国王頌徳碑(石門之東之碑文) [拓本] (こくおうしょうとくひ  いしじょうのひがしのひもん )

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概要・解説文

国王頌徳(しょうとく)碑(石門之東之碑文=せきもんのひがしのひぶん)拓本(たくほん)解説

 

  海洋国家・琉球王国の黄金期を現出したとされる第二尚氏第3代・尚真王(1465-1526)の偉大さをたたえる石碑の拓本です。国王頌徳碑と呼ばれる石碑は記録上も含め三点知られるので、他と区別するために「石門之東之碑文(せきもんのひがしのひぶん)と付記されます。石碑自体は1522年(嘉靖元年)、守礼門を入ったところの石門付近に建造されましたが残念ながら沖縄戦(1945年)で失われてしまいました。しかしこの拓本のおかげで全体の姿が現在も詳しくわかっています。こうした拓本が県立図書館には多く保管されているのでこれらを手がかりに失われた石碑を再建しようとする事業が進んでいます。

 

 書かれている内容は①宮古島から宝剣と真珠(まだま)が献上された。これは尚真王の時代の明るい未来の前兆である。②昔から国王などが亡くなった際に人々が殉死(じゅんし)する習慣があったが、尚真王はこの習慣は好ましくないと考え、廃止すると宣言した。・・・というもの。内容的にも重要な歴史資料となっています。文章をまとめ、元となる書を書いたのは円覚寺(首里城隣接の寺)の僧・仙岩だと文面からわかります。

 琉球王国では、石碑を含めた公文書に漢字と共に琉文(りゅうぶん 漢字仮名交じり文の母語)が盛んに使用されていて、これはヤマト文化圏(日本本土の公文はほとんどすべて漢文だった。)には無い特徴とされる点です。この碑文ではタイトルが琉文で、本文が漢文で書かれています。

 またこの石碑は石造物としても書としても琉球文化を代表する美術品として高く評価され沖縄・琉球文化財を選び抜いた美術全集にも堂々と掲載されています。

 
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『石碑復元計画調査報告書』(那覇市 2004年)
『沖縄大百科事典 中』(沖縄タイムス社 1983年 ※「国王頌徳碑」項)
『刻まれた歴史 沖縄の石碑と拓本』(沖縄県立博物館友の会 1993年)
『沖縄美術全集 4』(沖縄タイムス社 1989年)ほか

(調査ノート)
・1522年(嘉靖元年)、守礼門奥の石門の東側に建立されたが沖縄戦(1945年)に亡失。
・この時期(古琉球時代)に典型の双龍雲文、唐草文が施されている。
・守礼門の奥、真玉道の入り口(石門)の東側に建てられた碑文で、国王(第二尚氏第三代尚真王)の徳を讃える内容が主となっている。また、王の死去等に際しての殉死を禁止する画期的な内容も記されている。
・琉文(漢字仮名交じり文)のタイトルに続き、漢文で①宮古島から宝剣(冶金丸)と真珠(まだま)を贈られたことを述べ、これは尚真王の治世がますます良いものであることのしるしであることを祝している。また、舜天王以来、殉死の習慣があったが尚真王は「この習慣はよくないから廃止する」と宣言したと述べている。
・文章は首里城横の円覚寺(えんがくじ)の僧、仙岩(せんがん)の撰・書。
・金石文は貴重な歴史資料であり、また石彫装飾や書として美術資料という側面も持っている。
・国王頌徳碑はこの他、二つが知られている。「荒神堂の北の碑文」は円覚寺内に建てられた弘治十一年のもので、その文字は伊波普猷の『琉球古今記』の題字に使用されている。筆者不明とのこと。沖縄戦(1945年)で破壊されたが破片の多くが残存し、県立博物館に保管されている。戦前の拓本が県立図書館に保管されている。もうひとつは弁が嶽の参道入り口にあった「かたのはなの碑」と呼ばれる。沖縄戦で破壊され失われた。拓本も残されていないが、銘文は『中山世鑑』の「碑文記」に掲載がある。以上、全部で三件の「国王頌徳碑」が知られる。
 
(鶴田大)

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閉じる国王頌徳碑(石門之東之碑文)および真珠湊碑文 復元碑高解像度の画像を表示(0px × 0px)
左側:国王頌徳碑(石門之東之碑文)復元碑、右側:真珠湊碑文 復元碑。 元碑の所在位置は、真珠道の起点。

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