弾を浴びた島 [山之口貘自筆原稿] A・B群 (たまをあびたしま やまのくちばくじひつげんこう)

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概要・解説文

 1958年11月6日、貘は34年ぶりに沖縄の土を踏みました。鉄道を利用し、東京から大阪経由で鹿児島に着いたのは11月1日、当時沖縄タイムス鹿児島支局に勤務していた新川明と桜島を周遊し、4日出港の那覇丸で鹿児島港を出発、6日午後3時に那覇の泊港に降り立ちました。以後、翌年1月6日に帰京の途につくまでの二ヶ月間、貘は多くの友人、知人、親戚と再会し、実家近くの仲島大石(現在の泉崎那覇バスターミナル内)を訪ね、画家の末吉安久(県立一中時代の同級生)に案内されて「ひめゆりの塔」「殉職医療人之碑」も巡拝しました。ここには徳田安信、新垣仁正、平良肇ら一中時代の3人の同級生の霊が祀(まつ)られていました。沖縄の風景は完全に様変わりしていました。まさに浦島太郎の心境です(174の削除前のタイトルは「浦島太郎」です)。戦争は沖縄の自然のみならず人々の生活習慣をもすっかり変えていたのです。方言は影を潜め、標準語が言語生活の首座を占めつつありました。〈ウチナーグチマディン ムル イクサニ サッタルバスイ〉(沖縄方言までもすべて戦争でやられたのか)というカタカナ表記には詩人のそうしたとまどいがあらわに表現されています。
 原稿群はA群(1‐159:全158枚、3種類の原稿用紙が混在)の中にB群(161‐178:全18枚、全て同種の原稿用紙)が包含されている形で保管され、B群の裏表紙(160)には万年筆で「弾を浴びた島」という総タイトルが記されています。B群の最終稿(178)が現行の本文と一致していることから判断して、原稿がA群からB群へ書き継がれたことは明らかです。そしてこうした視点から古い方のA群を眺めて見ると、最も古い原稿(1)に書かれた次のような詩句は大きな意味を持ってくるように思われます。――〈もう/と鳴くのは/本土の牛です/沖縄の牛なら/んもう〉――日本語の浸透は人間だけではなく牛の鳴き声にも反映されているように感じられたのです。牛の鳴き声から人間の会話まで、日本語は鉄の暴風以上にすさまじい威力で「島」を侵食し始めていました。崩壊しつつある島言葉に対する強い危機感―こうした危機感こそが一篇を書かせた原動力でした。それと同時に、作品の背後には、会話が会話として機能しないことへのもどかしさが横たわっています。言葉を介しての他者との違和感と言ってもいいのかもしれません。根幹にあるのは日本語、沖縄語、沖縄ヤマト口の問題です。言葉を紡ぎ出す詩人としてもっとも敏感な問題であったはずです。初出は1963年3月号「文藝春秋」。死の4ヶ月前のことです。34年ぶりの帰郷から5年の歳月が流れていました。*文中の数字は画像のデジタル番号です。原稿用紙枚数と数字が一致するわけではありません。詳細は「『山之口貘文庫』草稿細目」を御覧ください。

(松下 博文)

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