沖縄県下国宝指定建造物資料 (おきなわけんか こくほうしてい けんぞうぶつしりょう)

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概要・解説文

阪谷良之進(さかたに・りょうのしん)作成・編「沖縄県下 国宝指定建造物資料」解説

 この資料は大正~昭和初期(1920-1930年代頃)にかけて、歴史的建造物の調査・保存修理の政府の担当技官として活躍した阪谷(1883~1941)が沖縄視察旅行(1931年2月)を行った前後の文書群です。沖縄県内の歴史的建造物を文化財として保存することを国に要請するための準備メモが中心となっており、非常に貴重な文書です。阪谷が得意とした建築図面は含まれていませんが、文化財保護の行政官としての阪谷の仕事ぶりがうかがえます。

 阪谷は1929年に文部省技官として首里城正殿(既に1925年に国宝建造物に指定され1928年から補修工事が始まっていた。)の担当主任となっていました。阪谷は1931年の来沖の際に、首里城正殿の補修工事の視察の合間に、沖縄県内の歴史的建造物を数多く調査し、膨大な図面や写真・メモなどの資料を残しています。それらは「阪谷資料」と呼ばれ、その一部は沖縄県立図書館に所蔵されていて、この資料もその一つです(「調査ノート」参照)。これらの資料は元々、首里城正殿の補修や、県内の歴史的建造物を保存指定文化財とするための資料として作成された文書でしたが、その後、戦災(1945)により失われた首里城、識名園(しきなえん)などの再建に際しても重要な資料となりました。首里城や識名園が昔ながらの姿でみごとに再建された背景として、阪谷が残した資料が大きな役割を果たしたといえるでしょう。

 この資料は全体が9部に分類されています(「調査ノート」参照)。それらは先述の通り、大まかに、首里城正殿補修工事のための参考資料と、沖縄県内の歴史的建造物の調査資料の二種類に分かれます。首里城正殿の補修工事は1933年に一応の完了をみます。そして守礼門など首里城内の様々な建造物や、円覚寺など県内の歴史的建造物はその後、1933 (昭和8) 年以降に計22件が国宝に指定されます。(首里城正殿を含めると全24件がこの頃までに国宝指定された。「調査ノート」参照。)国宝指定にあたっては実際に沖縄県の建造物を実見した専門家である阪谷の意見が何よりも大きな力となったことでしょう。

 資料の随所には阪谷の文化財保護にかける情熱が伝わる言葉があります。その一部分を下記に抜き書きしてみます。難読漢字やカタカナは読みやすく改めてあります。
「(前略)琉球建築は特殊の構造形式を有し 世界建築史上、須要(すよう≒必要不可欠)なる一位置を占むる(後略)」
「(前略)一刻も速(すみや)かに之等(これら)を国宝に指定し 以て永久保存の方法を立つるは国家の至要(しよう≒最重要)の事なりと信ず」
こうした言葉は、これら歴史的建造物がシロアリや台風被害にあって激しく損傷を受けているという阪谷の訴えと共に政府(文部省)へ届けられたのです。

(鶴田 大)

詳細解説文

ここでは資料の内訳について記述します。

0.「その他」:
「沖縄 指定 参考書」と墨書された封筒。「円覚寺由緒」「首里城実測図」「瓦拓本三枚」と注記されているので、資料1、資料5 その他が入っていたとみられる。
1.「瓦拓本3点」
2.「書簡1通」: 
首里市役所の高安玉兔から阪谷に宛てた手紙。1931 (昭和6) 年頃。1897 (明治30) 年の美福門(びふくもん)から1930 (昭和5) 年の久慶門(きゅうけいもん)まで倒壊した首里城内の建造物6件について倒壊年と倒壊理由が記されている。「樽原旅館 阪谷技師殿」とあるので、既に沖縄入りしていた阪谷に届けられた資料とみられる。
3.「電報一通」:
1931 (昭和6) 年2月14日付。沖縄滞在延長を願い出ていた阪谷に宛てて、阪谷が所属する文部省から延長許可を通知する文書。
4.「沖縄建築史用 時代比較図」:
朝鮮、琉球、日本(大和文化圏)、中国の歴代王朝交替史の年表を並べたもの。「昭和六年三月調製 阪谷」とある。
5.「天徳山 円覚寺に関する資料」
6.「伊東博士第1回調査 大正12年」:
1923 (大正12) 年当時の代表的建築家で、歴史的建造物の権威であった伊東忠太が沖縄を訪問した際に県内の歴史的建造物を調査し、保存指定に向けて準備したメモの写し。阪谷の仕事の大きな助けとなったことが内容からうかがえる。
7.「沖縄県下国宝建造物修補一覧表」:
まだ国宝に決定されていない候補建造物についてのメモ。資料6の伊東忠太による調査文書の写しをもとに沖縄県下の歴史的建造物の詳細な調査内容を記述している。政府(文部省)に対して保存を要請するための文案メモもあり、阪谷が国宝指定に向けて作業を重ねていた様子がうかがえる。
8.「首里城沿革(資料) 他」:
文献資料を抜き書きしながら首里城をはじめ、県内のさまざまな歴史的建造物について調査したメモ。
9.「柳田菊造宛(メモ)」:
首里城正殿補修の工事事務所の責任者である菊造と阪谷がやりとりした手紙の下書きや、阪谷が文部省に対して予算や工期の変更を要求するやりとりをしたメモ。菊造宛の手紙の下書きには「昭和五年十二月二十四日公用発便」と注記がある。昭和5年は1930年。

