袖珍官員録 [明治6年] (しゅうちんかんいんろく)

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概要・解説文

『官員録』明治6年(1873)版 解説
 
 「官員録」とは明治時代前半期(明治元年~明治20年代)の公務員名簿です。「官員録」は当初、明治政府の内部文書として作成され、すぐに民間出版者による多種多様な「官員録」が刊行されていきます。 
 混乱する時代にあって、多くの国民が明治政府に陳情(ちんじょう=公的機関などに実情を訴えて改善を求めること)を行いましたが、その際に陳情先の情報を「官員録」が提供していたからです。(※「官員録」は明治19年以降「職員録」と名称変更され政府から刊行されますが、民間による「官員録」という名称での刊行も明治26年頃まで続いたとされます。明治22年に憲法が制定され、明治23年に議会政治がスタートすると、国民の陳情先も各担当部門から議員らへと変化し、こうした官員録の刊行も需要が少なくなっていったと考えられます。)
  「官員録」は本来、実用的な記録でしたが、現在では重要な歴史資料です。全体として、明治維新の中心であった薩摩藩(≒鹿児島県)や長州藩(ちょうしゅう・はん≒山口県)出身の人々が明治新政府の中心となって活躍した様子が具体的にうかがえます。
 
 この明治6年版は「官刻(かんこく)」とされていて、明治政府の指定出版業者であった「和泉屋市兵衛(いづみや・いちべえ)」らによって刊行されたものです。「袖珍(しゅうちん)」と副題が付いているのは和服の袖(そで)に入れて持ち歩ける小型本の意味で、掲載内容も簡略です。
 その後、次第に多くの民間の出版者から多種多様な「官員録」が出版されたようで、基本的内容は同じですが、省略部分・詳述部分など、編集方針が異なっていました。
 
 この年の名簿は太政大臣・左大臣・右大臣という伝統的な役職名で始まります。太政大臣の三条実美(さんじょう・さねとみ)と右大臣の岩倉具視(いわくら・ともみ)は公家(くげ)出身ですが、参議以下には西郷隆盛(さいごう・たかもり ※薩摩藩出身)、木戸孝允(きど・たかよし ※長州藩系列出身)らの名前が続き、京都の公家を除けば、明治維新の中心である薩摩藩・長州藩出身者がそのまま政府の中心となっていることがわかります。

 この袖珍版は簡略版であるため地方行政に関する掲載はありませんが、この官員録の刊行された明治6年(1873)は、前年(明治5年)以降始まった「台湾事件」という明治日本と清朝(しんちょう)中国の間で起こった軍事・外交の衝突を背景に、琉球王国が琉球藩とされ(1872年)、明治日本の一部となり始める時期です。やがて明治12年(1879年)には琉球藩が沖縄県となり完全に明治日本の一部となっていきます。

 明治以降の政府の中央集権体制は強力なものでしたが、それでも戦後しばらく(1945年~)までは「おくに(御国)は?」といえば、「日本」ということではなく「どの地域の出身ですか?」という意味でした。「官員録」は地域性を喪失しながら近代化を進める明治国家の姿を映しています。とりわけ琉球・沖縄は、明治前期に琉球王国解体~沖縄県設置(1879)の過程にあり、「官員録」はその激動の歴史の一端を証言しています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考資料)
『国史大辞典』(全17冊 吉川弘文館 )※項目「官員録」「廃藩置県」「明治維新」等の項目参照。
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス 1981年)
「ジャパン・ナレッジ」WEB版 総合辞典サイト
ほか

(調査ノート)
○この本には掲載がありませんが、明治初期の詳しい「官員録」には明治中央政府の要職者の記述に続いて「付録」として「各藩公議人(かくはん・こうぎにん)」の名簿が掲載されます。「各藩公議人」というのは明治憲法(明治22年制定)を目指すために組織された人々で、江戸時代以来の各藩の藩主本人または藩主が指名した「公議人」の名簿となっています。
明治憲法制定(明治22年)~初の議会(≒国会)の開催(明治23年)が、明治時代を前半と後半に分ける一つの画期(かっき)です

(鶴田大)
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