松風集 (しょうふうしゅう)

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概要・解説文

宜湾朝保(ぎわん・ちょうほ)『松風集(しょうふうしゅう)』解説

 

 朝保(1823-1876) は琉球王国最後の三司官(さんしかん=国王を補佐する政治上の最高責任者)で、同時に琉球王国最大の文化人の一人としても知られます。和歌(現在の短歌の元)に熱心で薩摩藩の歌人らと歌会(うたかい)をたびたび開催し、王国時代で最も花やかな和歌文芸の時代を現出しました。
 和歌は日本(大和文化圏)の公式の文学でしたから、朝保には、純粋に文学を愛好する情熱とともに、明治新政府の中心となる薩摩藩の人々との親交を温め、新時代の琉球(沖縄)をよりよいものにしたいという政治家としての使命感もあっただろうと考えられます。

 この『松風集』は出版された琉球・沖縄最初の個人和歌集としても知られる貴重なものです。
明治23年(1890年)、後輩の歌友・護得久朝置(ごえく・ちょうち)らの尽力で、東京で発刊されました。
 『松風集』には「紅葉如酔(もみじ、ようがごとし)」という題の有名な歌、
「くみかわす まどいの外の紅葉まで 酔いの盛りと 見ゆる今日かな」
 (大意:祝宴で酒を酌み交わしていて、ふと見ると、外の紅葉まで酒に酔ったように赤みを増して、めでたい今日を祝っているようだ)
も掲載されています。この歌は朝保が維新慶賀使(いしん・けいがし=明治維新を祝う琉球使節)として江戸へ行き、その歌会で即興のお題に答えた有名な歌です。

 

 王国時代の琉球の文人たちは、一般に漢詩・琉歌・和歌を修めていました。ですからその語学的・文学的素養はたいへんなものでした。
 母語(ぼご=日常語)文学である琉歌が多くの人々に親しまれていたことは当然として、和歌文学集がまとめられたのが、現存する歌集を見る限り、漢詩集成立よりはるかに遅く、王国時代も末期に集中していることは意外という感じもします。
 中国からの移住者である久米村系士族らが琉球の政治・文化に深く影響を及ぼしていたことはあるとしても、言語的にみると母語(=沖縄語、琉球方言)と「やまとことば」(=日本語、本土方言) は、中国語と比べはるかに近いものです。しかし日本本土が温帯地域であるのに比べ琉球地域は亜熱帯という大きな異なりもあります。

 あれこれ考え合わせると、琉球の文人らにとって、広大な大自然をおおらかに描く漢詩文を作ることは比較的容易であり、言語的には同じグループに属する「やまとことば」による表現とはいえ、植物を中心に微妙な四季の移ろいを描写する和歌文学はなじみづらいものだったのかも知れません。   

 琉球王国を日本の一部である琉球藩へと移行させ、結果的に琉球王国を消滅させてしまった政治責任者とされた朝保は多くの批判を浴び、寂しい晩年を送ったとされます。文芸とその仲間たちは朝保にとって大きななぐさめとなったことでしょう。

 

(鶴田大)

詳細解説文

宜湾朝保(ぎわん・ちょうほ)『松風集(しょうふうしゅう)』解説(詳細版)

 

 朝保(1823-1876) は琉球王国最後の三司官(さんしかん=国王を補佐する政治上の最高責任者)で、同時に琉球王国最大の文化人の一人としても知られます。和歌(現在の短歌の元)に熱心で薩摩藩の歌人らと歌会(うたかい)をたびたび開催し、王国時代で最も花やかな和歌文芸の時代を現出しました。
 和歌は日本(大和文化圏)の公式の文学でしたから、朝保には、純粋に文学を愛好する情熱とともに、明治新政府の中心となる薩摩藩の人々との親交を温め、新時代の琉球(沖縄)をよりよいものにしたいという政治家としての使命感もあっただろうと考えられます。

 

