砂糖座日記 [写本] (さとうざにっき)

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概要・解説文

※タイトルには〔写本〕とありますが、現在、「写本」とは通常、実際には筆〔またはペンなど〕で写した、いわゆる肉筆本を指します。本資料は肉筆本ではなく、機械的な複製〔≒複写本〕であり、「複写本(または複製本)」と呼ぶのが適当と思われます。筆で書かれていた王府時代の原本が、近代になってペン〔万年筆など〕で筆写され、それがさらに機械式複製による複写本に起こされたということです。

『砂糖座旧記(さとうざ・きゅうき)』〔1827年~1831年の記録〕は琉球王朝時代の首里王府の組織である、砂糖座の記録です。製糖業は現在でも沖縄の重要な基幹産業ですが、当時も琉球国の重要な産業でした。本資料は琉球国時代の原本を近代になって複写したものですが、原本が失われた現在では、当時の砂糖座の活動を伝える貴重な資料となっています。類似の資料に『砂糖座日記』〔1813年~1816年の記録〕があります。こちらも原本は失われており、近代の複写本ながら、やはり貴重な資料となっています。

ガンジス河流域が原産とも言われる甘蔗〔かんしょ=サトウキビ〕はかなり古い時代に中国へ伝わり、やがて琉球に伝わりました。その後、琉球での製糖が開始されたようですが、文献上では1429年〔※尚巴志(しょう・はし)の時代〕にさかのぼることが知られています〔『李朝実録』〕。その記録内容によれば、当時、琉球国から朝鮮国へサトウキビから作った甘味料が贈られていたようですが、現在の砂糖〔黒糖〕とは異なり、液糖だったとみられています。
現在のような砂糖〔黒糖〕の生産が琉球国で開始されたのは1623年とされています。この年、儀間真常〔ぎま・しんじょう 1557~1644〕が中国へ使者を派遣して製糖法を習い、帰国後、その製糖法を琉球各地へ伝えたと儀間真常の家譜(かふ)に書かれているからです。〔※儀間真常は、野国総監(のぐに・そうかん)が中国から伝えたとされる甘藷〔かんしょ=サツマイモ〕の栽培を広めたことでも知られます。砂糖・サツマイモはそれぞれ琉球国の代表的な換金(かんきん)作物・救荒(きゅうこう=飢饉用)作物となり、琉球国の社会・経済に大きな変化をもたらしました。〕
こうした製糖業開始の背景には、この時期、琉球国は財政難におちいっていた事情があります。1609年の薩摩侵攻の後、琉球国は薩摩藩の間接支配を受け、納税の義務を負うことになりました。財政が苦しくなった琉球国は、おそらく薩摩藩の指示を受けるなどして、中国から技術移入を行ない製糖業が開始されたとみられます。
製糖業を管轄した砂糖座の設置は1654年です〔※史料により1662年という記述あり。1654年が実質的な設置、1662年が正式な設置とみられている〕。製糖業開始〔1623年〕から砂糖座設置〔1654年または1662年〕までに時間差があるのは、当初は自由だった砂糖の売買を、首里王府の専売制に改めるのに時間がかかったためです。
砂糖は換金商品として、薩摩藩を通してまたたく間に当時の日本に広く流通しました。そして、その利益は琉球国や薩摩藩にとって重要な財源となったのです。1639年に徳川幕府が海禁〔≒鎖国〕政策を採り、海外からの砂糖の輸入が途絶えたことは、その利益を決定的なものとしました。

本資料『砂糖座旧記』は砂糖座で毎日書かれていた記録そのものではなく、何らかの目的に沿って編集された、砂糖座の記録の抜き書き〔抄録〕とみられています。本文の内容から、砂糖の品質向上の要点を関係各機関に周知徹底させる目的で作成された文書と考えられています。1829年〔丑年〕の3月17日の書簡では、当時、すでにヤマトの各地で砂糖生産が始まっている様子、大阪の砂糖市場でそれらが売買されるようになり、琉球の砂糖の値段が相対的に下がっている様子を詳しく伝えており、それに対して琉球の砂糖や砂糖運搬用の樽の品質を上げる方策が具体的に挙げられています。

先述の『砂糖座日記(にっき)』〔1813年~1816年の記録〕は本資料『砂糖座旧記』〔1827年~1831年の記録〕よりやや早い時期の資料ですが、やはり特定の目的のために砂糖座の記録を抜き書きした史料とみられています。内容から、当時、横行していた砂糖の盗難や密貿易の防止策を関係諸機関に周知・徹底させることが目的で作成されたと考えられています。両資料の記述内容の比較によって琉球の糖業の時代変遷をうかがうことが出来ます。
(鶴田大)

