萍水奇賞 (へいすいきしょう)

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概要・解説文

『萍水奇賞(へいすいきしょう)』 解説

 この漢詩集は1790年に琉球王国の外交使節として江戸を訪問した琉球の文人らが、江戸往復の東海道(とうかいどう)沿いにある三河国岡崎(みかわのくに・おかざき=現:愛知県岡崎市)の文人らと親睦の宴を行った際に詠まれた詩文を集めたものです。刊行は1791年です。岡崎は江戸幕府を開いた徳川家康の生誕地・故郷であり、特別な土地であったため、漢詩文集を刊行するほどの宴が開催されたものと考えられます。

 こうした外交使節は琉球使節と呼ばれ、琉球国王の即位や江戸幕府将軍の就任の際の外交使節として江戸時代を通して20回ほど行われました。江戸時代を通して様々な本や物語で紹介され続けた琉球は当時の「日本」の多くの人たちにとっては竜宮からの使者のようなイメージがあったため、琉球使節が江戸を訪問する度に、琉球関係の書物や、行列を見物するための木版刷りの多種多様なガイドブックなどが刊行されました。
 琉球使節に参加する琉球の政治家・文人たちは文化外交の担い手であり、各地で書画や漢詩・和歌を披露し、その地の人々と親交を深めました。

 序文などによると、琉球使節一行は1790年の11月9日に岡崎に至り、この地の文人らと親睦の宴を催し、漢詩文を唱和(しょうわ≒互いに詩や歌を取り交わす文芸的な遊び)をした、ということです。さらに江戸で将軍らに挨拶を終えた一行は翌1791年正月9日に再び岡崎を通過する際に再会を果たし、琉球へと帰っていったようです。

 著者は岡崎の文人と見られる荻洲因親(おぎす・なおちか)と琉球使節が宿泊した旅籠屋(はたごや)主人の金沢休(かなざわ・やすむ?)です。萍水奇賞をみていくと、彼らと共に宴に参加したのは岡田挺之(おかだ・ていし?)、河村益根(かわむら・ますね)、奥田永業(おくだ・えいごう?)らで、漢詩文を作り贈答しています。
 琉球使節からは幸地親方(こうち・うぇーかた=馬克義(ま・こくぎ))、兼本親雲上(かねもと・ぺーちん=毛廷柱(もう・ていちゅう))、上原親雲上(=鄭永泰(てい・えいたい))の3人が宴に参加し、詩文を作り贈っています。それぞれ、幸地親方は使節団の副使、兼本親雲上は儀衛正(ぎえいせい=行列と楽隊の統括者)、上原親雲上は楽師(=宴席での歌舞の担当者)という役職でした。
 迎える側は遠路の旅路をねぎらい、琉球王国文化を賞賛する詩文を詠み、琉球使節の3人は歓待に対するお礼を述べると共に、合わせて道中で作った漢詩を披露しています。

 琉球使節が江戸往復の道中に残した漢詩文や書はたくさんの人の要望を受ける形で、数多く書かれました。その一部が現在も残っています。琉球使節が江戸往復の際に詠んだ漢詩文集としては『東游艸(とうゆうそう)』が広く知られています。『東游艸』が三人の琉球使節員らの漢詩をまとめたものであるのに対し、『萍水奇賞』は地域の人々と漢詩文の会を開催して唱和している、という点に特徴があり、当時の琉球・日本の私的な文化交流を示す好例として、めでたいものがあります。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『琉球使節展』(豊橋市二川宿本陣資料館  2001年刊)
『知られざる琉球使節 国際都市・鞆の浦』(福山市鞆の浦歴史民俗資料館  2006年刊)
『琉球使節、江戸へ行く』(沖縄県立博物館・美術館  2009年刊)
ほか

(調査ノート)
○末尾の記述によると刊行したのは1791年の正月です。ちょうど琉球使節一行が琉球への帰り道に岡崎を通過する時期なので、出版を急いで帰りがけに琉球使節らへ手渡したのかという感じもしますが、本の中には、琉球使節らが詠んだ富士山や薩埵嶺(さった・れい 静岡県清水市の景勝地)などの漢詩もあり、また往復の二度に渡って親交を温めたことを喜ぶ記述もあるので、やはり琉球への帰路に再会した琉球使節らと再度、詩文の宴会を開いて、彼らを見送ったのちに、すぐさま刊行したものとわかります。
○刊行された詩文集はおそらく薩摩藩を経由して琉球王国(の3人)に贈られたと考えられます。 

(鶴田大)
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