使琉球紀 [写本] (しりゅうきゅうき)

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概要・解説文

『使琉球紀(し・りゅうきゅう・き)・中山紀略(ちゅうざん・きりゃく)』張学礼(ちょう・がくれい) 著「筆写本(ひっしゃぼん)」 全1冊 解説

 琉球王国では、国王が代替わりする際に中国皇帝の使者として冊封使節(さっぽう・しせつ)が琉球王国を訪れました。冊封使節とは、新国王即位を認め祝う使者のことです。この使節の正使または副使によって書かれたのが「使琉球録(し・りゅうきゅう・ろく)」と呼ばれる一連の本で、この本もその一つです。

 明朝(みん・ちょう)~清朝(しん・ちょう)の中国は1300年代~1800年代の約500年にわたり、東アジア・東南アジア諸国のまとめ役の位置にありました。このため各国王は中国皇帝に対して形式的に臣下の立場をとり、国王即位の際には中国皇帝の使者による承認(≒冊封 さくほう、さっぽう)を必要としました。     

 「使琉球録」が中国皇帝への公式の報告書かどうかは議論がありますが、近年は、公式文書ではないとの見方が広がっています。しかし歴代の「使琉球録」が琉球王国を知る最重要資料であることに変わりはありません。当時においても中国宮廷では次の冊封使節の際に備えて保管されたでしょうし、また中国国内ではそれらが木版本として出版され広く読まれました。さらにその出版物が当時の「日本」へ渡り、改めて「日本」で刊行されたものもあります。それらの本は中国・「日本」へ琉球王国に関する多くの情報を提供しました。
 琉球への冊封使節は、三山時代(さんざん・じだい=琉球に南山・中山・北山の三つの王国が並立した時代)の1300年代から、統一琉球王国最後の王・尚泰(しょう・たい)に対する1866年まで25回ほど訪れています。その中で現存する「使琉球録」は1534年~1866年の13回分です。1683年からは、それまでの軍事部門等から選ばれていた正使らが、翰林院(かんりんいん=公式文書や歴史書などを作成・管理する部署)から選ばれるようになり花やかな文化外交が繰り広げられます。
 「使琉球録」の内容は、本により様々ですが、主に旅の行程や儀式の記録、琉球の社会・文化の調査内容などです。

 『使琉球紀・中山紀略』は1663年、尚質王(しょう・しつ・おう)の冊封使節の正使として来琉した張学礼による「使琉球録」です。1664年の序文があるこの本は清朝初の「冊封使録」として重要な本ですが、大まかに二つの特色が知られています。一つは著者である張学礼が軍事部門の官僚であることとそれに付随する史実です。明朝が滅び、清朝が中国全体を統一する過程にあったこの時期、清朝中国と琉球の間には政治的緊張がありました。琉球は明朝の残存勢力との政治関係を維持しつつ清朝と外交関係を構築してきたからです。しかし張学礼はこの冊封の儀式を滞りなく行い、その後、清朝と琉球の安定的な外交関係が樹立されるのです。琉球王らがこの時、着用していた明朝の冠服(かんぷく)を、張学礼は黙認したと見られています。
 もう一つは張学礼が「使琉球録」の内容を旅行記(=「使琉球紀」)と、琉球社会・文化の調査内容(=「中山紀略」)に分けて、それぞれの記述を充実させたことです。従来は琉球に関する誤った情報を正すという消極的な意味合いを持っていた「使琉球録」がこれ以降、より充実した内容を持つようになるのです。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

 (参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)※項目「趙新」「冊封使(さっぽうし)」など参照。
『趙新 続琉球国志略』(原田禹雄 訳注 榕樹書林 2009年刊)
『使琉球録解題及び研究』(夫馬進 編 京都大学文学部東洋史研究室 1998年刊)
『冊封使』(沖縄県立博物館 編 沖縄県立博物館友の会  1989年刊)
『清代使琉球冊封使の研究』(曾煥棋 著 榕樹書林 2005年刊)
ほか

(調査ノート)
○これまで「使琉球録」は一般に「冊封使録(さっぽう・しろく)」と呼ばれていましたが、実際には朝鮮国や安南国(あんなん・こく≒ベトナム)を訪問した冊封使節による記録もあるため、それらと区別するために「使琉球録」と呼ばれるようになっています。(※室町幕府は明朝中国により「日本国王」とされていましたが、その後の戦国時代~秀吉による朝鮮侵攻を経て関係が悪化し、江戸時代を通して中国との国交は絶えたままでした。)
※詳細は参考文献に挙げた『使琉球録解題及び研究』参照。
○この本の表紙には「張学礼使録」という独自のタイトルが書かれていますが、この本の本来の名称は二編の編名を併記する『使琉球録・中山紀略』という複合的なものです。
○張学礼の『使琉球紀・中山紀略』は単独で刊行した原刊本(げん・かんぽん=最初に刊行された本)が現存しておらず、『説鈴前集(せつれい・ぜんしゅう)』(1705年・序)という本に収録されているものが最も原刊本の姿に近いとされています。
○この本の末尾には「明治42年」に「上野図書館」(≒現在の国会図書館)の本を筆写したという記述があります。この「上野図書館」本について詳細は不明ですが、「康煕甲辰」(こうき・きのえ・たつ=1664年)の序文を持つことから、上述の『説鈴前集(せつれい・ぜんしゅう)』か、その筆写本とみられます。
○この本を筆写したのは東恩納寛惇とみられますが、寛惇も、何度も刊行された様々な『使琉球紀・中山紀略』の中で、最善本(さいぜんぼん=最も原型を伝える本)と判断して「上野図書館」本を筆写したと考えられます。

(鶴田大)
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