仁術能知 (じんじゅつをよくしらば)

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概要・解説文

(奥村)梅皐(ばいこう)自筆 漢詩文「仁術能知(にんじゅつをよくしらば)」解説

 

  梅皐(1880-1945)は大阪出身の評論家、ジャーナリスト。この書は東恩納寛惇に贈られたもので、それは末尾の「虬洲(きゅうしゅう=寛惇の雅号・がごう)先生の為にこれを書いた、正しきを乞(こ)う」という内容の記述からわかります。この作品の旧蔵者・東恩納寛惇(1882-1963)より書いた梅皐のほうが二歳年長になりますが、ずいぶんかしこまって漢詩を作り、それを自分で書いています。梅皐が漢詩文を得意としていたことは伝わっていますが、さすがに歴史家で漢学の大家、寛惇には教えを請うという態度だったのでしょう。

 どういういきさつで梅皐が寛惇に漢詩文を書して贈ったのかはわかりませんが、ジャーナリストとして幅広い活動をしていた梅皐、歴史家として琉球・沖縄、アジア研究の第一人者であった寛惇との交流がしのばれる作品です。

 漢詩の内容も寛惇を讃える内容で、「仁徳を施す方法をよく知る人は、為すべきことを明確に知っている。門下生たちの学業は日々進歩する。その古今東西にわたる博識ぶりは卓越している。仁徳を施す方法を知る当代の最も有名な歴史家こそ、この方(=寛惇)だ。」というような意味でしょう。

 寛惇を讃える気持ちを正直に表現したのでしょうが、あまりにストレートな感じもします。もしかしたら梅皐は、何かジャーナリストとして仕事上で助けられたお礼がてら、この詩を寛惇に書いて贈ったのかもしれません。残されている写真通り常に厳しい表情で、寡黙でまじめだったという寛惇ですが、この詩を贈られて一体どんな顔をしたことでしょう。

 昭和20年、故郷大阪で空襲が相次ぐ頃に亡くなった梅皐との間にどのような交流があったのかも興味深いものがあります。

 
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『日本近代文学大事典』(全六巻 講談社 1977年刊)
『東恩納寛惇全集』(全十巻 第一書房 1978-1982年刊)
日本ペンクラブ電子文藝館HP ほか

(調査ノート)
・紙本、軸装。七言絶句、草書。
・仮軸装。本紙の上部に楷書で本文内容を書き写している。
「仁術能知義心明。門生學業日「新成。博通今古才超等。歴史家「中最有名。」
「為「虬洲(きゅうしゅう)先生、詩 并(ならびに)書、乞正 梅皐」
・虬洲(きゅうしゅう)は東恩納寛惇の雅号(ペンネーム。寛惇の場合は専門の歴史研究論文を書くとき以外に、たとえば漢詩・短歌などを作る際に名乗る。)で、「虬」は古い文献に琉球を書き表す際に使われた「流虬」による。
・「梅皐」、「在精神」、「趙洛堂印」朱方印が三顆。(「梅皐」印のみ白文朱方印。)
・(奥村)梅皐は本名、恒治郎。大阪出身の評論家、ジャーナリスト。
・1880-1945
・近代文学の黎明期に活動し、雑誌「新声」記者、さらに「大阪毎日新聞」記者を務めた。
・1896年、「新声」を発刊した新声社は新潮社の前身で、発行者は佐藤義亮(ぎりょう)。
(鶴田大)
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