 この『松風集』は出版された琉球・沖縄最初の個人和歌集としても知られる貴重なものです。
 明治23年(1890年)、後輩の歌友・護得久朝置(ごえく・ちょうち)らの尽力で、東京で発刊されました。朝保が亡くなってからすでに14年が経っていました。県立図書館にある朝保自筆の『朝保集』は『松風集』のもととなった歌集の一つです。
 『松風集』には「紅葉如酔(もみじ、ようがごとし)」という題の有名な歌、
「くみかわす まどいの外の紅葉まで 酔いの盛りと 見ゆる今日かな」
 (大意:祝宴で酒を酌み交わしていて、ふと見ると、外の紅葉まで酒に酔ったように赤みを増して、めでたい今日を祝っているようだ)
も掲載されています。この歌は朝保が維新慶賀使(いしん・けいがし=明治維新を祝う琉球使節)として江戸へ行き、その歌会で即興のお題に答えた有名な歌で、絵を添えて掛け軸になった自筆の書が県立図書館にあります。

 

 王国時代の琉球の文人たちは、一般に漢詩・琉歌・和歌を修めていました。ですからその語学的・文学的素養はたいへんなものでした。
 中国の公式文学である漢詩ははやくから詩集がまとめられ刊行されていました。程順則(てい・じゅんそく1663-1734)の個人詩集『雪堂燕遊草(せつどう・えんゆうそう)』(1698年、中国で刊行。中国版は現存せず、1714年に日本で刊行された本が県立図書館に収蔵されている)や、同じく順則が琉球の文人20数名の漢詩をまとめた『中山詩文集(ちゅうざん・しぶんしゅう)』(1725年)などが知られます。
 琉歌については、本来的に「詠む」よりも「歌う」文学であるため「書写」されるケースが少なかったと考えられ、出版状況は不明な点が多いですが、屋嘉比朝寄(やかび・ちょうき 1716-1775)編の『屋嘉比工工四(くんくんしー)』(成立年不明)、『琉歌百控(りゅうか・ひゃっこう)』(三巻 1795-1802頃成立)などがまとめられています。
 母語(ぼご=日常語)文学である琉歌が多くの人々に親しまれていたことは当然として、和歌文学集がまとめられたのが、現存する歌集を見る限り、漢詩集成立よりはるかに遅く、王国時代も末期に集中していることは意外という感じもします。
 中国からの移住者である久米村系士族らが琉球の政治・文化に深く影響を及ぼしていたことはあるとしても、大和文芸である能楽(のうがく)から深い影響を受けた組踊(くみおどり)は早く玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん1684-1734)らによって大成されており、また和歌を文中にちりばめた和文学(わぶんがく)である『苔の下』・『貧家記(ひんか・き)』などを書いた平敷屋朝敏(へしきや・ちょうびん1700-1734)らがいるからです。

 

 しかし琉球一帯が亜熱帯に属し、日本本土一帯が温帯に属するということなど様々な要素を考え合わせると、漢文さえ学べば、広大な大自然をおおらかに描くことの出来る漢詩文の世界は琉球の文人らにとって比較的親しみ易く、言語的には母語(=沖縄語、琉球方言)と同じグループに属する「やまとことば」(=日本語、本土方言) による表現とはいえ、植物を中心に微妙な四季の移ろいを描写する和歌文学はなじみづらいものだったのかも知れません。   
 とはいえ、和歌は元々、京都に居る平安貴族が、行ったこともない東北地方などの名所(=歌枕・うたまくら)を詠むような空想の世界に遊ぶという性格も持っていました。
朝保たち和歌の歌人たちは想像の世界に遊びながら、そこに自分の心情を託し、多くの和歌を詠んだのでしょう。

 

 なお、現存する琉球・沖縄の和歌集としては最も古い『沖縄集』(おきなわしゅう 1876年=明治9年刊)をまとめたのも朝保です。
 琉球王国を日本の一部である琉球藩へと移行させ、結果的に琉球王国消滅の責任を問われた朝保は多くの批判を浴び、寂しい晩年を送ったとされます。文芸とその仲間たちは朝保にとって大きななぐさめとなったことでしょう。

 

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『宜湾朝保 沖縄近世和歌集成』(池宮正治 解説  1984年)
『琉球の五偉人』(伊波普猷・真境名安興 著 1916年刊)
『近世沖縄の肖像』(上下二冊 池宮正治 おきなわ文庫 1982年) ほか

 

(鶴田大)

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