沖縄対話 [下] (おきなわたいわ)

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概要・解説文

沖縄県庁刊  「沖縄対話 下巻」 解説

 かつて琉球王国であった沖縄が、1872年の琉球藩設置から1879年の沖縄県設置により完全に明治日本の一部となった動きに合わせて、沖縄県民の明治日本の「国民」化教育が始まりました。『沖縄対話』は、共通語(≒標準語、大和口(やまとぐち))を教えるためにつくられた最初の教科書です。沖縄県学務課が編さんし、1880(明治13)年12月に発行されました。この本は、1882(明治15)年10月以降に改訂された第三版以降の本の下巻です。(第三版以降の上巻は県立図書館には所蔵されていません。)

 内容には、ごく日常的な言葉や会話がとりあげられました。たとえば、「月(ツキ)・ツチ」、「日(ヒ)・テーダ」、「頭(アタマ)・チブル」、「今日ハ、誠ニ長閑(ノドカ)ナ天気デ、ゴザリマス ・ チューヤ、マクトニ、エーテンチ、デービル」(※(  )内は本文にふられたフリガナ)というように、共通語と方言(首里方言)の対訳が並記されていました。当時は、小学校だけでなく創設当初の師範学校(=戦前・戦中の教員養成学校)でも使われたということです。今でいう、外国語の実用書のようなもので、生徒たちはこれを朗読して共通語を習得していきましたが、それは「同化教育」(どうか・きょういく≒子供たちに伝統的なアイデンティティを伝えずに、天皇を中心とする「大日本帝国」の国民としての意識を植え付けること)の始まりを意味するものでもありました。

 ウチナーグチ(琉球方言、沖縄語)の問題はその後、1939~1940 (昭和14~15) 年頃には柳宗悦(やなぎ・むねよし)ら民藝(みんげい)運動一行の沖縄訪問をきっかけに「標準語問題」として大きな論争を巻き起こしました。県民の標準語教育を急ぐ県学務部と、方言の重要性を唱える柳らとの論争は県内の識者や東京に居た歴史家・東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん)らまで巻き込んでいきました。
 現在は、行き過ぎた標準語化運動は沈静化したかに見えますが、逆にウチナーグチの消滅危機が大きな問題となり、また母語の尊厳の問題は、英語教育と国語教育のバランスの問題へと連なっています。
そもそも「首里方言」が多くの琉球・沖縄の人々からすると日常語=母語とはズレのある言葉でした。「母語」とは何かを考えさせる問題でもあります。また、日本各地の全ての人々にとって「標準語」は自分の日常語=母語ではなく、近代国家の成立~標準語を規定するという流れの中で、国内の人々と対話するために習得した言語であったことも忘れてはならないことでしょう。

(鶴田 大)

詳細解説文

 全2冊のうち、この第2冊(下巻)には第六章~第八章の遊興(ゆうきょう)、旅行、雑話(ざつわ)、名詞の各部が収められています。再版までは第七章まででしたが「雑話」が加えられて、日常会話習得の実際的な内容になっています。全体に渡って周到に学校教育で学ばせたいことがらや道徳を織り込みながら例語・例文を集成しています。農之部では農業とはどういうものか、どうあるべきかを紹介するような内容になっています。標準語教育であると共に社会教育書としての面も持っていることがうかがわれます。

 2009年、沖縄方言(≒沖縄本島中南部方言)はユネスコによって日本語の方言の一つではない独立した「沖縄語」と規定されました。同様にいわゆる「琉球方言」とされてきた奄美方言(→「奄美語」)、国頭方言(くにがみ・ほうげん ※本島北部方言→「国頭語」)、宮古方言(みやこ・ほうげん ※宮古諸島方言→「宮古語」)、八重山方言(→「八重山語」)、与那国方言(よなぐに・ほうげん ※与那国島方言→「与那国語」)も独立した言語と規定されました。そして、いずれも「消滅の危機にある言語」とされています。
 言語の分類は政治的な意図を含むことが多く、分類自体が非常に困難なものとされていますが、これらの言葉が持つ文化的な価値を認めることは、「日本」文化の多元性(たげんせい)や近隣文化との近似性を認識するためにも、より一層重要になっていると考えられます。

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1983年) 「沖縄対話」「会話伝習所」「方言取締令」「方言札」「方言撲滅運動」「方言論争」各項目。
『沖縄対話』(復刻版 沖縄県庁編 国書刊行会 刊 1975年) ※解題は付されていない。
『教養講座 琉球・沖縄史』(新城俊昭 著 編集工房東洋企画 刊 2014年)
 pp.230-232 「学校教育の普及」参照。

(調査ノート)
・沖縄県立図書館にはこの本のほか、『沖縄対話』の再版本の上巻(上下2巻(全2冊)のうち)が所蔵されている。
・明治日本においては「標準語」を習得するためのテキストとして、1880 (明治13) 年に『沖縄対話』が沖縄県庁(学務部)により作成された。
・本書はその第三版以降(1882年の再版本以降)の本で、章立てが再版までと大きく異なる。再版までは上巻冒頭にあった「名詞」が下巻の末尾に移動され、また新たに「雑話」が加えられて全体で全7章から全8章になっている。
初版と再版の章立てを記すと次の通り。
(上巻)第一章 名詞、第二章 四季、第三章 学校、第四章 農、
(下巻) 第五章 商、第六章 遊興、第七章 旅行
この第三版以降の本の章立ては次の通り。
 (上巻 ※県立図書館に未所蔵) 第一章~第四章の内容は四季、学校、農、商とみられる。(下巻)第五章~第八章は順に遊興、旅行、雑話、名詞
教則本として使用してから使い勝手を考え改訂がなされ、また内容の増補充実が図られたのだろう。
・明治政府発足当時、書き言葉の標準は漢文。話し言葉は東京(江戸)や京都の言葉が一応の標準語のような役割を果たしていたが、ほとんどの国民の話し言葉はそれぞれの地域の「おくにことば」であり、その言葉は互いに意思を伝え合うことが困難なほど異なっていた。
このような「方言問題」は全国的な問題であったが、特に沖縄の話し言葉は独特で、現在でも国際的に「沖縄語」と認められている通り、日本「本土」(本州、四国、九州及び周辺離島)の各地の方言とは大きな隔たりがあった。
・しかし「その言葉は失われればその文化が失われる」と広く云われる通り、地域の言葉は地域文化の中核としての意義を持つ。標準語運動は明治日本各地の人々が互いにコミュニケーションを取るために必要なものである一方、方言の衰退(≒地域文化の衰退)を促す面もある。そこに「方言問題」のむつかしさがある。
・ただし言語分類は時代によってどんどん変化する。調査研究の結果、正確になっているという面もあると考えられるが、言語学や、ユネスコが定める言語分類においては、実際には多分にその時代における政治的な意図が背景に存在すると考えられるので理解する際には注意を要する。
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