『東游艸(とうゆうそう)』(鄭元偉(てい・げんい)・魏学賢(ぎ・がくけん)・尚元魯(しょう・げんろ)著 鮫島玄霧(さめじま・げんむ)他・編 天保14年(1843)刊) 全三冊(第二冊) 解説(詳細版)
『東游艸』は1842年の「江戸立(えどだち=琉球王・将軍の代替わりの際などに琉球から江戸将軍へ挨拶に派遣される外交使節団)」に参加した琉球の尚元魯(しょう・げんろ)、鄭元偉(てい・げんい)、魏学賢(ぎ・がくけん)の三人が、琉球~江戸の道中に詠んだ漢詩文をそれぞれにまとめ、薩摩藩の文人である鮫島玄霧(さめじま・げんむ)に贈呈した詩文集です。贈呈を受けた玄霧は翌年の1843年、これらを三冊本として刊行し、琉球へも贈呈しました。この第二冊は魏学賢の詩文集となっています。
政治的には緊張する状況も多かった薩摩藩と琉球王国ですが、文人同士は深い親交を持っていたことがこの詩文集からも分かります。集団対集団、個人対個人という異なる次元のコミュニケーションについて考えさせられる事例でもあります。また詩文集の内容も非常に興味深いものがあります。
新しく江戸幕府将軍となった第12代将軍・徳川家慶(いえよし)の就任を祝う1842年(天保十三年) の琉球使節団では正史(せいし)を尚元魯(=浦添王子朝憙(うらそえ・おうじ・ちょうき)1805-1854)が勤め、儀衛正(ぎえいしょう=行列全体と行列しながらの楽隊を統括)に鄭元偉(のちの湖城親方(こぐすく・うぇーかた)1792-1857?)、楽師(行列や行事の際の音楽担当者)に魏学賢(1806-1850)が任命されました。
三人はそれぞれ身体的にも厳しい旅の中で心に留まった風景や出来事を漢詩に綴りました。江戸立に参加する人々は外交官であり、歌舞(かぶ)や音楽、漢詩・和歌(=大和文化圏の公式文学)にも長じていました。
当時の琉球王国は薩摩藩から一定の支配を受けていましたから、こうした公式行事の際にも薩摩藩と行動を共にしました。しばしば描かれる「琉球人行列図」は一般に、中国風衣装を身にまとった琉球使節団の姿が花やかに描かれますが、実際には警護のための薩摩藩士が両脇を固め、また琉球人使節の後ろには長い薩摩藩士の行列があったのです。
ともあれ琉球人使節は琉球を出発して最初に薩摩(≒鹿児島)で歓待を受け、さらに九州、瀬戸内地方、近畿から東海道を通り、各地で宿泊して歓待を受けつつ江戸の将軍の元を往復したのです。琉球人使節は、当時の日本(大和文化圏)の一般の人々から竜宮からの使者のように考えられていましたから、その歓待はたいへんなものだったようです。
尚元魯、程元偉、魏学賢の三人は薩摩で受けた歓待の宴の様子はもちろんのこと、和歌などに詠まれるような名所で次々と漢詩を作り、(おそらくは選び抜いて)それぞれ一冊の漢詩集にして、帰り際の薩摩で、文人・鮫島玄霧に贈呈しました。玄霧が、文芸を好む薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら=麟洲公・りんしゅう・こう)にこれを見せたところ、大いに喜び、翌年の天保14年(1843) に刊行されました。刊行された『東游艸』(全三冊)はさっそく尚元魯ら三人の手許へも届けられたということです。
尚元魯、程元偉、魏学賢の三人は薩摩で受けた歓待の宴の様子はもちろんのこと、和歌などに詠まれるような名所で次々と漢詩を作り、(おそらくは選び抜いて)それぞれ一冊の漢詩集にして、帰り際の薩摩で、文人・鮫島玄霧に贈呈しました。玄霧が、文芸を好む薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら=麟洲公・りんしゅう・こう)にこれを見せたところ、大いに喜び、翌年の天保14年(1843) に刊行されました。刊行された『東游艸』(全三冊)はさっそく尚元魯ら三人の手許へも届けられたということです。
この第二冊に収められている魏学賢の詩文は、桜島などの薩摩の名所や行事、下関、大坂、富士山などが道順に従って詠まれますが、文学的な名所も数多く題材とされています。平家物語や能楽(のうがく≒謡曲・ようきょく) に登場する敦盛(あつもり)・兼平(かねひら)の墓や景清(かげきよ) のゆかりの地、和歌の名手であった小野小町(おののこまち)の墓、あるいは中国の瀟湘八景(しょうしょう・はっけい=洞庭湖(どうていこ)周辺の美しい八つの風景) にちなむ近江八景(おうみ・はっけい=琵琶湖周辺の八つの景勝地) などです。第一冊目は鄭元偉の詩集で、より一般的な名所などが詠まれています。鄭元偉は詩歌(しいか)の作り手としてよりも書の達人として有名でしたから、少し遠慮したのかも知れません。第三冊目は尚元魯の詩集でこの魏学賢と同じく文学的な名所が多く詠まれています。
ところで三人の詩集の順番については、三人の中で最も年長の鄭元偉が一冊目になっていますから、役職の上下よりも年齢に配慮したようです。(魏学賢よりも尚元魯のほうが一歳年長ですが、玄霧らは、そこまでは知らなかったのかも知れません。)
(鶴田大)