参考文献・調査ノート

(参考文献)
・『首里城を救った男 阪谷良之進・柳田菊造の軌跡』(野々村孝男 ニライ社1999年)
※阪谷良之進について、遺族への取材や新資料の発見を含め、最も詳しく記されている。
・『沖縄県史 第6巻 各論編5 文化2』(沖縄県教育委員会 編・刊 1975年)
 ※検索の際は「沖縄縣史」。p.515-665「建築」。沖縄の建造物の歴史概説と共に、戦前の国宝指定一覧表が掲載されている。
・『国宝建造物』(第1-3期 阪谷良之進ほか著 国宝建造物刊行会 1933-1936年刊)
(※国立国会図書館近代デジタルライブラリーで全ページを閲覧可能。)
・『醍醐寺五重塔 平等院鳳凰堂内部装飾文様』(阪谷良之進 編 解説執筆  仏教芸術院 1923年刊)
・『甦る首里城 歴史と復元』(首里城復元期成会 編・刊 1993年)
・『名勝 識名園の創設』(おきなわ文庫 ひるぎ社 2000年刊)
・『沖縄県内文化財復元・修理等工事報告書集 4』(沖縄開発庁 1987年刊)
・『世界遺産 琉球王国のグスク及び関連遺産群』(沖縄県 2001年)  ほか

(調査ノート)
・「阪谷資料」は狭義には沖縄県立図書館所蔵の7点をさすが、広い意味では多くの所蔵機関・所蔵家が保管している阪谷が残した文書類全体をさす。
・阪谷良之進の残した資料は現在、沖縄県立図書館に『旧首里城図』(図面)、『識名御殿平面図』(図面)、『首里城付近ノ図』(図面)、『首里城正殿(沖縄神社拝殿)特別保護建造物修理工事関係資料』、『沖縄県下国宝指定建造物資料』(1931年)、『戦前の沖縄・奄美写真帳』(写真・1931年)、『国宝建築物修補資料』の七件が収蔵されている。これらの資料はどれも戦火をくぐり抜けて現存している貴重な資料であり、戦後沖縄の歴史的建造物再建に大きな役割を果たした。
・首里城が1924年に取り壊しを免れたいきさつについては有名なエピソードがある。当時、維持管理のたいへんさから取り壊しが決定されていたが、その知らせを聞いた鎌倉芳太郎(かまくら・よしたろう 沖縄県で教員として勤務し、やがて文化史家・美術家として活躍)はすぐさま、伊東忠太(いとう・ちゅうた 当時の代表的な建築家で歴史的建造物の研究・保存に関しても重要な立場にあった)に危機を伝えた。それを聞いた伊東は政府担当機関(内務省 ないむしょう)に取り壊し工事中止をかけあい、了解を取り付けた。そこで電報が沖縄へ打電され、工事開始直前に取り壊しが中止されたという。
・沖縄県立図書館の「阪谷資料」の入手のいきさつについて野々村孝男氏著作(1999年 ※「参考文献」参照)に下記のように記述されている。
「(・・・)沖縄県立図書館の「阪谷資料」は、一九八二年(昭和五十七)、東京で開催された明治古典会主催の「七夕大入札会」の目録の中から「沖縄学術調査文献」として競売に出されていることを発見し、東京の古書店を通じて購入されたものである。この阪谷資料を沖縄県立図書館が入手するために奔走したのが、当時文書課長であった宮城保さんである。多くの沖縄関係コレクターとの激しい競争入札のなか、予算の制約を受けながら、当時の大城宗清館長の協力と理解を得て、阪谷資料を沖縄県立図書館が入手した。(・・・)」
・首里城は現在、「首里城跡」として国の史跡名勝天然記念物に指定されている。
・戦前(1945年以前)に国宝指定された建造物(24件)は下記の通り。
○波上宮 朝鮮鐘(1908年指定。1945年損壊。竜頭残欠が沖縄県立博物館に、拓本が沖縄県立図書館に所蔵されている。)  ○首里城正殿(1925年指定。1945年亡失。1992年復元。)  ○首里城守礼門(1933年指定。1945年亡失。1958年復元。)  ○首里城歓会門(1933年指定。1945年亡失。1974年復元。)  ○首里城瑞泉門(1933年指定。1945年亡失。1992年復元。)  ○首里城白銀門(1933年指定。1945年亡失。1999年復元。) ○円覚寺総門(1933年指定。1945年亡失。1968年復元。)  ○円覚寺右掖門(1933年指定。1945年亡失。1968年復元。)  ○円覚寺左掖門(1933年指定。1945年亡失。1968年に一部復元。)  ○円覚寺放生橋(1933年指定。1945年一部損壊。1967年復旧。)  ○円覚寺三門(1933年指定。1945年亡失。)  ○円覚寺仏殿(1933年指定。1945年亡失。)  ○円覚寺龍淵殿(1933年指定。1945年亡失。)  ○円覚寺鐘楼(1933年指定。1945年亡失。)  ○円覚寺獅子窟(1933年指定。1945年亡失。)  ○崇元寺総門(1933年指定。1945年一部損壊。1953年復旧。)  ○崇元寺右掖門(1933年指定。1945年一部損壊。1953年復旧。)  ○崇元寺左掖門(1933年指定。1945年の戦災を免れ現存する。)  ○崇元寺第二門(1933年指定。1945年亡失。)  ○崇元寺正廟(1933年指定。1945年亡失。)  ○園比屋武御嶽石門(1933年指定。1945年一部損壊。1956年復旧。)  ○末吉宮本殿(1936年指定。1945年一部損壊。1972年復旧。)  ○沖宮本殿(1938年指定。1945年亡失。)  ○弁が嶽石門(1938年指定。1945年亡失。) 以上24件。
しばらくお待ちください