琉球事件 克蘭徳(グラント)氏の意見 [写] (りゅうきゅうじけん ぐらんとしのいけん)

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概要・解説文

『琉球事件に関する報知新聞抜き書き』 筆写本 1879年) 解説

 「琉球事件」は通常「台湾事件」と呼ばれる事件のことです。台湾事件とは、1871年(明治4)に宮古島の船が台湾に漂着し、乗組員が台湾住民に殺害された事件(=宮古島民遭難事件)をきっかけにして1874年には明治日本が報復行動として台湾に出兵し、戦闘の末に清朝(しんちょう)中国と条約を結ぶに至る一連の出来事のことです。
 この事件は複雑ないきさつを持つ事件ですが、琉球王国が明治日本の一部とされるきっかけとなった事件として琉球・沖縄にとっては特に重大な事件でした。明治政府が「報復行動」として台湾に出兵するということは琉球王国が明治政府の管轄下にあるという前提が無いと成立しません。このため、宮古島民遭難事件の1871年当時はまだ王国であった琉球を翌年には強硬に琉球藩として明治日本に属することを内外にアピールします。
 さらに1874年の台湾出兵の後には、台湾の領有権を持つ立場の清朝中国と北京議定書を交わします。この議定書で日本は清朝中国から賠償金を入手しますが、この文書の中で琉球民衆のことを「日本国属民(にほんこく・ぞくみん)」と表記することで、琉球が日本に帰属することが清朝中国と日本の間で承認されることとなったのです。
 その後、1879年に琉球藩は沖縄県となり完全に明治日本の一部となります。また、この台湾出兵は明治日本が行った最初の組織的・対外的な軍事行動で、その後の侵略戦争の始まりとなりました。

 この新聞抜き書きは、事件が終結してから5年後(明治12年=1879)に琉球事件を特集した報知新聞の連載記事を書き写したものです。抜き書きした人物が誰かは不明ですが、いわゆる日本「本土」の明治政府下の役人が記したもののようです。最初のページの本文上部に「私は公務の合間に新聞を読む習慣があるが、琉球事件が起きたときには国家の一大事と思い、その成り行きをハラハラしながら見守った。事件から年月を経た今、琉球事件の包括的な特集記事が連載されているのをみつけた。そこで、皆が読んだ後の職場の新聞を持ち帰り、ひまを見つけて書き写して後日の参考資料となるよう小冊子にまとめた。」という内容の書き入れがあります。

 この本は、台湾事件が明治初期の一人の役人に国家の一大事として受け止められていたことを示すと共に、伝統的な書写文化の名残りをうかがわせてくれます。明治後期になると新聞の切り抜きをまとめたスクラップブックが一般に作られるようになるようですが、明治初期にはまだ新聞は家々で購読して切り抜きするようなものではなかったのかも知れません。この切り抜きの元となった「報知新聞」とは正式には当時、「郵便報知新聞」という名称で、明治5年に発刊された新聞です。「日本郵便の父」とされる前島密(まえじま・ひそか)が中心となり全国の郵便網を活用して各地域から記事を集め人気を博した新聞です。当初は月5回刊、翌明治6年から日刊紙となりました。発行部数は1日当たり明治9年約8000部、大正12年には36万部となりました。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)
 ※項目「台湾事件」ほか参照。
『国史大辞典』(吉川弘文館 1997年刊) ※項目「報知新聞」ほか参照。
ほか

(鶴田大)
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