琉球人行粧記 全 (りゅうきゅうじんぎょうしょうき)

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概要・解説文

『琉球人行粧記(りゅうきゅうじん・ぎょうしょうき) 』(1796年) 解説


 「琉球人行列物(りゅうきゅうぎょうれつ・もの)」と一般に呼ばれる木版(もくはん)出版物は、琉球使節団が江戸を訪問するたびに当時の出版社(=板元・はんもと)が競って版権や、使節団の情報を入手し、木版印刷にして、あらかじめ全国の人々に販売したものです。当時の日本(大和文化圏)の人々は、琉球王国の使節をまるで竜宮からの使者のように思っていたようです。
 タイトルにある「粧」とは装う、着飾るなどの意味があり、「行粧(ぎょうしょう)」とは美しく着飾った行列というような意味です。

 

 この本は、新しく琉球国王となった尚温王(しょうおん・おう)を認め祝ってもらったお礼に将軍・徳川家斉(いえなり) への挨拶のため江戸を訪れた、1796年(寛政八年) の琉球使節団の様子を記したものです。家斉は寛政の改革や、江戸時代後期の文化的黄金期とされる「化政(かせい)文化」を現出させたことで知られます。

 

 木版一枚刷りの「琉球人行列図」は行列行事が行われるたびに出版され、最も多く出回るものですが、それらに比べるとこの『琉球人行粧図』は現存も少ないようで、特に貴重な資料です。冊子本ということもあり内容も随分充実したものです。
 タイトルを書いた美しい扉絵に始まり、琉球使節の船団(せんだん)の主要な船が一枚一枚に描かれ、さらに行列図、歴史の紹介、言葉や生活習慣の紹介などが詳しく記述しています。行列図においても、役職名、道具名を中心にかなり詳細な文字情報が記入されています。
 この行列図をみると大和風の人物が行列全体にわたって数多く混ざっていて、後代の行列図とは随分異なる印象があります。ここには「絵画の様式化・ようしきか(≒虚構化・きょこうか)」がまだ進んでいなかったことがうかがわれます。実際にはこの絵のように行列全体にわたって大和風装束の人物(=薩摩藩士)が警護していたのが史実のようですから、後代の一般的な琉球人行列図のように隊列の先頭と末尾のみに薩摩藩士が描かれる様子は、琉球人の装束や雰囲気がより印象的に伝わるように描かれた虚構とも言えるものです。
(※行列全体の構成については「調査ノート」参照)。

 

 琉球国王は様々な機会に江戸幕府へ使者を送りました。琉球国王が代替わりしたときの謝恩使(しゃおんし)、幕府将軍が代替わりしたときの慶賀使(けいがし)などです。江戸時代のおよそ250年の間に合計20回ほど使節団が送られました。使節団一行は道中、地元の人々と盛んに交流し、今でも各地には使節団の様々な書画・美術品、エピソードが無数に残されています。
 政治的には複雑な関係があったり、難しい交渉もありましたが、琉球王国と当時の日本(大和文化圏)との親交を深め、様々な文化交流が行われる重要な歴史的いとなみであったといえるのでしょう。

 

 江戸を訪れる琉球人使節は「江戸立(えどだち)」と呼ばれ、総勢100名ほどの使節団の一員に選ばれることはとても名誉なことでした。しかし片道2000キロ、江戸滞在の約1ヶ月半を含め一年近くに及ぶ旅は、かなり苛酷なものだったようで、道中、病気などで亡くなる人もあったようです。

 

 この本に描かれた人々はこうした外交行事を通して重い責任を果たすと共に見聞を広め、帰琉後、行政に文化に大活躍します。

(鶴田大)

詳細解説文

『琉球人行粧記(りゅうきゅうじん・ぎょうしょうき) 』(1796年) 解説 (詳細版)


 「琉球人行列物(りゅうきゅうぎょうれつ・もの)」と一般に呼ばれる木版(もくはん)出版物は、琉球使節団が江戸を訪問するたびに当時の出版社(=板元・はんもと)が競って版権や、使節団の情報を入手して、木版印刷にして、あらかじめ全国の人々に販売したものです。当時の日本(大和文化圏)の人々は、琉球王国の使節をまるで竜宮からの使者のように思っていたようです。
 タイトルにある「粧」とは装う、着飾るなどの意味があり、「行粧(ぎょうしょう)」とは美しく着飾った行列というような意味です。

 

 この本は、新しく琉球国王となった尚温王(しょうおん・おう)を認め祝ってもらったお礼に将軍・徳川家斉(いえなり) への挨拶のため江戸を訪れた、1796年(寛政八年) の琉球使節団の様子を記したものです。冒頭のページからこの本が「寛政八年」に出版されたことはわかるのですが、画家や出版者などについての記載がないので、あるいは末尾のページなどが欠落しているのかもしれません。

 

 これに先立つ1790年に刊行された木版一枚刷(もくはん・いちまいずり)の出版物、「琉球人行列図」(=将軍家斉の就任を祝う慶賀使節・けいがしせつ を描いたもの)はその後恒例となる木版一枚刷りの「琉球人行列図」刊行の最初のものとされます。この時期から琉球人行列に対する関心は特に高まっていったのでしょう。

 

