琉球淨瑠璃 (りゅうきゅうじょうるり)

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概要・解説文

『琉球浄瑠璃(りゅうきゅう・じょうるり)』明治22年(1889)刊 解説

 浄瑠璃とは、室町時代頃から発達した文芸で、伴奏楽器(打楽器や三味線など)と共に、調子を付けながら物語を語る(≒歌う)、「語り物(かたりもの)」の一種です。人形を使った人形浄瑠璃など、様々な形態があります。
 浄瑠璃の持つ幅広い性格からでしょう、琉球王国伝統の歌舞劇である組踊(くみおどり)は、この本によって浄瑠璃の一種として明治時代の日本他府県へ紹介されました。組踊が他府県へ紹介された最初期の本格的な刊行物です。「琉球能楽(のうがく)」とか「琉球歌舞伎」とされなかったのは、意外な感じもしますが、もともと武家の公式芸能であった能楽や、現在広く親しまれている歌舞伎などよりも浄瑠璃のほうが人々に広く親しまれていたのかもしれません。

 組踊(くみおどり)は1972年に国の重要無形文化財に指定された、琉球・沖縄独自の芸能です。当時の「日本」の能楽(のうがく)や歌舞伎を取り入れながらも、琉球独自の言葉と八・八音で連なる台詞(せりふ)のリズム、伝統的な踊りの振り付け、琉球の古い伝説を統合して見事に作り上げられたものです。組踊の「組」とは、このような様々な要素の「組み合わせ」という意味だと広く考えられています。例えば組踊の随所に、伝統的な琉歌(りゅうか=八・八・八・六音の歌で、踊りを伴う)がちりばめられているのはそうした「組み合わせ」です。

 組踊は能楽や歌舞伎と深い関連がある芸能ですが、『琉球浄瑠璃』の編者である松山伝十郎(まつやま・でんじゅうろう)は、組踊を能楽・歌舞伎などの類(たぐい)として紹介せず、浄瑠璃の一種として紹介しました。浄瑠璃という伝統ある語り物が、人々の間で広く親しまれていたことがうかがわれます。

 『琉球浄瑠璃』では組踊の「久志の若按司(くしのわかあじ ※久志は地名、按司は琉球王国の官位名)」について台本を掲載して、注釈を加えています。
 「久志の若按司」のあらすじは次の通りです。話の舞台は沖縄本島北部(現在の名護市周辺)。天願(てんがん≒地名)の按司がその地域一帯で勢力を誇る謝名大主(じゃな・うふぬし)に殺される。天願の若按司である千代松と妹の乙鶴(うとぅづる)は何とか逃げのび、久志の若按司を頼って久志へ向かうが、謝名の配下に捕らえられてしまう。このことを知った久志の若按司は千代松、乙鶴を助け、事情を知らないふりをして、謝名の配下である冨盛(ともり)の大主(うふぬし)をわざと逃す。謝名と冨盛はやがて久志若按司の城を攻めるが、準備を整えていた若按司は却って謝名らを討ち取り、千代松らの敵討(かたきうち)を成功させる、という物語です。

 こうした演目は敵討物(てきうちもの)と呼ばれ、組踊の主要なジャンルとなっています。「久志の若按司」の作者や制作年代の詳細は不明ですが、琉球王国時代の組踊台本の筆写本のいくつかに収録が確認されています。また大正時代には民間の興行主らによりしばしば上演されたと伝えられますが、現在では、地元の名護市久志の村祭りなどで上演されるものの、それほど上演の機会はないようです。

 いづれにしても伝統の組踊がこの本によって、語り物である浄瑠璃の一種として他府県に紹介されたということは興味深いことです。組踊を含め、琉球文化が明治以降、他府県にもたらした影響についての調査・研究はまだまだこれから進んでいくことでしょう。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊) ※項目「琉球浄瑠璃」「組踊」「玉城朝薫」「久志の若按司」ほか参照。
『組踊入門』(宜保榮治郎  沖縄タイムス社 2004年刊)
※主要な演目の台本と、現存の多くの演目のあらすじを掲載する。
『組踊写本の研究』(當間一郎 第一書房 1999年刊)
『徐葆光 中山伝信録』(原田禹雄 訳注 榕樹書林 1999年刊)
『宝庫からのメッセージ』(琉球大学附属図書館 沖縄県立図書館 沖縄県立博物館・美術館 三館合同展図録 2010年刊)
『沖縄県史料 前近代8 芸能Ⅰ』(沖縄県 1995年刊)
『校注 琉球戯曲集』(伊波普猷  春陽堂 1929年刊 ※『伊波普猷選集 下巻』沖縄タイムス社 1961年刊に再録)
ほか

(調査ノート)
○組踊の創始者は琉球王国の役人・玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん)です。1718年に国王から命を受け、冊封使節(さっぽう・しせつ≒琉球国王の即位を認め祝う中国からの外交使節)を歓迎するために創作したのが始まりで、翌年、冊封使節の前で初演されました。
 この時の組踊を観た冊封使節・副使の徐葆光(じょ・ほこう)は中国を代表する文人ですが、この琉球芸能によほど関心を持ったようで、自身の琉球見聞録である『中山伝信録(ちゅうざん・でんしんろく)』でこの時に演じられた『二童敵討(にどう・てきうち)』と『執心鐘入(しゅうしん・かねいり)』について詳しく記し、舞台図まで掲載しています。(※『中山伝信録』第2巻「重陽宴(ちょうようのえん)」参照)
 その後、組踊は冊封使節を歓迎する宴を中心に発展し、多くの演目(えんもく)が創作されました。しかし琉球王国時代が終わるとそれらの台本の多くは失われてしまいました。公式の芸能であったために王国の崩壊と運命を共にしたのです。しかしその後、多くの人々の努力で組踊の台本の写本(しゃほん=筆で写した本)が見つかり、現在では70曲ほどが確認されています。

(鶴田大)
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