八重山嶋規模帳 [写本] (やえやまじまきもちょう)

ヘルプ閉じる

貴重資料ビューワーの操作

操作ボタンの説明

資料のタイプに応じて、表示するボタンの種類が変わります。


ページ切替

資料のページを切り替えます。

先頭のページ/最後のページ、前のページ/次のページ、ページ番号指定
などの基本的なページ切替操作をします。

ページ数表示

ページ切替操作の際に、ビューワー画面の右下に、現在のページ数/総ページ数が表示されます。
一定時間が過ぎると自動的に非表示になります。

ズームボタン 資料画像のズームボタンです。最小サイズ/最大サイズの切替をします。
中央に表示 資料画像をビューワーの中央に再配置します。
スクリーンサイズ切替 資料表示部のサイズを切り替えます。最大サイズの場合、右側の書誌情報エリアが非表示になります。
スケールスライダー マウスドラッグ操作で、資料画像のサイズを無段階調整します。
ページ選択 多数のページを持つ資料に表示されます。一定数ごとにページを切り替えることが出来ます。
翻刻資料を表示 くずし字で書かれた原文を楷書体に置き換えた「翻刻資料」のページを表示します。


マウスの操作について
クリック
  • 資料の前後ページ切替(右クリックは使用しません)
ダブルクリック
  • 単ページ/見開きの表示切替
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替
ドラッグ
  • 資料画像の表示位置移動
  • ダイアログウィンドウの表示位置移動(ダイアログ:このウィンドウなど)
マウスホイール
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替


解説文、その他の詳細情報

解説文などのタブについて
タブの説明
資料によって、解説文の他に詳細な説明を掲載している場合が有ります。表示されるタブの種類は資料ごとに変わります。
資料解説・概要文 貴重資料に関する主な説明・概要文が表示されます。※資料解説の末尾に記載されている氏名は、資料解説の執筆者名です。
詳細解説文 さらに詳しい詳細な説明文、資料に関する情報などが表示されます。
参考文献・調査ノート 資料の解説文作成の際に参考とした資料や、その他の情報が表示されます。


推奨動作環境

  • Internet Explorer 7以上
  • Firefox 3以上
  • Safari 4以上
次のページ
前のページ
0 /
画像を読み込んでいます…

  • 概要・解説文
  • 参考文献・調査ノート

概要・解説文

『与世山親方(よせやま・うぇーかた)・八重山島規模帳(やえやまじま・きもちょう)』(写本) 解説文

 

 現在も宮古・八重山は、それぞれ沖縄本島とは異なる独特の社会・文化を持っていますが、1400年代~1500年代に琉球王国の一部となっていく以前は、当然ながら、現在よりもはるかに自立的な文化圏でした。

 

 首里王府は多様な習俗を持つこうした離島へしばしば役人を派遣して、行政視察を行いその土地ならではの法律・条例を定めていきました。この本(の原本)も1767年(乾隆(けんりゅう)三十二年)に首里王府から派遣された与世山親方らによる視察を元に、翌年(1768)にまとめられた行政文書です。「規模」というのは「規則」というような意味で、首里王府から土地の役人への通達文書という形式をとっています。対象範囲は遠く与那国島まで及んでいます。  
 内容は八重山島内の役人・民衆すべてを対象にした社会全般にわたる法律・条例を定めたものです。土地管理・相続・酒宴(しゅえん)に関することから、ユタ(≒霊能者、占い師)の取り締まりについてまで細かく注意を記しています。また八重山上布(じょうふ)の品質管理についてなど、八重山ならではの記述も見られます。

 

 こうした規則は、財政難に苦しんでいた首里王府が税収増加を狙って定めたものです。伝統社会・文化の衰退を招く一因ともなりましたが、一面では、立場の強い地元役人の勝手なふるまいや横暴から一般民衆を守るという面もありました。民衆の安定した労働・生産が税収の確保につながっていたからです。文面も地元の役人への通達という形式を取っているせいもありますが、一般の民衆への注意と同じ位、地元役人への注意が記されています。
 首里王府はこうした規模帳において地域性を配慮しているようですが、他方、強硬策も行っています。1730-1780年代を中心に米増収を目指して、周辺離島住民を石垣・西表の両島へ強制移住させ、新集落を作っているのです。こうした新集落は明治頃までにはマラリヤ(感染症の一種)などでほとんど廃村となっていて、強制移住によって離ればなれになった人々の哀切を帯びた民謡も多数残されています。

 

 最も包括的な通達である規模帳と共に作成された行政文書には、公事帳(くじ・ちょう=役人の職務規程)、農務帳(=農業に関する細かい規則を定めたもの)、諸締帳(しょ・しまりちょう=財政引き締めや税増収などのための施策を定めたもの→資料ID1001911401)などがあります。

 

 こうした首里王府の功罪(こうざい)様々な政策にもかかわらず、この規模帳の通達の三年後には「1771年の大津波」によって八重山諸島の人口の3分の1以上が犠牲になりました。人口が津波以前に戻ったのは1919年(大正8)頃とされています。

 

 この『与世山親方・規模帳』は原本を筆写した写本(しゃほん)ですが年記が無いため書写年代は不明です。同じ原本から転写された本が全部で三部、現存しています。岩瀬文庫本(愛知県)と宮良本(みやら・ぼん 八重山博物館寄託)の三部です。三部の本はそれぞれ欠落部分や書写内容が異なり、合わせて失われた原本の内容をより明らかにしています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1983年刊)※項目「与世山親方八重山島規模帳」、「明和の大津波」など。
『石垣市史叢書2 与世山親方八重山島規模帳』(石垣市 市史編集室・編 1992年刊)
 ※原文と現代語訳が全文掲載されている。
ほか

(鶴田大)

しばらくお待ちください