山水図 (さんすいのず)

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概要・解説文

(木村)探元(たんげん)筆 『山水図(さんすいのず)」解説


 薩摩(鹿児島)出身の探元(1679~1767)は薩摩を代表する画家で、琉球最大の文化人の一人として名高い程順則との交流でも知られる画家です。探元は若い頃、江戸に出て当時の日本最大の絵の流派である狩野派(かのうは)に絵を学びました。その後、画家として京都御所襖絵などの大仕事をしたのち薩摩へ帰り藩の公式の画家として襖絵(ふすまえ)や屏風絵(びょうぶえ)などを描き活躍しました。
 画面には水辺に作られた庵(いおり)で読書・執筆にいそしむ文人が描かれ、背景に遠山が悠然と描かれます。こうした絵は「書斎図(しょさいず)」と呼ばれ、現実の場所ではなく、「見てみたい」「行ってみたい」そしてそこで「遊んでみたい」という理想の風景(ユートピア)を描いたものです。

 琉球の程順則(ていじゅんそく)とは、程の江戸への行き帰りの際などに何度も会っています。程順則が琉球から使者として中国清朝を旅した様子を描いた『雪堂燕遊図(せつどうえんゆうず)』(所在不明)や『程順則像』(所在不明。『東恩納寛惇全集5』に写真あり。)が伝わるほか、探元・画、順則・書の共作「中山花木図」の模写本(原本は所在不明)が現存しています。

(鶴田大)

詳細解説文

(木村)探元(たんげん)筆 『山水図(さんすいのず)』解説(詳細版)


 この絵は琉球と深いつながりがある薩摩藩(鹿児島県の一部)の御用絵師(藩の公式の画家)の描いた絵として興味深いものです。探元(1679~1767)は、琉球の代表的な文人・役人である程順則(ていじゅんそく)との交流が深く、探元筆の『程順則像』(所在不明。東恩納寛惇『沖縄今昔』1955年、『東恩納寛惇全集5』それぞれに冒頭に写真掲載あり。)はじめ、程順則の中国(清朝)旅行を描いた『雪堂燕遊図』(所在不明。『木村探元展』『木村探元小傳』参照)が知られるほか、探元・画、程順則・書の共作「中山花木図」の模写本(原本は所在不明)が数点現存しています(首里城公園他)。
 薩摩出身の木村探元は、若き日に江戸へ出て当時の日本最大の絵の流派である狩野派(かのうは)の本家の狩野探信(たんしん)に絵を学びました。そして「法橋(ほっきょう)」という、画家としては、なかなか得られない位(くらい)を得て薩摩へ戻り藩邸の襖絵(ふすまえ)や屏風絵(びょうぶえ)など公的な絵を描いて活躍しました。探元の生涯や程順則との関連については『木村探元小伝』や自伝である『三暁庵随筆』にも詳しく書かれています。                                                     
 図様は典型的な「書斎図(しょさいず)」で、水辺に作られた庵(書斎)に読書・執筆にいそしむ文人が描かれ、背景に遠山が悠然と描かれます。実はこうした風景画はどこか特定の場所・人物を描いたものではなく、「見てみたい」「行ってみたい」そしてそこで「遊んでみたい」という理想の風景(ユートピア)を描いたものです。中国や日本の山水画(さんすいが)は実際の風景を描いたもの(実景図)より架空の風景を描いたものが圧倒的多数を占めます。それらは俗世間から離れて、思う存分に読書・執筆・趣味に没頭したいという文人たちの理想の風景でもあるのでしょう。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『木村探元展 近世薩摩画壇の隆盛』(鹿児島市立美術館1987年)
『木村探元小傳』(公爵島津家臨時編輯所 坂田長愛 編 1926年)
『東恩納寛惇全集5』1978年
『名護親方程順則資料集1 – 人物・伝記編 - 』(2005年 名護市教育委員会編)