詳細解説文

・本資料は、沖縄県立図書館の特殊文庫である山下久四郎文庫に収蔵されています。山下久四郎(1901~1982)は三重県出身。民間で糖業関係の仕事を務めたのち、大正~昭和初期にかけて沖縄県の嘱託職員として糖業関係の勤務に関わった人物です。本資料の冒頭の「識語(しきご)」にある通り〔※後述〕、その際に県庁糖業課で『砂糖座日記』『砂糖座旧記』をペンで筆写した本をみつけて、これを複写したが、元の本が戦災で焼けたため、複写本が内容を伝える貴重な史料となったということです。山下氏はのちに「日本砂糖日報」「日本菓糖新聞」社長などを歴任しました。〔※本デジタル書庫の「特殊文庫」の説明文なども御参照ください。〕
・本資料が山下久四郎文庫の中核資料として沖縄県立図書館の所蔵になった経緯については、名嘉正八郎氏の論考〔『砂糖座日記』※参考文献一覧 参照〕に次のように記述されています。
「〔前略〕一九七四年、私は沖縄関係糖業資料を収集するため上京した際、谷川健一氏の紹介により山下久四郎氏宅を訪ね、糖業の史料群に出会った。本史料は、その一冊である。〔中略〕その後、山下氏へ県立図書館に寄贈されるよう交渉して、氏の快諾を得た。当時の館長大城宗精氏と上京、山下久四郎文庫を設置する条件により、三百点余の沖縄関係糖業史料を寄贈していただいた。〔中略〕沖縄県立図書館の山下久四郎文庫は沖縄糖業史の研究に欠くことのできない、唯一の原史料となった。」
・本資料の元となった資料〔※『砂糖座旧記』のペン書きの肉筆写本。琉球国時代の毛筆の記録〈=原本〉をペンで書き写したと考えられる写本。戦災で亡失〕が発見された経緯は、本資料の冒頭の毛筆の識語(しきご)によって知られます。元・所蔵者である山下久四郎の手になる記述です。そこには①1956年十月14日に東京の山下邸を沖縄出身の糖業関係者(または研究者)である沢岻安永(たくし・あんえい)氏が訪れたこと。②山下氏が沖縄県の嘱託職員〔注:大正~昭和初期頃〕として糖業関係の業務中に糖業課書庫で発見した『砂糖座日記』『砂糖座旧記』の写本を複写したが、それらが各々二冊あること。③沖縄は戦災〔1945年〕でほとんどの糖業資料を失ったから、沢岻氏へ『砂糖座日記』『砂糖座旧記』の複写本を一冊づつ贈る。沖縄糖業の発展のために活用してほしいこと。・・・おおまかに以上の3点について書かれています。
「此の砂糖座旧記の復本を澤岻安永君に左記の記念文を書いて贈呈す。
     昭和三十一年十月十四日
昭和三十一年十月十四日(一九五六・一〇・一四)
澤岻安永君 拙宅に来駕。砂糖文庫をつぶさに見学さる。砂糖座旧記と砂糖座日記の二本あり。而も復寫本各二本あり。
此の二本は余が沖縄県糖業に関する嘱託拝命中に、現地視察見学旅行中に、県糖業課書庫内にて之れを発見し 技師 新里順正君より拝借して寫本とす。今日、沖縄県は戦禍を蒙りて殆んど糖業に関する資料を喪失す。
幸にして 余が持てる砂糖文庫の蔵書の内、余部あるを以って君に之れを贈り、沖縄糖業発展の為めに参考資料として活用されん事を祈る。
 一九五六年十月十四日
       東京都文京区駒込浅嘉町七八
                       山下久四郎 〔印:久四郎〕 」
・現在、沖縄県立図書館に所蔵されている「砂糖座旧記」諸本は複製を含め、次の3冊です。〔※諸本の名称は仮のものです。また下記の諸本以外にマイクロ資料があります。〕
①『砂糖座旧記』山下久四郎文庫本・・・大正~昭和初期に山下久四郎が、当時、沖縄県庁糖業課にあった筆写本を機械式に複製した複写本。冒頭に山下自身による毛筆の識語がある。※資料番号:1005905789
②『砂糖座旧記』山下久四郎文庫本〔カラー複製本〕・・・山下久四郎文庫本のカラー複製を県立図書館にて作成したもの。※資料番号:1004154058
③『砂糖座旧記』沢岻安永〔糖業文庫〕本の複製本・・・沢岻安永〔糖業文庫〕本を県立図書館にてモノクロ複写して作成した複製本。沢岻安永〔糖業文庫〕本とは、沢岻氏が山下氏から1956年に寄贈を受けた本で、山下久四郎文庫本と同じく、大正~昭和初期に山下氏が作成した複写本。それを後年〔1956年以降〕に県立図書館にて作成したのが、この複製本。沢岻安永〔糖業文庫〕本自体の所在は未確認。冒頭部分にある、沢岻氏への譲渡の経緯を記した、山下氏自身による毛筆の識語(しきご)の文言が、山下久四郎文庫本の識語と少し異なる。※資料番号:1002259966

