使琉球記 前巻・後巻 (しりゅうきゅうき)

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概要・解説文

『使琉球記(し・りゅうきゅう・き)』李鼎元(り・ていげん) 著 (1802年序文) 全1冊(全6巻分) 解説 

 琉球王国では、国王が代替わりする際に中国皇帝の使者として冊封使節(さっぽう・しせつ)が琉球王国を訪れました。冊封使節とは、新国王即位を認め祝う使者のことです。この使節の正使または副使によって書かれたのが「使琉球録(し・りゅうきゅう・ろく)」と呼ばれる一連の本で、この本もその一つです。

 明朝(みん・ちょう)~清朝(しん・ちょう)の中国は1300年代~1800年代の約500年にわたり、東アジア・東南アジア諸国のまとめ役の位置にありました。このため各国王は中国皇帝に対して形式的に臣下の立場をとり、国王即位の際には中国皇帝の使者による承認(≒冊封 さくほう、さっぽう)を必要としました。     

 「使琉球録」が中国皇帝への公式の報告書かどうかは議論がありますが、近年は、公式文書ではないとの見方が広がっています。しかし歴代の「使琉球録」が琉球王国を知る最重要資料であることに変わりはありません。当時においても中国宮廷では次の冊封使節の際に備えて保管されたでしょうし、また中国国内ではそれらが木版本として出版され広く読まれました。さらにその出版物が当時の「日本」へ渡り、改めて「日本」で刊行されたものもあります。それらの本は中国・「日本」へ琉球王国に関する多くの情報を提供しました。
 琉球への冊封使節は、三山時代(さんざん・じだい=琉球に南山・中山・北山の三つの王国が並立した時代)の1300年代から、統一琉球王国最後の王・尚泰(しょう・たい)に対する1866年まで25回ほど訪れています。その中で現存する「使琉球録」は1534年~1866年の13回分です。1683年からは、それまでの軍事部門等から選ばれていた正使らが、翰林院(かんりんいん=公式文書や歴史書などを作成・管理する部署)から選ばれるようになり花やかな文化外交が繰り広げられます。
 「使琉球録」の内容は、本により様々ですが、主に旅の行程や儀式の記録、琉球の社会・文化の調査内容などです。

 『使琉球記』は1800年、尚温王(しょう・おん・おう)の冊封使節の副使として来琉した李鼎元による「使琉球録」です。初版は1802年頃ですが、この本は表紙裏に「申報館(しんぽうかん)」という出版者名があり、光緖(こうしょ)年間(1875~1908)の刊行本とわかります。
 李鼎元は生没年不明の清朝中国の政治家・文人です。詩人として特に有名で琉球にも多くの詩文を残す一方、琉球の文人らと協力して琉球語辞典『球雅(きゅうが)』(非現存)をまとめたことが知られています。
 この本は全編、日付入りの日記体で書かれた点が特徴的で、旅の行程や儀式の日程などを詳細に伝える貴重な記録とされています。1800年10月29日の箇所には16隻もの海賊船に襲われた記事があり、その様子が詳しく記されています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)※項目「李鼎元」「冊封使(さっぽうし)」など参照。
『李鼎元 使琉球記』(原田禹雄 訳注 榕樹書林 2007年刊)
『使琉球録解題及び研究』(夫馬進 編 京都大学文学部東洋史研究室 1998年刊)
『冊封使』(沖縄県立博物館 編 沖縄県立博物館友の会  1989年刊)
『清代使琉球冊封使の研究』(曾煥棋 著 榕樹書林 2005年刊)
『東恩納寛惇全集』5 (琉球新報社 編 第一書房 1978年刊)
 ※p.576~578「李墨荘とその周囲の人々」参照

(調査ノート)
○これまで「使琉球録」は一般に「冊封使録(さっぽう・しろく)」と呼ばれていましたが、実際には朝鮮国や安南国(あんなん・こく≒ベトナム)を訪問した冊封使節による記録もあるため、それらと区別するために「使琉球録」と呼ばれるようになっています。(※室町幕府は明朝中国により「日本国王」とされていましたが、その後の戦国時代~秀吉による朝鮮侵攻を経て関係が悪化し、江戸時代を通して中国との国交は絶えたままでした。)
※詳細は参考文献に挙げた『使琉球録解題及び研究』参照。

(鶴田大)
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