秋景山水図 (しゅうけいさんすいず)

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概要・解説文

鶴渚(かくしょ)画『秋景山水図(しゅうけいさんすいず)』;王鳴盛(おう・めいせい)ほか画賛 解説

 

  5つの画賛(がさん=絵に添える詩文)から、この作品は清朝の文化的黄金期・乾隆(けんりゅう)帝時代(1736-1795)の有名な文人らが、恩師「哲堂(てつどう)先生」に贈ったものとわかります。現在の私たちも色紙に寄せ書きなどをしますが、何とも心のこもった寄せ書きがあったものです。寄せ書きをしているのは絵を描いた鶴渚(かく・しょ)、考証学者として有名な銭大昕(せん・たいきん)と王鳴盛(おうめいせい)、やはり文人として活躍したとみられる香金(こう・きん)と泰大士(たい・だいし)の五人です。

 詩文内容にある「丁丑秋(ひのと・うし・あき)」「送南施(なんせへおくる)」「送帰婁東(ろうとうへかえるをおくる)」などの語から、この作品が1757年、哲堂が蘇州・南施村へ行く(帰る)際のものということもわかってきます。早熟だったと伝えられる11歳の鶴渚(1746-1803)の風景画を中心に、思い思いに詩文を作り、寄せ書きをしています。

 哲堂がどのような人物であったか今後詳しい調査が必要ですが、中国江南地方(長江=揚子江の南岸地域)で活躍した文人かと考えられます。絵と自画賛(じがさん)を書いている鶴渚は浙江省(せっこう・しょう)出身、画賛の詩文を書いている王鳴盛(1720-1797)、銭大昕(せん・たいきん1728-1804 )はいづれも江蘇省(こうそ・しょう)の出身で、香金(詳細不明)と泰大士(詳細不明)も親しみを込めて江南の風景を詠んでいるからです。

 画家である鶴渚自らがこの絵につけた題名は「松渓泛艇(=しょうけいに、ふねをうかべる)というもの。理想の風景の中で舟遊びをしたり、書斎では思う存分に書画・学問を楽しんでほしいという、弟子たちの願いが込められているのでしょう。それぞれの詩文も秋の風景を讃えながら、老先生への感謝や、別れを惜しむ心持ちが様々に表現されています。

 ところでこの作品については、入手したいきさつを旧蔵者の東恩納寛惇が随筆の中で触れています。何でも、昭和8年(1933年)に福州大和館(ふくしゅう・やまとかん)に滞在していた折、古い香炉(こうろ)を売りに来た商人(=骨董商)から15円で購入した、とのことです。「人民革命(じんみんかくめい)」(=毛沢東・もうたくとう らの共産党による政治活動) が動きだした頃で商人もあわてて売り払ったのか、思いがけぬものを入手できた、として次のように述べています。「考証学(こうしょうがく)の大家(たいか)銭大昕(せん・たいきん)の張りまぜ(=複数の人の書画が貼り合わされている掛け軸などのこと) を15円で買ったのもこのときである。これは某氏の送別宴に於ける贈詩(ぞうし)を一幅(いっぷく)に仕立てたもので、その中に銭大昕がある事を気付かなかったのか、又は銭氏を知らなかったものと見える。」

 
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『中国人名辞典(上古~近世)』(難波常雄ほか編 1984年復刻 日本図書センター刊)
『中国絵画史』(鈴木敬 著 全八冊 吉川弘文館 1981年)
『中国絵画史事典』(王泊敏 雄山閣 1996年)ほか
『東恩納寛惇全集9 』(第一書房 1981年刊)※p.330「ソバ香炉」に関連記述あり。

(調査ノート)
・丁丑(ていちゅう=ひのと・うし)秋は1757年秋。王鳴盛らの画賛にある年記。
・壬辰(じんしん=みづのえ・たつ)秋=1772年秋。画を描いた鶴渚の自画賛にある年記。
1757年という年記は複数の人士が記しているから間違いないとすると、当時、鶴渚がまだ少年(数え歳の十二歳。)であったから、自画賛の干支を間違えたのか、あるいは、早熟であったとはいえ、画賛は後年になってから書き足したものかもしれない。文字の様子や「堂」という文字の書き誤りなどから、おそらく干支を間違えたものとみられる。
・奚岡(けいこう、雅号は鶴渚)は浙江省出身の文人。1746-1803年。書家、画家、篆刻家として知られる。
・銭大昕は江蘇省嘉定県出身の文人。1728-1804年。1754年の進士。1775年の広東勤務を最後に帰郷。後進の指導に当たる。
・王鳴盛は江蘇省嘉定県出身の文人。1720-1797。1754年の進士。経学を恵棟に学び、詩文は沈徳潜に学んだ。
考証学者として名高い。
 
(鶴田大)
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