山下氏は、戦災で殆どの琉球国時代の資料を失った沖縄県の糖業関係の蔵書家(あるいは研究者)・沢岻氏に、沖縄県における糖業史研究の進展を願って貴重な複写本二冊〔『砂糖座日記』・『砂糖座旧記』〕を贈呈したとみられます。

〔鶴田 大〕 

参考文献・調査ノート

(参考文献など)
・『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1983年刊)
 ※「砂糖座日記」「砂糖座旧記」「砂糖座」「儀真真常」「サトウキビ」その他の項目参照。「砂糖座旧記」〔名嘉正八郎氏執筆〕については記録の年代を1839年~1842年としているが後に1827年~1831年に訂正している〔※『沖縄・奄美の文献から見た 黒砂糖の歴史』など〕。
・『沖縄・奄美の文献から見た 黒砂糖の歴史』〔名嘉正八郎 ボーダーインク 2003年〕
 ※琉球・沖縄の糖業史をライフワークの一つとした著者が多くの研究成果を元に琉球国時代から近現代沖縄の砂糖生産の歴史について史料の出典も示しながら平易に述べた内容。『砂糖座日記』『砂糖座旧記』についてはp.65~78にかけて「『砂糖座日記』『砂糖座旧記』に見る黒糖」という項目を設けて記述している。また、本資料の収蔵されている、沖縄県立図書館内の特殊文庫である山下久四郎文庫についても巻末に「山下文庫について」として詳述している。〔※「山下文庫について」は『沖縄県立図書館要覧』(1976年度)所収分の転載。〕
・「『砂糖座日記』解題」〔名嘉正八郎 『沖縄県立博物館紀要』第5号(1979) 所収。〕
 ※『砂糖座日記』の解説と、沖縄県立図書館所蔵の『砂糖座日記』〔複写本〕の全ページの影印〔えいいん≒画像〕が掲載されている。『砂糖座旧記』については解説でふれられるのみで、影印は掲載されていない。また、「砂糖座旧記」の記録年代を1839年~1842年としているが後に1827年~1831年に訂正している〔※『沖縄・奄美の文献から見た 黒砂糖の歴史』など〕。
・「『砂糖座日記』」〔名嘉正八郎 『沖縄県史研究紀要』創刊号(1995年)所収。〕
 ※『砂糖座日記』の解説と、その活字〔翻刻〕化された全文が掲載されている。『砂糖座旧記』については解説でふれられるのみで、活字化はされていない。また、「砂糖座旧記」の記録年代を1839年~1842年としているが後に1827年~1831年に訂正している〔※『沖縄・奄美の文献から見た 黒砂糖の歴史』など〕。
・『那覇市史 資料篇 第1巻7〔家譜資料(三)首里系〕』〔那覇市企画部市史編さん室 編刊 1982年〕
 ※琉球糖業史上で大きな足跡を残した儀間真常〔p.583~584〕や、その孫で初代の砂糖奉行となった儀間真時〔p.585〕の事跡について掲載している。
・『球陽』〔「原文編」「読み下し編」全2冊。鄭秉哲ほか原編、球陽研究会・編 角川書店 1974年刊〕
 ※首里王府の正史の一つである球陽の全文〔原文・読み下し文〕を掲載。尚質王十五年(1662年)に正式に砂糖奉行が置かれた記事など、琉球糖業史に関わる記事が多数掲載される。
・『近世地方経済史料』〔全10巻 小野武夫・編 1932年 近世地方経済史料刊行会・刊〕
 ※近世の日本各地の農村史料を集成したもの。第9~10巻は「琉球産業制度資料」として土地・農業・山林・などの各制度の資料を収録している。『砂糖座日記』『砂糖座旧記』を補いつつ、その内容の解明の手がかりとなる資料として重要。『近世地方経済史料』全10巻としては1969年に吉川弘文館から再刊されている。
・『那覇市史 資料篇 第1巻2』〔那覇市企画部市史編さん室 編・刊 1970年〕
 ※『琉球館文書(りゅうきゅうかんもんじょ)』を収録している。『琉球館文書』は鹿児島にあった琉球国の出張所である琉球館の文書を集成した史料。全212通のうち、30通余が糖業関係資料。原本は琉球大学仲原文庫にある。『近世地方経済史料』などと共に『砂糖座日記』『砂糖座旧記』を補いつつ、その内容の解明の手がかりとなる資料として重要。
・『阿久根の古文書』〔黒神嘉樹・編 阿久根市図書館 1971年〕
 ※江戸時代末期頃の薩摩藩の海商・河南(かわみなみ)家の文書を掲載している。河南家は、琉球国や奄美諸島から鹿児島への砂糖の運輸の中心となった海運業の家。運送費や運送時のトラブルなどが詳細に記載されている。『近世地方経済史料』『琉球館文書』などと並び、『砂糖座日記』『砂糖座旧記』の内容を補いつつ、その内容の解明の手がかりとなる重要な史料。
〔鶴田 大〕
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