杏花深所好 (あんずのはなふかきところをこのむ)

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概要・解説文

尚元魯(しょう・げんろ)自筆 漢詩文「杏花深所好(あんずのはな、ふかきところをこのむ)」解説

 

 尚元魯(1805-1854 浦添朝憙=うらそえ・ちょうき) は琉球王国時代後期を代表する政治家・文人です。国政を担当する三司官(さんしかん)の中でも特別職である国相(こくしょう)にまでなった人です。
 当時の琉球の政治家・文人らしく和歌(当時の大和文化圏の公式の文学)も漢詩も得意としました。当時の東アジアは比較的平和な時代であり、文化外交において欠かせないものだったからです。書もそうした学芸の一つで、元魯も力強い書で有名です。
 
 漢詩文の大意は「春のアンズの花は山深い所を好んで咲く。柳の初々(ういうい)しい葉は朝(≒暁・あかつき)を迎えるごとに新鮮で美しい。」というものです。のどかな春の風景を詠んだものです。アンズの花が山深くに咲く、というところには、中国唐代の詩人・杜牧(とぼく 803-853) の有名な詩「清明(せいめい)」のイメージが重ね合わされているようです。
 「清明」の内容は、春(≒清明・せいめい)の頃、旅をしていたら雨が降って何だかうっとおしい気分になった。気分を晴らそうと通りかかりの牛に乗った少年に「どこかに酒が飲めるところはないだろうか」と聞くと少年は「ずっと山奥の杏花村(きょうかむら)にあります。」と答えた、というもの。春雨の中の夢幻(むげん)的なイメージで古来、愛された詩です。

 

 昔から詩歌(しいか)を作るときには、古典(=有名な詩歌)のイメージを借用しながら、より豊かな味わい深いイメージの獲得を目指しました。伝統的社会では古典が共有されていたのでそのようなことも可能だったのです。この詩もそのように、多くの人が知っている杜牧の春の詩のイメージを借りて詠んだものでしょう。

 

 漢詩のやわらかく幻想的な内容と、元魯の力強い書のイメージは少し、そぐわない感じもあります。残された筆跡からすると、元魯は和歌を書くときも、漢詩を書くときもこのように力一杯に書いていました。壮大な自然を歌ったり、おめでたい晴れの詩歌を書くときにはすばらしく映えました。快活で一本気(いっぽんぎ)な気性だったのかもしれません。とはいえ、こうした繊細な詩を書くことで、元魯は普段人前で表現できない自分の一面を表現しようとしていたのかもしれません。昔の政治家たちはともすると緊迫しがちな外交関係を、こうした文芸を通して互いの人間性を開示(かいじ)しながら、緊張感をときほぐし、信頼関係を築いていったようです。署名に「中山(ちゅうざん) 尚元魯」とあることから、この書も外遊先で先方の人の求めに応じて書かれたか、あるいは外国からの訪問客に対して贈呈されたものとわかります。「中山」というのは当時、外国に対して琉球王国(中山王府=首里王府)のことを示す言葉として使用されていました。

 

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『近世沖縄の肖像 下』(池宮正治 著 おきなわ文庫 1982年刊)
『未公開作品による琉球王朝の書画』(1992年)              ほか

 

(調査ノート)
・尚元魯=浦添王子朝憙は、1842年の琉球使節(将軍徳川家慶=いえよし)の就任を祝う使節団)の副使として江戸まで行っている。道中を詠んだ漢詩は鄭元偉(てい・げんい)らと共に漢詩集「東游艸(とうゆうそう)」としてまとめられ、道中の薩摩藩に贈呈された。薩摩藩はのちにこの詩集を刊行して、琉球へ贈呈している。
・尚元魯の書は掛け軸、短冊などに漢詩、和歌などが数多く残されている。
和歌については王府時代末~明治にかけての政治家・文人である宜湾朝保がまとめた和歌集『沖縄集』などに収められている。

 

(鶴田大)

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