中山詩文集 上巻 (ちゅうざんしぶんしゅう)

ヘルプ閉じる

貴重資料ビューワーの操作

操作ボタンの説明

資料のタイプに応じて、表示するボタンの種類が変わります。


ページ切替

資料のページを切り替えます。

先頭のページ/最後のページ、前のページ/次のページ、ページ番号指定
などの基本的なページ切替操作をします。

ページ数表示

ページ切替操作の際に、ビューワー画面の右下に、現在のページ数/総ページ数が表示されます。
一定時間が過ぎると自動的に非表示になります。

ズームボタン 資料画像のズームボタンです。最小サイズ/最大サイズの切替をします。
中央に表示 資料画像をビューワーの中央に再配置します。
スクリーンサイズ切替 資料表示部のサイズを切り替えます。最大サイズの場合、右側の書誌情報エリアが非表示になります。
スケールスライダー マウスドラッグ操作で、資料画像のサイズを無段階調整します。
ページ選択 多数のページを持つ資料に表示されます。一定数ごとにページを切り替えることが出来ます。
翻刻資料を表示 くずし字で書かれた原文を楷書体に置き換えた「翻刻資料」のページを表示します。


マウスの操作について
クリック
  • 資料の前後ページ切替(右クリックは使用しません)
ダブルクリック
  • 単ページ/見開きの表示切替
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替
ドラッグ
  • 資料画像の表示位置移動
  • ダイアログウィンドウの表示位置移動(ダイアログ:このウィンドウなど)
マウスホイール
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替


解説文、その他の詳細情報

解説文などのタブについて
タブの説明
資料によって、解説文の他に詳細な説明を掲載している場合が有ります。表示されるタブの種類は資料ごとに変わります。
資料解説・概要文 貴重資料に関する主な説明・概要文が表示されます。※資料解説の末尾に記載されている氏名は、資料解説の執筆者名です。
詳細解説文 さらに詳しい詳細な説明文、資料に関する情報などが表示されます。
参考文献・調査ノート 資料の解説文作成の際に参考とした資料や、その他の情報が表示されます。


推奨動作環境

  • Internet Explorer 7以上
  • Firefox 3以上
  • Safari 4以上
次のページ
前のページ
0 /
画像を読み込んでいます…

  • 概要・解説文
  • 参考文献・調査ノート

概要・解説文

『中山詩文集(ちゅうざん・しぶんしゅう)』 程順則(てい・じゅんそく) 編 木版本(1856年再刊本)

 『中山詩文集』は琉球王国において最初にまとめられ刊行された本格的な漢詩文集です。「中山」というのは琉球王国の異称です。詩文とは漢詩と漢文で書かれた文章の両方を指します。琉球王国を代表する政治家・文人である程順則(てい・じゅんそく)によって1725年にまとめられ、中国で刊行されました。

 詩文集の内容は、編者である程順則を含め、順則と同時代の文人らの代表的な漢詩文22編を集めたものです。22編といっても石碑文の文章のような単一のものから、複数の詩文を収録した個人・集団の漢詩集まであり、全体としては膨大な作品数となります。詩文の作られた年代は1683年~1720年に及びます。

 詩文集が作られた理由は、もちろん根本には文芸を純粋に愛好する志があったでしょうが、複雑な社会的状況もあったようです。当時、「日本(≒大和文化圏)」や清朝(しんちょう)中国との外交関係も安定したものとなりつつありました。こうした状況において中国・福州からの渡来人らが作った久米村(現・那覇市内)の士族らは、琉球王国の外交の中心として重要な立場にありました。琉球王国の文化的な力量を内外にアピールすることが求められていたのです。この詩文集が中国で刊行され、序文も中国の文人が書いているのは、そういう意味合いがあったとされます。また、収録されている詩文の作者も王族や一部の王府高官を除いてはほとんどが、久米村の人々です。もちろん順則自身も久米村の士族であり、この詩文集には久米村や琉球王国の文化を盛り上げようとする強い意図がみなぎっています。

 この東恩納文庫本は初版では無く、1856年に刊行された改訂版です。いくつか続く序文の最後に「中山詩文集重鐫(ちょうせん)序」として「咸豊丙辰(かんぽう・ひのえ・たつ)」(=1856年)という年記を記した序文があります。刊行者は序文にも「六世孫 徳裕(ろくせい・そん とくゆう)」とある、程順則の6代目の子孫に当たる程徳裕です。上下2巻の内、下巻を欠いています。

 『中山詩文集』は全体の現代語訳が待たれる本ですが、一部の詩文は様々な本で現代語訳を見つけることが出来ます。「調査ノート」部分に著名な政治家・文人である蔡鐸(さいたく)の漢詩の原文・読み下し文・現代語訳を挙げておきます。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊) ※項目「中山詩文集」「程順則」など参照。
『校訂本 中山詩文集』(上里賢一 編 九州大学出版会 1998年刊)    、
『琉球漢詩の旅』(上里賢一 選・訳 茅原南龍 書 琉球新報社 2001年刊)
『閩江のほとりで』(上里賢一  沖縄タイムス社・タイムス選書Ⅱ 2001年刊)
ほか


(調査ノート)
※『中山詩文集』上巻収録の漢詩、「瓊河発棹留別閩中諸子(けいが・はっせん・りゅうべつ・びんちゅう・しょし)」の原文・読み下し文・現代語訳を下記に記します。この詩を含む蔡鐸の漢詩集『観光堂游草(かんこうどう・ゆうそう)』は、蔡鐸が1688年~1690年に清朝中国へ外交官として訪れた際に詠んだ詩をまとめた文集で、『中山詩文集』に第8編めとして収録されています。

(※旧漢字は一部、改訂してあります。)
「瓊河発棹留別閩中諸子 (瓊河を発棹し、閩中諸子に留別す)※タイトル

裘馬如雲送客船。 (裘馬(きゅうば)は雲の如くして客船を送る。)
簡書遙捧出閩天。  (簡書(かんしょ)を遙かに捧(ささ)げて、閩(びん)の天を出る。)
驪歌古駅三杯酒。  (驪歌(りか)の古き駅、三杯の酒。)
帆挂空江五月煙。  (帆を挂(か)ける空しき江(え)に五月の煙。)
別涙已随流水去。  (別れの涙はすでに流水に随(したが)って去る。)
離情不断遠山連。  (離(わか)れの情(こころ)は断てず、遠山(えんざん)に連なる。)
故人若憶西窓話。  (故人の西窓(せいそう)の話を憶えるが如し。)
極目燕台路八千。  (目を極めるに、燕台への路は八千なり。)

(大意)皮衣をまとった馬に乗る福州の友人たちが雲のように川岸に集まって、北京へ向かう私たちを見送ってくれる。私たちは北京の中国皇帝へ捧げる文書を持って、この福州を旅立つのだ。別れを惜しむ歌が聞こえる古いこの駅舎で、別れの酒を酌み交わす。五月のもやのかかる中、ひとけの無い瓊河に船をこぎ出す。別れの涙は河の水と共に流れ去る。しかし、別れを惜しむ心は断ち切ることが出来ず、福州の遠山へと連なったままだ。昔の文人・李商隠(り・しょういん)は西の窓辺で別れを惜しんだというが、私も今、その思いを痛感する。見渡すと、目的地である都・北京は八千里(=とほうもない遠く)の彼方だ。

(鶴田大)
しばらくお待ちください