末吉麦門冬 原稿 (すえよしばくもんとう げんこう)

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概要・解説文

   末吉安恭(すえよし・あんきょう 1886~1924)は那覇市首里出身の新聞記者、著述家です。麦門冬(ばくもんとう)というペンネームでも知られ、俳句・短歌などの文芸から、民俗学の研究論考、時事問題の論評まで幅広い分野に筆をふるった人物です。原稿資料は「まぶい込めの話」「杓子(しゃくし) (一の四)」「杓子俗信」「角(つの)と男根(だんこん)」の四編に分かれています。どの文章も古今各地の史料や例を引き合いに出しながら、沖縄独特の風習や習慣について考察した興味深い民俗学的な内容の文章です。「まぶい込めの話」が民俗学雑誌「土俗と伝説」(第1巻第4号 1919年)に発表されたことが判明している以外は、新聞か雑誌か、どのようなメディアに発表されたものか不明です。「角と男根」の冒頭「南方翁が大陽に載せられた『羊に関する民俗と伝説』の(・・・後略)」で触れられている生物学者・南方熊楠(みなかた・くまぐす 1867~1941)も安恭について「出産と蟹(かに)」という文章の中で触れています。それによれば「末吉安恭君は純粋の琉球人だが、博(ひろ)く和漢の学に通ぜること驚くべく、麦生(ばくせい)なる仮号(かごう)もて『日本及日本人』へ毎度出さるる考証(こうしょう)、実に内地人を凌駕(りょうが)するもの多し。」と高く評価しています。人や情報が集中している東京や大阪などから遠く離れた沖縄で、史料の収集・閲覧もままならない当時の状況の中で広い知識を持ち、深い考察を続けていた安恭への敬意が感じられます。

   安恭が38歳という若さで逝去した際には、その死を悼んで様々な分野の人々から追悼文が寄せられたようです。「沖縄学の父」として知られる伊波普猷(いは・ふゆう 1876~1947)からは「嗚呼(ああ)末吉君!」という題名で、同じく沖縄学の創始者とみなされている東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん 1882~1963)からは「野人(やじん)麦門冬の印象」という題名で追悼文が新聞(「沖縄タイムス」1924年12月14日 麦門冬追悼特集)に掲載されました。
  伊波普猷や東恩納寛惇らと交流し、多くの業績を残した安恭ですが、今ではそれほど多くの人に知られていません。このことについては、安恭が基本的に新聞を舞台に活躍し、雑誌に論文を掲載した際にも長い論文を書くことがなく、結果的に生前にまとまった著作物を単行本として刊行しなかったから、とも見られています。また戦後、安恭の仕事の見直しの機運が起こり、安恭の弟の美術家・末吉安久(あんきゅう)が論文をまとめようとしても、安恭の論文を掲載した新聞や雑誌が既に多く所在不明になってしまい書籍化を断念したという経緯もあったようです。
(鶴田 大)

参考文献・調査ノート

(参考文献など)
・新城栄徳 編「文人 末吉麦門冬」(琉文手帖2号 1984年刊)
 ※末吉麦門冬の没後60年を紀念して刊行された書籍で、おそらく唯一の著作集。本資料の「まぶい込めの話」の掲載もある。「末吉安恭〔麦門冬〕著作目録」(伊佐眞一 編)あり。
・「島 上」(第1巻第1号〜第1巻第6号 (比嘉 春潮・柳田国男∥編 一誠社 昭和8年5月~10月 刊)
 〔復刻版 名著出版 1979年〕
   ※末吉麦門冬の論考が掲載(転載)されている。
・「島 下」(昭和9年前期号 (比嘉 春潮・柳田国男∥編 一誠社 昭和9年4月 刊)
 〔復刻版 名著出版 1979年〕
   ※前年に月刊であった雑誌が年間二回の刊行となっている。安恭の論考は掲載されていない。

(調査ノート)
・原稿には編集者校正とみられる書き入れがありますが、内容からみて安恭自身による書き入れともみられます。
・原稿の所蔵者であった歴史家・比嘉春潮(ひが・しゅんちょう 1883~1977)は「大洋子の日録」(『比嘉春潮全集第5巻』所収)で安恭について語っています。
・春潮が本資料の原稿を所蔵していたということは、自身が編集人を務める雑誌「島」などに掲載しようとしていたとも考えられますが、雑誌「島」が中途で月刊から不定期刊になり詳細が不明であるため、はっきりとしません。原稿「まぶい込め」は雑誌「土俗と伝説」が初出ですが、同じように「土俗と伝説」に掲載された安恭の論考がその後(※没後の1933年~)、雑誌「島」に転載された例が複数知られています。このため「まぶい込め」やその他の論考も雑誌「島」に転載された(あるいは転載される予定だった)可能性は大いに考えられます。
・以下、本資料の内訳について記します。
1.「まぶい込めの話」 200字詰めの原稿用紙8枚〔完〕
2.「杓子(一の四)」 200字詰めの原稿用紙7枚〔完〕 
  ※但し、冊子では6枚目から8枚目につながっており、7枚目は別稿。
3.「杓子俗信」 200字詰め原稿用紙1枚〔完〕※先ほどの「杓子(一の四)」の7枚目にある単独の原稿。
4.「角と男根」 200字詰めの原稿用紙3枚〔完〕
以上。
・ちなみに麦門冬というのはジャノヒゲという植物の根のことで咳止めの漢方薬として現在も広く使われている。
(鶴田 大)

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