混効験集 (こんこうけんしゅう)

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概要・解説文

『混効験集(こんこうけんしゅう)』首里王府(しゅりおうふ) 編(1711年)、護得久朝常(ごえく・ちょうじょう) 再編 肉筆本(にくひつぼん) 一冊 解説

 『混効験集』は1711年に琉球王国の首里王府が初めてまとめた国語辞典です。宮廷で古くから使われている言葉が失われていくのを惜しむ尚貞王(しょう・てい・おう)の命(めい)のもとで、松村按司朝睦(まつむら・あじ・ちょうぼく ※按司は首里王府の官位名)らが実務の中心となってまとめられました。古くから伝わる「琉球語」を当時の「日本」の言葉で説明する、という形式をとっています。言葉の収集には宮廷で働く女官(にょかん)らが活躍したようです。当時、首里王府では王国の正史『中山世鑑(ちゅうざん・せいかん)』(1650年成立)、『中山世譜(ちゅうざん・せいふ)』(1724年基本部分成立。中山世鑑の改訂版であり、琉球王国末期の1876年まで書き継がれた)がまとめられ、王国としての文化的なアイデンティティが確立していく状況にありました。またこれに先立つ1623年にはすでに琉球最古の歌謡集『おもろさうし』がまとめられていましたが、『混効験集』はこの『おもろさうし』で使われている古語の意味を解説する辞典という意味合いも持っていました。
 『混効験集』は『おもろさうし』などにみられる古い琉球の母語を読み解き、その意味を現在に伝える貴重な辞書となっています。

 県立図書館にある『混効験集』は明治時代に護得久朝常により再編集された本です。現在伝わっているいくつもの肉筆本の中ではかなり新しい本で、文献学(ぶんけんがく≒同種の多くの本が伝える様々に異なる内容を調査して本の系統を分類し、さらに当初の原本の姿を探る学問分野)的にはあまり大きな意味は持っていません。原本やそれに近い本が掲載している言葉を「草木」「衣服」など分野別に並べて収録しているのに対し、県立図書館の本はそれらの言葉を「いろは順(≒現在でいうあいうえお順)」に並べ替えている点が注目されるというくらいです。
 しかし、表紙裏や末尾にみられる「蕉雨亭(しょううてい)」「護得久朝常」などの記述は別の意味で非常に大きな意味を持っていました。明治時代から始まる近代的な歴史研究において長年、不明であったこの「蕉雨亭」という雅号(≒ペンネーム)の人物が、この本にある記述から、王国時代末期の政治家・文人である護得久朝常であると判明したからです。「蕉雨亭」という筆名は県立図書館に所蔵されている『思出草(おもいでぐさ)』(1699~1700成立 識名盛命(しきな・せいめい)著)という肉筆本にも筆記者名として記されています。このため識名盛命の雅号が「蕉雨亭」であり、県立図書館の『思出草』は盛命自筆の原本だと考えられたりしていたのです。また、その後に調査された『浮縄雅文集(うきなわ・がぶんしゅう)』(1700~1800年代の王国時代の名文の一部を集成した文集)という肉筆本にも筆記者名として「蕉雨亭」という雅号が記されていて『浮縄雅文集』の編者とみられる「蕉雨亭」という人物が誰なのか、長年、不明とされてきたのです。
 一般に本は本文内容が重要と思われがちですが、表紙や末尾の書き入れから、思わぬことが判明することもあるのです。この『混効験集』の「蕉雨亭」「護得久朝常」という書き入れが、県立図書館所蔵の貴重な肉筆本である『思出草』や『浮縄雅文集』についての精確な情報を提供してくれることとなったのです。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年)※項目「混効験集」「護得久朝常」「思出草」「識名盛命」「浮縄雅文集」ほか参照。
 ※項目「思出草」(大内初夫・担当)では県立図書館本を盛命自筆の原本としているが、のちに池宮論文(2002年 下記)などにより蕉雨亭=護得久朝常による筆写本であると考えられるようになった。
『近世沖縄の肖像』(上・下)(池宮正治 著 ひるぎ社 おきなわ文庫 1982年)
 ※上巻に識名盛命の伝記が掲載されている。識名盛命は『混効験集』編さん時の首里王府の三司官(さんしかん≒国王を補佐して国政を担う行政官)の立場にあり、「調査ノート」に記した通り、明治以降、沖縄を代表する歴史家の間で『混効験集』の実質的な執筆者だと考えられていた。
「毛起竜(識名盛命)『思出草』:翻刻と注釈」(池宮正治  「日本東洋文化論集」(8) 琉球大学 2002年)
 ※『思出草』の活字化・注釈を中心に、『浮縄雅文集』を含む琉球・和文学について幅広くふれている。また県立図書館本『思出草』の表紙にある「蕉雨亭」=護得久朝常であることを詳細に述べている。さらに盛命が『混効験集』の中心的編者や『おもろさうし』の注釈者とされていたいきさつが詳細に述べられている。
『混効験集 校本と研究』(外間守善  角川書店 1970年刊)
 ※『混効験集』を活字化し注釈を付けている。
ほか

(調査ノート)
○『おもろさうし』は首里王府が王国各地に古くから伝わる歌謡(≒各地で行事や祭などの際に作られ歌い継がれた歌で、日常語≒母語で歌われた)は文学的遺産ですでに編さん時点(1623)でかなりの意味がわからなくなっていました。『混効験集』は当時の宮廷の言葉と共に『おもろさうし』に登場することばの解説も多く記載されていて、現在も『おもろさうし』解読・鑑賞のための最重要史料となっています。
○『混効験集』については、『思出草』の著者である盛命がすぐれた文人として高く評価されたために起こった奇妙なエピソードもあります。真境名安興(まじきな・あんこう)、伊波普猷(いは・ふゆう)、東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん)ら、近代沖縄の歴史学者らの間では『混効験集』を実際にまとめた中心人物や、『おもろさうし(1531~1623年に原型がまとめられた琉球最古の歌集)』に注釈を付けた人物が盛命であると信じられていたのです。盛命の教養に対する高い評価に加え、おそらく様々な伝承などを根拠にした説であったと考えられます。その後、様々な資料が出現し、研究が進むにつれ国政を担う三司官(さんしかん)の立場にあった盛命がそのような実務を行った史実はなかったとみられるようになりましたが、盛命の文人としての評価の高さをうかがわせるエピソードです。
○この本は本来は「混効験集」の筆写本(ひっしゃぼん)の一種とされる本ですが、実際には筆記者によって大きく再編集されている本なので、ひとまづ「肉筆本」としました。
○この本の表紙裏には「護得久朝常大人(たいじん≒立派な、尊敬すべき人)自筆」と記述があり、旧蔵者の歴史家・東恩納寛惇の花押(かおう=文様化した署名)があります。寛惇が花押を使用する例は少ないので、今後、東恩納寛惇文庫関係の資料を調査する際にこの花押も貴重な資料となります。

(鶴田大)
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