摩藩の人々との公的・私的交流が頻繁に行われていることが記述されています。こうした記述は、公的な史書からは知ることの出来ない情報として、注目されています。
 現在もそうですが、国同士・集団同士が緊張関係にあるときも、個人的には国や集団の境界を越えて親密な交流が行われる、ということが琉球王国と薩摩藩の間にもあったことがうかがわれます。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊) 
※項目「伊江親方日日記」、「伊江朝睦」、「伊江島」、「伊江朝直」、「親方」、「按司」等、参照。
『沖縄県史 資料編7』(沖縄県 1999年刊) ※『伊江親方日々記』の写真版・活字版 掲載あり。
「宝庫からのメッセージ」(展覧会図録 琉球大学附属図書館ほか編 2010年刊) 
ほか

(鶴田大)
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