雪堂燕遊艸 (せつどうえんゆうそう)

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概要・解説文

『雪堂燕游草(せつどう・えんゆうそう)』程順則(てい・じゅんそく) 著 解説

 琉球を代表する政治家・文人である程順則(1663~1735)が、1696年に外交使節として中国を訪問した際に自身が作った漢詩文を集成した漢詩集が『雪堂燕游草』(1698年刊)です。1698年に中国で刊行された原刊本(げんかんぽん≒初版本)は現存せず、1714年に当時の「日本」であらためて刊行された木版本が現存し、この県立図書館の本もその一つです。『雪堂燕游草』の雪堂とは順則の雅号(がごう≒ペンネーム)で、燕游とは燕京(えんきょう=都である北京の雅名(がめい))へ旅する、という意味です。琉球王国を通して最高の漢詩集の一つとされる個人漢詩集です。程順則が同時代の代表的な文人らの詩文や詩集を集大成して刊行した漢詩集『中山詩文集(ちゅうざんしぶんしゅう)』(※1725年に中国で刊行)にもこの『雪堂燕游草』が収録されています。順則自身も自負を持った詩集だったのでしょう。

 順則は同時代の中国を代表する文人で外交使節として琉球を訪れた徐葆光(じょ・ほこう)との親交や、江戸時代を通して最大の政治家・文人と言われる近衞家熙(このえ・いえひろ)との親交で知られ、また、『六諭衍義(りくゆ・えんぎ=中国・明朝の初代皇帝の六つの道徳的教訓を解説した本)』を中国から当時の「日本」へ伝え、その和訳本が江戸時代の寺子屋(てらこや≒私塾)の教科書として広く普及したことでも知られます。また、『雪堂燕游草』は当時の「日本」でも読まれ、薩摩藩の公式の絵師で江戸時代を通じても著名な画家である木村探元(きむら・たんげん)も「雪堂燕游図」という題名で絵を描いたことが知られています。(※この絵は、現在は所在不明となっています。)

 『雪堂燕游草』の冒頭の一首は「瓊河発棹(けいが・はっとう)」という詩で、この詩を程順則自身が大書した漢詩の掛け軸が県立図書館に所蔵されています(→資料ID1003004064)。この書は、『雪堂燕游草』の第一首めの有名な詩であるという意味でも、作者の自筆本という意味でもかけがえのない価値を持っています。瓊河とは琉球の人々が中国へ渡航する際に中国の窓口となる福州にある河で、人々はこの河をさかのぼり、さらに陸路を延々と旅して中国の都である北京へ向かうのです。「瓊河発棹」とは瓊河をさかのぼる船の棹(さお)を動かし、都へ旅立つ、という意味です。中国を訪れた多くの琉球の人々が瓊河から燕京を目指す際に自作の「瓊河発棹」の詩を詠んできました。現在でも琉球王国の人々の足跡を辿ろうと、福州を訪れる多くの人々がこの程順則の「瓊河発棹」詩を口ずさむのです。

 漢詩の内容は「皇帝の居る北の都をさして、今、瓊河を船でさかのぼっていく。船は色とりどりの文様や絵で飾られている。都のある北を望むと雨や露で前方がかすんでおり、長い旅路を予感させる。ここから帆を上げて風を送り燕京へと旅するのだ。私たちは船ばたを叩きながら、河岸で見送る人々と声を合わせて太平歌(たいへいか)を歌う。」というような内容です。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)※項目「程順則」「雪堂燕游草」ほか参照。
『校訂本 中山詩文集』(上里賢一 編 九州大学出版会 1998年刊) 
『琉球漢詩の旅』(上里賢一 選・訳 茅原南龍 書 琉球新報社 2001年刊)
『閩江のほとりで』(上里賢一  沖縄タイムス社・タイムス選書Ⅱ 2001年刊)
ほか

(調査ノート)
○『雪堂燕游草』は1698年に中国・福州で刊行されたが現存しない。1714年に当時の「日本」で瀬尾源兵衛(せお・げんべえ)によって刊行された本が確認される刊行本で、この本もその際のもの。
○『雪堂燕游草』には順則が燕京からの帰路に、父・泰祚(たいそ)の墓参りをした際の詩「姑蘇省墓(こそせいぼ)」も掲載されています。泰祚は1673年に外交使節として北京へ行きましたが、帰路、蘇州において病没しました。
○沖縄では今も、人があの世へ逝くことを「唐旅(とうたび)」と呼ぶことが伝わっています。唐(とう、から)は王朝が変わっても伝統的に中国の呼称です。琉球王国当時、中国へ行くことは命がけのことで、多くの人が琉球へ帰ることなく旅中に命を落としました。琉球・福州間の航海には海賊船や荒天(こうてん)に襲われる危険があり、さらに福州・燕京間の旅は山賊や様々な自然の脅威にさいなまれる長い旅路でした。順則の父も外交使節として訪れた中国で病いにより客死(かくし)した一人です。
○この本には表紙に「琉球 程寵文(てい・ちょうぶん)集 鐵齋(てっさい) 題」とあります。程寵文は程順則のことです。寵文は順則の字(あざな≒本名以外につける通称のこと)です。鐵齋(≒鉄斎)は幕末~明治・大正期に活躍した画家・文人である富岡鉄斎(1836~1924)のことです。この本は鉄斎の旧蔵本としても歴史的意義を持つ貴重書です。

(鶴田大)
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