琉球人近江国滋賀郡鵜川村高帳 [写本] [1786(天明6)] (りゅうきゅうじんおうみのくにしがごおりうかわむらたかちょう)

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概要・解説文

『高帳 近江国滋賀郡鵜川村(たかちょう おうみのくに しがごおり うかわむら)』(仮題)

(解説)
この文書は、江戸時代の各地域の米などの収穫高を記した「高帳(たかちょう)」と呼ばれるものです。近江国、現在の滋賀県高島町鵜川にあたる鵜川村の記録です。

末尾ページに「天明六年・・・」の記述が、表紙に「天保十四年」の記述があるため、天明六年に作成された行政文書を、天保十四年に筆写したもののようですが、内容からみるといくつかの鵜川村の収穫高に関する文書の一部分を集めたような雑多な内容になっています。
おそらくこの文書の元になった文書がすでに欠落ページのあるいくつかの文書を合わせて書写したものであったと考えられます。
行政文書の公開など一般的には考えられなかった時代ですから、こうした不完全な文書でも大切に書き写されて保管されてきたのでしょう。

表紙には「琉球人 近江国滋賀郡・・・」の記述がありますが、本文には琉球に関する記述は全く見当たりません。おそらく明治時代以降、あるいは第二次大戦後、琉球沖縄に関する史料が人々の関心を呼ぶようになったため、売買の目的で後から「琉球人」の文字を書き加えたと考えられます。
内容的には琉球との関係がみられませんが、琉球関係文書が多くの人の興味を引いていた史実がうかがわれるという意味で興味深い資料です。

江戸時代を通して何度も田畑の測量を行い、そのたびに各地域の米などの収穫高を調査して、租税の基礎資料とされました。この文書は天明六年の測量調査を元にした記録です。山林から伐採される木材など、あらゆる収穫物が米の収穫高に換算されて記されています。
この文書の内容をみると、稲葉丹後守(いなば・たんごのかみ)の所領分が294石(こく)余り、白鬚神社(しらひげじんじゃ)の所領分が483石(こく)余りであったことなどが記されていますが、「調査ノート」に記した通り、これらのデータは異なる文書の内容が混ざっているものとみられます。」

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献など)
・『日本国語大辞典』(小学館 刊)の項目「高帳(たかちょう)」
・『国史大辞典』(吉川弘文館 刊)の項目「石高制(こくだかせい)」
・『日本歴史地名大系』(平凡社 刊)の項目「鵜川村(うかわむら)」(現 高島町鵜川)など。

(調査ノート)
・高書は行政文書であり、江戸時代には現在と異なり一般の人が閲覧する機会はほとんどありませんでした。そのためか、こうした文書の写しとされている文書類には史実とは内容が異なる記述のあるものが少なくありません。行政文書の情報公開が考えられなかった時代では、関係者が控えとして持っていた文書が次々と書写されて広まっていたと考えられます。
この文書もそうしたものの一部でしょうが、内容からみると、いくつかの文書の一部を集めた内容です。おそらく写した文書がすでにページの欠落や誤記を含むいくつかの文書を写したものだったのでしょう、この文書はいくつかの文書の一部分をまとめた内容で、誤記とみられる内容も少なくありません。

・『日本歴史地名大系』の項目「鵜川村」には下記のようにあります。
「天正一一年(一五八三)八月の杉原家次知行目録(浅野家文書)に定請鵜川とあり、高一五〇石。元禄郷帳に高二五四石余とあり、膳所藩領と白鬚(しらひげ)大明神領。天明村高帳では高一八九石余ですべて白鬚大明神領。文政石高帳では高四八一石余、うち山城淀藩領二九二石余・白鬚大明神領一八九石余。天保郷帳の高四八三石余。」(※一部抜粋)
これによれば、この文書の本文1ページ目には天保郷帳の内容(白鬚大明神社領四百八十三石)が、本文2ページ目には文政石高帳に近い内容(山城淀藩領二九二石余→稲葉丹後守領「二百九十四石」)が記されています。後半は天明村高帳の内容が記されているようですが「納入下米 百五拾九石・・・」とあり、「百五十九石」は「百八十九石」の誤写とみられます。

(鶴田大)
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