琉球人行列記 (りゅうきゅうじんぎょうれつき)

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概要・解説文

『新版 琉球人行列記』(1832年刊) 解説

 琉球国王は様々な機会に江戸幕府へ「琉球使節」と呼ばれる使者を送りました。琉球国王が代替わりしたときの謝恩使(しゃおんし)、幕府将軍が代替わりしたときの慶賀使(けいがし)などです。江戸時代のおよそ250年の間に合計20回ほど使節団が送られました。
 こうした際に江戸や京都の出版者らが刊行したのが「琉球もの」と呼ばれる、琉球使節を中心に扱った多種多様な本で、この本もそうした本の一つです。
 政治的には複雑な関係がありましたが、琉球王国と当時の日本(大和文化圏)との親交を深め、様々な文化交流が行われる重要な歴史的いとなみであったといえるのでしょう。

 琉球使節が江戸を訪問するたびに刊行される「琉球もの」は、一枚刷りの「琉球人行列図」をはじめ行列見物のガイドブックのようなものがほとんどでしたが、こうした機会に新井白石(あらい・はくせき)の『南島志(なんとうし)』(1719年)や森島中良(もりしま・ちゅうりょう)の『琉球談(りゅうきゅう・ばなし)』(1790年)など、人々に最新の正確な琉球王国の情報を提供しようとする本も次々と刊行されました。琉球使節というイベントの影響力の大きさがうかがえます。当時の日本(大和文化圏)の人々は、琉球王国の使節をまるで竜宮からの使者のように思っていたようです。 (※行列全体の構成については「調査ノート」参照)。

 江戸を訪れる琉球人使節は「江戸立ち」と呼ばれ、その一員に選ばれることはとても名誉なことでした。しかし片道2000キロ、江戸滞在の約1ヶ月半を含め一年弱の旅は、かなり苛酷なものだったようで、道中、病気などで亡くなる人もありました。しかし琉球使節として重い責任を果たすと共に見聞を広め帰国した人々は、行政に文化に大活躍します。

 この『新版 琉球人行列記』は琉球・尚灝王(しょう・こう・おう)の即位を認め祝ってもらったお礼の使節である天保3年(1832年)の謝恩使の江戸来訪に際して刊行された木版本です。本の中扉(なかとびら)にある、街道の松の木越しに行列を見物する人々の図が本の性格をよく示していますが、この本はまさに行列を見物するためのガイドブックとして作成されたようです。前半は文章で琉球使節の説明を箇条書きで行いますが、そこでも「行列の見所は華麗に装った楽童子だ」と書かれています。楽童子(がくどうじ)は有力な士族の子弟で、行列の花形でした。また宴席などでは歌舞・文芸を披露しました。本の後半に描かれる行列図では、この年の楽童子として有名な小禄里之子(おろく・さとぬし)の箇所に「至って美少年なり」と注釈があるほどです。
 多くの琉球使節の記録本が詳細に記述する琉球からの献上品目録については「たくさんあるが、省略する」とする一方で、末尾に琉球のことばを紹介しています。たとえば「日(=太陽)」は琉球では「てだがなし」と呼ぶ、などとしています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『琉球使節、江戸へ行く!』(沖縄県立博物館・美術館 展覧会図録 2009年)
『琉球使節の江戸上り』(宮城栄昌 著 第一書房 1982年) ほか

(調査ノート)
・一般的な琉球人行列の隊列は、馬上人物・御輿(みこし)人物を中心にみていくと、先乗(さきのり=道案内役。大和風装束の薩摩藩の侍ら) ~儀衛正(ぎえいせい=行列と行列で行われる路次楽(ろじがく=中国風音楽)の統括責任者 ) ~(路次楽・楽人) ~ (献上物や引かれていく馬に続き) ~ 圉師(ぎょし=献上する馬などを管理) ~(「豊見城王府」と書かれた板に続き)~ 掌翰使(しょうかんし=文書を管理) ~ 正使(せいし=琉球国王の代理であるこの使節の代表。) ~ 副使(ふくし=正使の補佐役。) ~讃儀官(さんぎかん=副使の補佐。) ~ 楽正(がくせい=祝宴の音楽行事の責任者) ~ 楽童子(有力な家の元服頃までの少年たちで行列の花形。祝宴などで詩歌(しいか)、書画、歌舞を披露した。ヒゲが無いので区別できる) ~ 楽師(がくし=祝宴の音楽会の楽器奏者) ~ 正使・副使・讃儀官従者(さんぎかん・じゅうしゃ)ら ~ 最後に後見の大和風装束の武士(薩摩藩士)と続く。さらにそれぞれの要職の人物の近くを従者らが歩いて行く。

(鶴田大)
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