沖縄一千年史(原稿・2分冊) 1 (おきなわいっせんねんし げんこう 2ぶんさつ)

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概要・解説文

『沖縄一千年史』原稿 第1冊(全2冊) 真境名安興(まじきな・あんこう) ・島倉龍治(しまくら・りゅうじ) 自筆  解説

 真境名安興(1875~1933)は沖縄学と呼ばれる地域学を伊波普猷(いは・ふゆう)、東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん)らと共に作った、近代学問のパイオニアです。琉球王国時代にも多くの琉球の歴史書が作成されましたが、近代的な歴史学の方法によって詳細な琉球・沖縄の歴史を通史(=歴史全体の流れ)として描き切ったのはこの『沖縄一千年史』(1923年刊)が初です。学問分野やテーマが細分化している現代を考えてみると、実に空前絶後の試みであるのかも知れません。島倉龍治は真境名と交流があった法律家で、『沖縄一千年史』の序文を書いていて、この本の発刊に尽力した人物として知られますが、今のところ、どこまで本文内容の執筆に関わったかは詳しく知られていません。
 『沖縄一千年史』本文原稿(→資料ID1003277108,ID1003277116)と共に県立図書館に所蔵されている「関係原稿」(→資料ID1003276803)には、詳細な目次・付録となる各種年表などの試行錯誤の草稿が集められています。まさに歴史を動かした名著の胎動(たいどう)をみる思いのする原稿類です。

 『沖縄一千年史』は、それまで伝説と史実が混然としたまま語られていた琉球・沖縄の歴史を、実証的な方法で見事に情報を整理し、なおかつ歴史の流れを見通して記述した本で、琉球・沖縄の歴史を知ろうとする人々によって今も読み継がれている名著です。

 人々がよく読んだ証(あかし)として様々な逸話がありますが、よく知られるのは、この『沖縄一千年史』が誤って伝えた内容がそのまま史実としてつい最近(21世紀)まで広く受け継がれたという皮肉ないくつかのエピソードです。例えば琉球王国の外交使節の服装についてのエピソードがあります。琉球国王や江戸幕府将軍の代替わりの際に江戸を訪問した琉球王国の外交使節は中国風の服装をすることが薩摩藩の命令により強制されていた、という真境名の記述がそのまま様々な歴史書に受け継がれてきたのです。しかし近年の研究により、薩摩侵攻(1609年)以前から、琉球王国からの外交使節の正式な服装は中国の礼服にならったものであったことが確認されました。
 こうしたエピソードは『沖縄一千年史』のこぼれ話の類ですが、琉球・沖縄の歴史認識についていかに大きな影響力を持っていたかを推し量ることのできるエピソードです。こうした誤謬(ごびゅう)を含みながらも、もちろん『沖縄一千年史』の記述は全体として、その後の琉球・沖縄通史の古典であり続けています。

 『沖縄一千年史』本文原稿とこの「関係原稿」は共にその大著の自筆原稿であり、その学問的・歴史的・美術的な価値は計り知れません。自筆原稿というものは著者の思考の流れを読み解く上でも貴重な資料ですが、東アジア独特の伝統的な「書の文化」の見地からすると、内容的価値と共に、著者の見えない精神が可視的なものとなった自筆の文字はそれ自体が視覚芸術として深い価値を持っていると言えるのです。キーボードによる原稿作成が一般となっている現代においてはもはやこの自筆原稿は歴史文化財的な価値を増していくとみられます。

 この第1冊は考古学の時代や伝説の王統の記述から始まります。さらに1609年に第二尚氏(だいにしょうし)王統の尚寧王(しょう・ねい・おう)が薩摩藩の進攻を受けて、以降、薩摩藩が大きな影響力を国政に及ぼす時代までを記述しています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)※項目「沖縄一千年史」「真境名安興」ほか参照。
「毛起竜(識名盛命)『思出草』:翻刻と注釈」(池宮正治  「日本東洋文化論集」(8) 琉球大学 2002年)
 ※『思出草』の著者である盛命が真境名安興らにより『混効験集』の中心的編者や『おもろさうし』の注釈者とされていたいきさつが詳細に述べられている。
『琉球使節、江戸へ行く!』(沖縄県立博物館・美術館 展覧会図録 2009年)
 ※豊見山和行論文において、琉球王国の外交使節が中国風の服装をしていたことについて「薩摩藩の強制によるものであった」という通説が真境名安興の著述により広まったことやそれが誤解であったという説明が詳述されている。
HP「琉文21」 ※「島倉龍治」の略歴などを掲載している。
ほか

(調査ノート)
○島倉龍治は1921年から数年にわたり那覇裁判所の検事を務めた法律家として知られます。
(→HP「琉文21」参照)
島倉は序文において、この本の執筆に当たって資料となる文献や古老の話の収集を真境名と共に行ったということを述べています。またこうした琉球・沖縄の様々な分野の歴史書はすでに数多くあるが、全体を見渡す「通史」が見当たらないので、こうした本の刊行が痛感されていた、と記しており、本の構想に大きく関わったと考えられます。
○『沖縄一千年史』の記述によって一般に史実として広まり、のちに史実ではなく伝説と受け取られるようになった例として解説文の本文に挙げたエピソード以外に、識名盛命(しきな・せいめい)に関するエピソードがあります。琉球王国時代を代表する和文学(≒大和文化圏伝統の漢字仮名交じり文の文学)である紀行文『思出草(おもいでぐさ)』(1699~1700年成立)の著者である盛命が和文学を学ぶために僧侶(そうりょ)の姿をして密かに京都へ行き、平安時代の古典文学や和歌を学び和文学の第一人者となった、という伝説です。この伝説は真境名が史実として示して以来、長らく信じられてきました。しかしその後、多くの研究者らにより、当時の時代状況や伝説の根拠の検討・研究が行われ、それが史実ではなく伝説であることが広く知られるようになったようですがそれには長い時間がかかったようです。
○『沖縄一千年史』が通史の古典であったことをうかがわせるエピソードとしては、他にもたとえば、琉球・沖縄の歴史の流れを詳しく知りたいという人が、専門家から『沖縄一千年史』を読むように勧められたというエピソードや、郷土史家が琉球・沖縄の歴史を体得するために『沖縄一千年史』を全て筆写した、というエピソードなどが伝わっています。
○自筆原稿の資料的価値という意味では、原稿と活字化された刊行物の記述内容的な比較・検討もまた重要な作業です。本文の異同(いどう)や推敲(すいこう)・書き込みからは、著者の思考の流れや、この著作が留保している歴史の見方の可能性が垣間見えてくるからです。また出版や序文執筆に関わった程度の立場ともされる共著者・島倉龍治がこの本の執筆にどこまで関わったかも確認できるかもしれません。

(鶴田大)
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