伊江朝助著作集[原稿] (いえちょうじょちょさくしゅう)

ヘルプ閉じる

貴重資料ビューワーの操作

操作ボタンの説明

資料のタイプに応じて、表示するボタンの種類が変わります。


ページ切替

資料のページを切り替えます。

先頭のページ/最後のページ、前のページ/次のページ、ページ番号指定
などの基本的なページ切替操作をします。

ページ数表示

ページ切替操作の際に、ビューワー画面の右下に、現在のページ数/総ページ数が表示されます。
一定時間が過ぎると自動的に非表示になります。

ズームボタン 資料画像のズームボタンです。最小サイズ/最大サイズの切替をします。
中央に表示 資料画像をビューワーの中央に再配置します。
スクリーンサイズ切替 資料表示部のサイズを切り替えます。最大サイズの場合、右側の書誌情報エリアが非表示になります。
スケールスライダー マウスドラッグ操作で、資料画像のサイズを無段階調整します。
ページ選択 多数のページを持つ資料に表示されます。一定数ごとにページを切り替えることが出来ます。
翻刻資料を表示 くずし字で書かれた原文を楷書体に置き換えた「翻刻資料」のページを表示します。


マウスの操作について
クリック
  • 資料の前後ページ切替(右クリックは使用しません)
ダブルクリック
  • 単ページ/見開きの表示切替
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替
ドラッグ
  • 資料画像の表示位置移動
  • ダイアログウィンドウの表示位置移動(ダイアログ:このウィンドウなど)
マウスホイール
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替


解説文、その他の詳細情報

解説文などのタブについて
タブの説明
資料によって、解説文の他に詳細な説明を掲載している場合が有ります。表示されるタブの種類は資料ごとに変わります。
資料解説・概要文 貴重資料に関する主な説明・概要文が表示されます。※資料解説の末尾に記載されている氏名は、資料解説の執筆者名です。
詳細解説文 さらに詳しい詳細な説明文、資料に関する情報などが表示されます。
参考文献・調査ノート 資料の解説文作成の際に参考とした資料や、その他の情報が表示されます。


推奨動作環境

  • Internet Explorer 7以上
  • Firefox 3以上
  • Safari 4以上
次のページ
前のページ
0 /
画像を読み込んでいます…

  • 概要・解説文
  • 参考文献・調査ノート

概要・解説文

 伊江朝助(いえ・ちょうじょ 1881~1957)は琉球王家に連なる名家に生まれ、広い視野と交流により明治~昭和期の沖縄社会に大きな足跡を残した人物として知られています。朝助の曽祖父は琉球王国が明治日本に組み込まれる際に重要な判断を担った伊江王子朝直(いえおうじ ちょうちょく)です。
 前半生は沖縄における銀行や新聞などの事業を興し活躍しますが、その進歩的な考え方や手法などから尚順(しょう・じゅん 琉球王国最後の尚泰王の王子)ら伝統重視の傾向がつよい勢力と対立し、事業に挫折します。後半生には政治家として活躍し貴族院議員として国政において活躍しました。伊江朝助と尚順らの対立は根深いものであったようですが結果的には両派の切磋琢磨が、地政的にも不利な立場にあった沖縄社会・文化がかなりの程度、沖縄ネイティブの人々によって牽引され続ける一因となっているのかもしれません。

 本資料は伊江朝助の「七流(しちながれ)老人の弁(べん)」という随筆の原稿です。内容からみて朝助73歳(1954年頃)に新聞に発表されたもののようです。内容は多難な時代を経たのちの老境の悲哀をユーモラスに記したものです。「七流老人」というのは朝助本人のことで「七流」は「質流れ」と掛けたシャレです。質流れとは、お金に困って家財道具を質屋へ預け、そのまま買い戻しが出来ずに家財道具を失ってしまうことです。様々な事業にしくじり、後半生にはお金に困っていた朝助自身の半生を自嘲しています。
 文芸にも才のあった朝助らしく自詠(じえい)の琉歌(りゅうか)が記されています。琉歌は沖縄伝統の詩歌(しいか)で、独特の八・八・八・六音の定型を持つものです。
  「いくさきに迷て 日や暮れてさらめ 六十六たんめ ドゲイクルビ」
  (≒行く先に迷っていると日が暮れてしまった 66歳のタンメー(おじいさん)の私はスッテンコロリン)
  「七十三たんめ やんめ妻(とぅじ)めなち 朝夕せはことに テンヤワンヤ」
  (≒73歳のタンメー(おじいさん)である私は 病をえた妻を亡くし 毎日の生活に てんやわんや)
さらに続けて今度は大和文化圏伝統の和歌のスタイル(五・七・五・七・七音)で心境を詠じています。
  「来し方を 顧(かえりみ)すれば 次々に 病人看護(みと)る わがこの半生」
  (≒これまでの一生をふりかえってみると 妻をはじめ多くの病人を次々と看護し見送ってきたようだ)
さらに今度は大和文化圏の庶民の文芸である俳句を詠んで我が身を茶化しています。
  「びんぼうを しっかりかつぐ おらが肩」
  (≒望んでもいないのに なぜか貧乏神をしっかりかつぎ続ける私の肩なのである)

  沖縄の方言をめったに使わなかったという朝助について後年、後輩たちは「方言を使うとどうしても複雑な敬語などがあり、身分の差が出てしまうから敢えて使わなかったようだ」と語り合っています〔※『伊江朝助先生を偲ぶ』の座談会中の談話。 (参考文献など)参照〕。たしかに先の琉歌にある「タンメー」は貴族・士族の言葉であり、庶民の同義語「ウスメー」とは異なります。この随筆は、琉歌的な王朝文化を背景にしながら大和文化や大和ことばを受け入れて生きた朝助の一生を体現しているような随筆です。
(鶴田 大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
・『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1983年刊)
 ※「伊江朝助」「伊江朝睦」ほか各項目参照。
・『伊江先生を偲ぶ』(伊江朝助顕彰会 編・刊 1964年)
 ※伊江朝助の随筆のほか、後輩らの座談会、朝助年譜を掲載している。本資料の随筆については掲載なし。
・東恩納寛惇「伊江君の事ども」「伊江君を失う」「伊江朝助君を偲ぶ」
 (『東恩納寛淳全集第9巻』 第一書房 1981年刊)
・首里・那覇方言 音声データベース 「ドゥゲーイクルビ」(web: 2016年2月21日閲覧)
  http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/syll.php?area=SN&keys=%A5%C8+%A5%C9&pg=9
ほか

(調査ノート)
・原稿用紙の冒頭にある朱方印は「七流老人」。
・本文中に「貴紙の七月十九日号に(後略・・・)」とあるので、本資料の原稿が新聞に掲載されたとみられる。(詳細は未調査。)
・本文中に最近詠んだ琉歌として「七十三たんめ」とあることから、この原稿が朝助73年、すなわち1954年頃に執筆されたと考えられる。
・歴史家・東恩納寛淳は近代沖縄社会の実力者である尚順、伊江朝助のいずれとも親しく親交していた。
(鶴田 大)

しばらくお待ちください