公同会趣意書 [明治29年] (こうどうかいしゅいしょ)

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概要・解説文

 公同会とは琉球王国が沖縄県として明治日本に併合される過程で、最後の琉球国王・尚泰(しょう・たい)の次男・尚寅(しょう・いん)らを中心に結成された政治団体です。公同会が、「旧・琉球王家が県令(けんれい≒県知事)を代々受け継ぐこと」を主張して明治政府に請願を繰り広げた政治運動は公同会運動と呼ばれました。(当時、明治政府の中央集権政策により、県令はその地域以外の有力者が任命されていた。)

 この『公同会趣意書』は、公同会が明治政府に提出した請願書と同内容の印刷物です。印刷物ですが、他に現存が確認されないため非常に貴重な文書となっています。(正式に提出された文書には代表者らの自筆の署名や印章があったものと考えられる。)
 公同会運動は7万7322県民(全県民の約16%)の署名を集め盛り上がりを見せますが、明治政府や、旧支配者層の復活を望まない県内外の有識者らの反対にあい、挫折します。運動としては実現可能性の低いものであったとみられていますが、琉球・沖縄が明治政府(大日本帝国)に対して自立性を求めた最後の大規模な運動として大きな意味を持っています。また現在も琉球・沖縄の自治の歴史を考える際に重要な問いかけを含んでいます。

(鶴田 大)

詳細解説文

 公同会運動が繰り広げられた時代(中心は1895~1897年)は、琉球王国が沖縄県として明治日本の一部となった時期(1879)から20年近く経っていました。当時は日清戦争が日本の勝利に終わり、清朝(しんちょう)中国を頼りに琉球王国の復活運動をしていた頑固党(がんことう)の人々が望みを断たれ、急速に多くの県民が明治日本の一県であることを受け入れるようになっていました。こうした時期に起こった「旧・琉球王家が代々、県令(≒県知事)を受け継ぐ」ことによって琉球・沖縄の自治を少しでも回復しようとする旧支配層らを中心とした公同会の運動は頑固党(がんことう≒親清派(しんしんは))、開化党(かいかとう≒親日派(しんにちは))を含め全県的な広がりをみせました。しかし、この請願に対し、明治政府は全く取り合わなかったばかりか、「運動を続けたら取り締まる」と脅します。さらに新聞や沖縄県出身の東京在住者らからも「時代錯誤」と批判されて、結局、運動は挫折します。

 公同会運動は「旧支配層の最後のもがき」とされ、その実現可能性は全く無かったと一般に見られています。こうした運動がなぜ行われたか。これについて興味深い見方も出されています。公同会運動の本当の目的は、旧王家が県知事の地位を代々受け継ぐという表向きの目標を設定することで、激動の時代の中で主義主張をめぐって深刻な対立を続けていた「王国時代の旧支配層を一つにまとめ、沖縄県政を大和人(ヤマトンチュ)の手から奪い返して、沖縄人(ウチナ-ンチュ)の主体性を確立する」というのが真の目的であったのではないか、という見方です。(新城俊昭『教養講座 琉球沖縄史』2014年刊。 参考文献欄参照。)こうした見方は、公民権運動の中心メンバーに、その後、沖縄最初の新聞『琉球新報』を創刊した太田朝敷(おおた・ちょうふ)らが加わっていたことや、現在まで続く沖縄県民の団結意識などを考え合わせると納得的なものがあります。

参考文献・調査ノート

(参考文献)
・『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1983年刊)
※「公同会運動」「尚寅(しょういん)」「尚家(しょう・け)」「開化党」「頑固党」ほか各項目参照。
・『国史大辞典』(吉川弘文館 1997年刊)
※「公同会運動」「太田朝敷」各項目参照。
・『沖縄県史』第一巻(沖縄県教育委員会 1976年刊)
・『教養講座 琉球・沖縄史』(新城俊昭 編著 編集工房 東洋企画 2014年刊)
※p.228-229 「公同会運動」の記述参照。解説文本文で記したような、公同会運動の当事者らの現実的な意図について考察がなされている。


(調査ノート)
・沖縄県の人民の代表として国場ら9名の氏名が「請願」部分末尾に記されているが、「公同会」の名称・連絡先などは記されていない。(※「趣意書」部分の末尾に本来は記されていたかもしれない。)
・この資料は明治政府へ提出した原本ではなく、運動参加者らに配布された印刷物とみられるが、印刷物とはいえ、他に現存が知られないので非常に貴重な資料と考えられる。国立国会図書館は1974年に沖縄県立図書館作成の複製本(作成者は「琉球政府之中央図書館」)を所蔵している。また那覇歴史博物館が「公同会運動趣意書」写真として所蔵しているものはこの県立博物館所蔵の「趣意書」を撮影したものである。(「虹州書屋」印があり、県立図書館所蔵の東恩納寛惇(ひがしおんな かんじゅん)旧蔵本とわかる。)
・『公同会趣意書』は全18ページで「請願」部分と「趣意書」部分に分かれている。「請願」部分は、沖縄県の「人民」の代表が内閣総理大臣・松方正義(まつかた・まさよし)に願い出るというかたちで簡潔に「琉球王国時代以来、沖縄県は「日本」と良好な関係にあった。清朝中国の影響力の強さに長年、苦しんでいたが、明治日本政府が日清戦争などを通してその圧力を取り除いてくれて感謝している。ただし、長年の歴史的関係から沖縄県内には清朝中国と親しい集団も多く、沖縄県が日本の一県としてまとまることが容易ではない。そこで特例として旧琉球王国の尚王家を代々の県知事(県令)とするよう、お願いしたい。」ということが記されている。末尾には沖縄の「人民七万三千三百二十二人」の代表として国場掌政(こくば・しょうせい)ら10名の住所氏名が記されている。中心メンバーであったとされる尚寅、太田朝敷、高嶺朝教らの氏名は含まれていない。「趣意書」部分は「請願」部分の内容を詳細に説明した内容になっている。最終ページに余白を持ち、本文としては完結しているようだが、この後に文書の奥付のような部分があったかも知れない。
(文書全体として表紙・裏表紙を欠いている。)
しばらくお待ちください