(調査ノート)
・絹本墨画一幅。仕立ての入念なしっかりとした表装。
・大進法橋(タイシン ホッキョウ)=外題。
(大進は位階の一つで従六位上(じゅろくいじょう)に当たる。法橋は元々は僧侶の位階を定めた僧綱=ソウゴウの位の一つ。平安後期以降に絵師、仏師らにも授けられる位となった。絵師の場合、(上位から)法印(ほういん)、法眼(ほうげん)、法橋(ほっきょう)などが授けられた。法印、法眼などは狩野派などの御用絵師に授けられるような最高位であり中々、授与されない。「古法眼(こほうげん)」と云えば狩野派の確立者、狩野元信を指す。法橋の位を得る絵師も限られている。御所の仕事にも携わった町絵師(まちえし)俵屋宗達(たわらやそうたつ)は法橋位を得ている。)
・木村探元(きむらたんげん1679-1767)は薩摩出身の狩野派(かのうは)の絵師。江戸で狩野探信に学んだのち薩摩藩の御用絵師となる。
※雅号は本来、日常の身分・立場から自由になるために自分自身に付したものであり、姓と共に用いるのは不適切。しかし文人・画家ら本人が姓と共に用いる場合もあるので扱いには注意が必要。また、索引上の便宜についても考慮が必要。例えば「漱石」なども通常は「漱石」とのみ用いるが、出版する場合など出版社の都合であろうか、「夏目漱石」と記す。本人は「夏目」という姓を使う場合は「夏目金之助」と記すのが通常。
・探元と琉球(程順則)との関係→(cf.東恩納寛惇『沖縄今昔』1955年・p.6-8 、『東恩納寛惇全集5』1978年・口絵(程順則の肖像)と解説文)→それによると、程順則は正徳五年正月十三日に近衞家熙(いえひろ=予楽院)のために予楽院の別荘・物外楼において「物外楼記」を記した。それから薩摩へ帰り、薩摩の島津公の依頼により同年三月三日に探元画の「雪堂燕遊図(せつどう・えんゆうず)」に題詠したしたとされる。その絵は現存しないが、画賛の全文掲載が『島津国史』にありその転載が『名護親方程順則資料集1 人物・伝記編』(名護市教育委員会2005年 第三版)にある。その他、『名護親方程順則評伝』(眞栄田義見 1982年)、『木村探元展 近世薩摩画壇の隆盛』(鹿児島市立美術館1987年)、『木村探元小傳』(公爵島津家臨時編輯所 坂田長愛 編 1926年)等参照)
・また、その折り(正徳五年)のものとみられる『程順則像』が同書(二冊とも)にモノクロで掲載されている。これは当時の県立博物館主事の外間正幸氏が福岡の名護家の子孫に会った際に確認された家蔵の程順則画像。(現存かどうか不明。要調査。)図様は梅枝の下に文机を背に唐装束をした程順則が座しているもの。年代から程順則五十二歳頃の画像とみられる。画面上の識語に「雪堂行楽図 呈程寵文老先生、併求教正、薩陽探元筆」とあるとのこと。(*掲載図版上では判読不明。)
「(・・・)探元は度々程氏に面会して悉くその学徳に傾倒し、その『三暁庵随筆』には、「実直のかたき人にて、雑談などもいはざる人のよし」とあって、この先入観の下に構成された図案のように見受けられる。(・・・)これは薩摩名誉の画伯であり、且つ度々面会もし、又その制作年次も明白であるから、程大人の面目を伝えるのにこれ以上のものはない筈であるのに、温厚和順の文人らしい風格は十分に現れているが、他の絵像に見られるような個性は認められない。(・・・)私自身はこの文人画に依って、程氏の面目を捉えることの出来ないのに、むしろ失望した。それにつけても、彼の無名の絵像に程大人の真面目を偲ぶものである。」(『沖縄今昔』口絵部分解説。)
・探元筆・程順則賛の「中山花木図」〔原本散逸〕の模本が首里城公園、岩瀬文庫、宝玲文庫などにある。→柴田光彦「 「中山花木図」新攷 程順則の讃をめぐって-ハワイ大学蔵宝玲文庫本と首里城公園蔵本から-」(「沖縄学」沖縄学研究所紀要、第10号。2007年3月)
・参考)程順則『雪堂燕遊草』(県立図書館)→北京へ行った際の詩文集。探元が『雪堂燕遊図』を描く際に参考にしたと考えられる。
・『名護親方程順則資料集1 – 人物・伝記編 - 』(2005年 名護市教育委員会編) 県ト 2F郷土、1F沖縄に両方あり。貸出可能。
・『三暁庵随筆』(探元自伝)
 
(鶴田大)
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