集外三拾六歌仙 附 琉球国読谷山王子道行和歌十四首 [写本] (しゅうがいさんじゅうろくかせん ふ りゅうきゅうこくゆんたんざおうじみちゆきわかじゅうよんしゅ)

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概要・解説文

『集外三十六歌仙(しゅうがい・さんじゅうろく・かせん)・読谷山王子朝恒和歌集(ゆんたんざ・おうじ・ちょうこう・わかしゅう)』筆写本(ひっしゃぼん) 解説

 この本は室町時代の三十六人の和歌を集めて歌集とした『集外三十六歌仙』という本と、琉球・読谷山王子朝恒の和歌集を合わせて一冊としている本です。末尾の記述から、この筆写本が1842年に鄰斎(りんさい)という人物によって書かれたものであることがわかります。二つの歌集の間に直接の関係は見当たりません。
 この本で特に興味深い資料は後半の『読谷山王子朝恒和歌集』です。読谷山朝恒(1745~1811年)は尚敬王の子で、政治家・文人として有名な人物です。1777年に朝憲(ちょうけん)と改名しているので、読谷山朝憲(※以下、朝憲と記す)として知られています。

 この歌集に収録された14首は朝憲が1764~65年に琉球使節の正史として江戸を訪問した際に道中で詠んだ和歌です。こうしたいきさつが14首の歌のあとに記してあります。琉球使節は琉球国王や江戸幕府将軍の代替わりの際に江戸を訪問する外交使節で、江戸時代を通して20回ほど行われました。
 これら14首の和歌は、江戸時代に広く読まれた『琉球談(りゅうきゅう・はなし)』(森島中良(もりしま・ちゅうりょう) 著 1790年頃刊)に「読谷山王子の和歌」として収録されています。おそらくこの筆写本の筆記者である鄰斎は『琉球談』からこの14首を筆写したのでしょう。大和文化圏の公式文学である和歌が琉球王国の文人らによって詠まれていることが人々の大きな関心を惹いていたことがうかがわれる貴重な資料です。中良はこの14首について、7首分については林子平(はやし・しへい) が著した『三国通覧図説(さんごく・つうらん・ずせつ)』(1786年刊)の「琉球図説」中にあるが、この14首すべてを筆写した本を中良の父が秘蔵していたのでこの本(=『琉球談』)に記す、としています。こうした背景を知った上でこの筆写本をみるとき、江戸時代の筆写文化と出版文化の連なりや文化の伝承のありさまが感じられて興味深いものがあります。

 また、『琉球談』に記載のある「朝憲自筆本 和歌14首」との関係は不明ですが、これら14首の中の6首を記した朝憲自筆の和歌巻が知られています(県立博物館・美術館所蔵)。他の2首については「琉球関係文書2」(『元国事鞅掌史料(もと・こくじ・おうしょう・しりょう)』)に収録されています。残りの6首については『琉球談』やこうした筆写本によってのみ伝えられたものです。

 琉球王国の政治家たちは文化外交の時代にあって中国文化圏の公式文学である漢詩文、当時の「日本」の公式文学である和歌(※五・七・五・七・七音の文芸。俳句や近代短歌の母体にもなった)を習得していました。それ以外にも自国の母語による文芸である琉歌(八・八・八・六音」による文芸で、楽器伴奏によって歌ったり、踊ったりする) もたしなんでいました。
 朝憲も漢詩・和歌、そして自国の文芸である琉歌を数多く作ったとみられ、その一部が現在も伝わっています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊) ※項目「読谷山朝憲」ほか参照。
『近代琉球の肖像』上・下 (池宮正治 著 ひるぎ社 おきなわ文庫 1982年刊)
『近代沖縄和歌集』(池宮正治 ほか編 ひるぎ社 1990年刊)
『琉歌全集』(島袋盛敏ほか著 武蔵野書院 1963年刊)
『森島中良集』(石上敏 編  国書刊行会 1992年刊)
 ※『琉球談』全文の活字化がなされ、解説がなされている。
ほか

(調査ノート)
・筆写した人物はあとがきから鄰斎(りんさい)という雅号(≒ペンネーム)を持つ人物と分かります。同じく「天保十三年」「六十二翁」という記述からこの筆写本が1842年に書かれた本で、鄰斎が当時、数え歳の62歳だったことがわかります。
・森島中良の父が所持していた筆写本が成ったいきさつについて『琉球談』によれば、中良の父の主君の元を訪れた読谷山王子がこの14首の自筆本を所持していたので、中良の父がその場で人に頼んで筆写させてもらったものだとのことです。
・三十六人の歌人の歌を集めて歌集とすることは平安時代の昔から行われてきました。この『集外三十六人歌仙』という室町後期~江戸初期の三十六人の歌を一首づつ集めた歌集もそうした一つです。歌集自体の内容は、江戸時代に様々な本を集成した『続々群書類従(ぞくぞく・ぐんしょるいじゅう)』という本に収録されています。ただし、末尾の二首が筆写した元本の状況によるのか、通常の諸本と異なり混乱しています。どういうわけか、南北朝時代の後醍醐天皇の歌が一首と、天皇に仕えた勾当内侍(こうとうないし)の歌が二首、書かれています。また平安時代の藤原俊成(ふじわらのとしなり)の歌も書かれています。
・「集外」というのは平安時代~室町時代の作られた全21集の公的な和歌集=勅撰和歌集(ちょくせん・わかしゅう=天皇の勅命を受けて選集されたという意味)に選ばれなかった歌人や和歌を選んだというほどの意味でしょう。最初の勅撰和歌集は『古今和歌集』(905年成立)で最後の勅撰和歌集は『新続(しんぞく)古今和歌集)』(1438年成立)です。『集外三十六歌仙』に選ばれている歌人は、流派・立場の違いから最後の勅撰和歌集である『新続古今和歌集』に入集しなかった歌人・正徹(しょうてつ 1381~1459)や後代の歌人などです。

(鶴田大)
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