改正官員録 [明治15年] (かいせいかんいんろく)

ヘルプ閉じる

貴重資料ビューワーの操作

操作ボタンの説明

資料のタイプに応じて、表示するボタンの種類が変わります。


ページ切替

資料のページを切り替えます。

先頭のページ/最後のページ、前のページ/次のページ、ページ番号指定
などの基本的なページ切替操作をします。

ページ数表示

ページ切替操作の際に、ビューワー画面の右下に、現在のページ数/総ページ数が表示されます。
一定時間が過ぎると自動的に非表示になります。

ズームボタン 資料画像のズームボタンです。最小サイズ/最大サイズの切替をします。
中央に表示 資料画像をビューワーの中央に再配置します。
スクリーンサイズ切替 資料表示部のサイズを切り替えます。最大サイズの場合、右側の書誌情報エリアが非表示になります。
スケールスライダー マウスドラッグ操作で、資料画像のサイズを無段階調整します。
ページ選択 多数のページを持つ資料に表示されます。一定数ごとにページを切り替えることが出来ます。
翻刻資料を表示 くずし字で書かれた原文を楷書体に置き換えた「翻刻資料」のページを表示します。


マウスの操作について
クリック
  • 資料の前後ページ切替(右クリックは使用しません)
ダブルクリック
  • 単ページ/見開きの表示切替
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替
ドラッグ
  • 資料画像の表示位置移動
  • ダイアログウィンドウの表示位置移動(ダイアログ:このウィンドウなど)
マウスホイール
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替


解説文、その他の詳細情報

解説文などのタブについて
タブの説明
資料によって、解説文の他に詳細な説明を掲載している場合が有ります。表示されるタブの種類は資料ごとに変わります。
資料解説・概要文 貴重資料に関する主な説明・概要文が表示されます。※資料解説の末尾に記載されている氏名は、資料解説の執筆者名です。
詳細解説文 さらに詳しい詳細な説明文、資料に関する情報などが表示されます。
参考文献・調査ノート 資料の解説文作成の際に参考とした資料や、その他の情報が表示されます。


推奨動作環境

  • Internet Explorer 7以上
  • Firefox 3以上
  • Safari 4以上
次のページ
前のページ
0 /
画像を読み込んでいます…

  • 概要・解説文
  • 参考文献・調査ノート

概要・解説文

『改正官員録 全』(=「官員録」)明治15年(1882) 解説

 

 「官員録」とは明治時代前半期(明治元年~明治20年代)の公務員名簿です。「官員録」は当初、明治政府の内部文書として作成され、すぐに民間出版者による多種多様な「官員録」が刊行されていきます。 
 混乱する時代にあって、多くの国民が明治政府に陳情(ちんじょう=公的機関などに実情を訴えて改善を求めること)を行いましたが、その際に陳情先の情報を「官員録」が提供していたからです。(※「官員録」は明治19年以降「職員録」と名称変更され政府から刊行されますが、民間による「官員録」という名称での刊行も明治26年頃まで続いたとされます。)

 

 「官員録」は本来、実用的な記録でしたが、現在では重要な歴史資料です。全体として、明治維新の中心であった薩摩藩(≒鹿児島県)や長州藩(ちょうしゅう・はん≒山口県)出身の人々が明治新政府の中心となって活躍した様子が具体的にうかがえます。

 

 また各府県の官員名簿をみると、知事をはじめ他府県出身者が多く、(日本)政府の中央集権体制がすでに確立していたことがわかります。戦後しばらく(1945年~)までは「おくに(御国)は?」といえば、「日本」ということではなく「どの地域の出身ですか?」という意味でした。「官員録」は地域性を喪失しながら近代化を進める明治国家の姿を映しています。とりわけ琉球・沖縄は、明治前期に琉球王国解体~沖縄県設置(1879)の過程にあり、「官員録」はその激動の歴史の一端を証言しています。
 
 この明治15年(1882)版は東京の出版者によって刊行されたものです。名簿は太政大臣・左大臣・右大臣・参議(さんぎ)という伝統的な役職名で始まります。また各人名のところに「山口」「鹿児島」等の注記があり、京都の公家(くげ)を除けば、明治維新の中心である薩摩藩・長州藩出身者がそのまま政府の中心となっていることがわかります。(「東京」とあるのは東京のことで、すでに多くの薩摩・長州出身者が東京に住んで東京出身とされているので出身地がややわかりづらい点があります。)
 「官員録」は中央政府の名簿に続いて地方官の名簿が続きますが、その末尾付近には「沖縄県」が記されています。いわゆる「琉球処分」(りゅうきゅう・しょぶん 明治5年に琉球藩設置、明治12年に沖縄県設置)によって明治4年(1871)の廃藩置県に遅れて設置されました。   
 前年に引き続き、2代県令(けんれい≒県知事)・上杉茂憲(うえすぎ・もちのり 山形県出身)の名が記され、県の要職には他府県人の名前に混じって豊見城盛綱(とみぐすく・せいこう)、護得久朝常(ごえく・ちょうじょう)ら沖縄県出身者の名前も次第に増えてきています。  
 県内各地の従来の「番所(ばんしょ)」は「役所」と名称が変更されています。明治政府体制に組み込まれた沖縄県の行政に次第に沖縄県出身者が大きな役割を担うようになっていく様子がうかがわれます。
 また「沖縄県」に続き、新たに設置された「札幌県」「根室県」が記され、かつてアイヌ民族が部族国家を営んでいた北海道地域が明治政府の管理下に入ったことを示しています。(※北海道に設置されたもう一つの「函館県」はこの本の前半部分に記載があります。これらの県は明治19年に北海道庁が設置されて消滅します。)

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考資料)
『国史大辞典』(全17冊 吉川弘文館 )※項目「官員録」「廃藩置県」「明治維新」等の項目参照。
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス 1981年)
「ジャパン・ナレッジ」WEB版 総合辞典サイト
ほか

(鶴田大)

しばらくお待ちください