 木版一枚刷りの「琉球人行列図」は行列行事が行われるたびに出版され、最も多く出回るものですが、それらに比べるとこの『琉球人行粧図』は冊子本でもあり、本文内容も随分充実したものです。
 タイトルを書いた美しい扉絵に始まり、琉球使節の船団(せんだん)の主要な船が一枚一枚に描かれ、さらに行列図、歴史の紹介、言葉や生活習慣の紹介などが詳しく記述しています。
 この行列図をみると大和風の人物が行列全体にわたって数多く混ざっていて、後代の行列図とは随分異なる印象があります。ここには「絵画の様式化・ようしきか(≒虚構化・きょこうか)」がまだ進んでいなかったことがうかがわれます。実際にはこの絵のように行列全体にわたって大和風装束の人物(=薩摩藩士)が警護していたのが史実のようですから、後代の一般的な琉球人行列図のように隊列の先頭と末尾のみに薩摩藩士が描かれる様子は、琉球人の装束や雰囲気がより印象的に伝わるように描かれた虚構とも言えるものです。

 

 琉球使節の謝恩儀礼を受けた徳川家斉は1787年~1837年のじつに50年にわたって将軍位にあった人物で、寛政の改革を断行したほか、江戸時代後期の文化的黄金期とされる「化政(かせい)文化」を現出させたことでも知られます。

 

 琉球国王は様々な機会に江戸幕府へ使者を送りました。琉球国王が代替わりしたときの謝恩使(しゃおんし)、幕府将軍が代替わりしたときの慶賀使(けいがし)などです。江戸時代のおよそ250年の間に合計20回ほど使節団が送られました。使節団一行は道中、宿場沿いの人々からたいへんな歓待を受けました。九州、瀬戸内海地方、近畿地方から東海道にかけて、地元の人々の交流が行われ、今でも各地には使節団の様々な書画・美術品、エピソードが無数に残されています。
 政治的には複雑な関係があったり、難しい交渉もありましたが、琉球王国と当時の日本(大和文化圏)との親交を深め、様々な文化交流が行われる重要な歴史的いとなみであったといえるのでしょう。

 

 琉球人行列の絵や本には様々なものがありますが、この『琉球人行粧図』は現存も少ないようで、特に貴重なものです。行列の図には、行列の中から主要な人物やモチーフを絞って描いた錦絵(にしきえ)風のものから、人数や役職名・名前まで詳細に記入したものまで多種多様な作例(さくれい)があります。この本では本文の記述も詳しく、また「琉球人行列図」においても、役職名、道具名を中心にかなり詳細な文字情報が記入されています。
(※行列全体の構成については「調査ノート」参照)。


 江戸を訪れる琉球人使節は「江戸立(えどだち)」と呼ばれ、総勢100名ほどの使節団の一員に選ばれることはとても名誉なことでした。しかし片道2000キロ、江戸滞在の約1ヶ月半を含め一年近くに及ぶ旅は、かなり苛酷なものだったようで、道中で病気などで亡くなる人もあったようです。天保三年(1832年)の使節団では正使・豊見城王子をはじめ、要職者だけでも四名が亡くなっています。

 

 「行列図」部分に描かれた人々の中で要職にあった人々については様々な歴史資料から多くのことが知られています。彼らはこうした外交行事を通して重い責任を果たすと共に見聞を広め、帰琉後、行政に文化に大活躍します。

 

 沖縄県立図書館の「琉球人行列物」には、最も広く出回った木版一枚刷の「琉球人行列図」から色彩豊かな錦絵(にしきえ=多色刷りの浮世絵版画)仕立ての「琉球人行列図」、あるいは冊子本形式のものまで、多種多様なものが収蔵されています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『琉球使節、江戸へ行く!』(沖縄県立博物館・美術館 展覧会図録 2009年)
『琉球使節の江戸上り』(宮城栄昌 著 第一書房 1982年) ほか

 

(調査ノート)
・一般的な琉球人行列の隊列は、馬上人物・御輿(みこし)人物を中心にみていくと、先乗(さきのり=道案内役。大和風装束の薩摩藩士ら) ~儀衛正(ぎえいしょう=行列と行列で行われる路次楽(ろじがく=中国風音楽)の統括責任者 ) ~(路次楽・楽人) ~ (献上物や引かれていく馬に続き) ~ 圉師(ぎょし=献上する馬などを管理) ~(「豊見城王府」と書かれた板に続き)~ 掌翰使(しょうかんし=文書を管理) ~ 正使(せいし=琉球国王の代理であるこの使節の代表。) ~ 副使(ふくし=正使の補佐役。) ~讃儀官(さんぎかん=副使の補佐。) ~ 楽正(がくせい=祝宴の音楽行事の責任者) ~ 楽童子(有力な家の元服頃までの少年たちで行列の花形。祝宴などで詩歌(しいか)、書画、歌舞を披露した。ヒゲが無いので区別できる) ~ 楽師(がくし=祝宴の音楽会の楽器奏者) ~ 正使・副使・讃儀官従者(さんぎかん・じゅうしゃ)ら ~ 最後に後見の大和風装束の武士(薩摩藩士)と続く。さらにそれぞれの要職の人物の近くを従者らが歩いて行く。

 

(鶴田大)

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