琉球見聞録 (りゅうきゅうけんぶんろく)

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概要・解説文

『琉球見聞録(りゅうきゅう・けんぶんろく)』 喜舎場朝賢(きしゃば・ちょうけん) 著 大正三年(1914)刊 解説

 この本は琉球王国時代の政治家・文人である喜舎場朝賢(きしゃば・ちょうけん1840~1916)による著作です。琉球王国の終焉(しゅうえん)を、やがて国政の中心を担うような立場で迎えた首里王府高官であった朝賢が琉球王国について証言した内容で、同時代史料として豊富な記録を含む重要な著作です。

 内容は大きく二部に分かれています。「琉球見聞録」「琉球三冤(さん・えん)録」です。「琉球見聞録」は首里王府の役人として実際に見聞した史実を中心に琉球王国滅亡の様子をつぶさに記した記録です。「琉球三冤録」は琉球王国末期の大事件である「牧志・恩河(まきし・おんが)事件」についての記録で、「三冤」とは事件の主要な三人の被疑者である牧志親雲上(ぺーちん=琉球王国の官位名)、恩河親方(うぇーかた=琉球王国の官位名)、小禄親方(おろく・うぇーかた)が冤罪(えんざい=無実の罪)により十分な証拠もないまま罰せられることを意味しています。また末尾には「喜舎場朝賢翁小伝(おう・しょうでん)」がこの本を編集した親泊朝擢(おやどまり・ちょうたく)によって付されています。
 「琉球見聞録」「琉球三冤録」はそれぞれ琉球王国の終焉についての琉球側の最も詳細な史料として、また琉球王国末期の大事件についての最初にして最も詳細な記録として重大な価値を持っています。

 「琉球見聞録」は琉球王国が琉球藩となり、さらに沖縄県となる過程を実際の文書史料をまじえて詳細に記録しています。詩人としても著名な朝賢ですが、全体として記録者に徹していて、激動の歴史について判断を後世に任せようとする意図が感じられる冷静な文体となっています。こうした史料は「歴史は勝者によって書かれる」という皮肉を込めた格言の実現に対抗する一つの回答というかけがえのない面を持っています。

 「琉球三冤録」は「牧志・恩河事件」についての詳細な記録です。この事件は、西欧文化を積極的に取り入れようとした革新的な薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)が急死したため、斉彬に協力的だった薩摩・琉球の高官が、反斉彬派らによって公的な権力による拷問などにより死に追いやられた琉球王国末期の大事件です。記録の素材となったのは、事件当時、国相(こくしょう≒国王の教師・補佐役)であった東国興(とう・こくこう=津波古親方政正 つはこ・うぇーかた・せいせい)から朝賢に提供された当時の資料とみられています。国興は朝賢の学問の師だったのです。
 「琉球三冤録」が初めて公(おおやけ)にされた時期は詳細には不明ですが、この大正三年の「見聞録」は「牧志・恩河事件」の実相について世間に広めた最初のものとされています。尚泰王が亡くなったのが1901年(明治34年)ですが、およそそれ以降から「牧志・恩河事件」が人々の話題に改めてのぼるようになったと言われています。尚泰王(しょう・たい・おう)を含め、多くの琉球王国末期の高官たちがこの事件に当事者として関与していて、一種のタブーとなっていたからです。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年)※項目「喜舎場朝賢」「琉球見聞録」「琉球三冤録」「牧志・恩河事件」ほか参照。
『琉球見聞録』(喜舎場朝賢 著 至言社 1977年刊)
『東汀随筆』(喜舎場朝賢 著 至言社 1980年刊)
ほか

○調査ノート
・朝賢には『東汀随筆(とうてい・ずいひつ)』という最晩年のエッセイもありますが、こちらは時間と共に不明になりがちな、琉球王国時代の首里王府や周辺の生活や物事の名前、意味などをつぶさに記録したもので、「見聞録」同様、かけがえのない史料となっています。

(鶴田大)
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