総官野国由来記 [拓本] (そうかんのぐにゆらいき)

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『総官野国由来記(そうかん・のぐに・ゆらいき)』拓本(たくほん) 解説

 1605年に中国から蕃藷(ばんしょ≒甘藷(かんしょ)、サツマイモ)を琉球に伝えたことで有名な野国総官(生没年不明)を讃えて1751年に野国(現・嘉手納町)に建立された記念の石碑の拓本です。野国総官については野国出身の総官(=外交に携わる役人)であったことが知られていますが本名など詳しくはわかっていません。
 いづれにしても野国総官が甘藷を伝えたことは社会的にたいへん大きな出来事でした。当時の食糧事情は現在の沖縄では考えられないほど不安定で、農作物の収穫が乏しい年には多くの人々が飢えに苦しむ状況でした。野国が伝えた甘藷はやがて儀間真常(ぎま・しんじょう)らの努力により沖縄全土に広まって行きました。甘藷はさらに薩摩藩を通して当時の「日本」にも伝えられ、救荒(きゅうこう)作物として重要なものとなっていきました。現在の「サツマイモ」という呼称も薩摩から「日本」全体に広まったためです。

 この「総官野国由来記」という石碑を建てたのは野国総官の6代目の孫で、首里に住んでいた比嘉筑登之(ひが・ちくどぅん ※筑登之は官位名)という人です。石碑自体は現在は行方不明となっていて、この拓本がその姿を今日に伝えています。
 碑文の内容は「1605年に野国総官が中国から蕃藷を持ち帰り、初めて野国村に植えた。やがて儀間真常が噂を聞き及んで栽培法の教示を乞うた。野国は詳しく栽培法を教え、野国、儀間の死後も蕃藷は国中に広まって行き、多くの人々が救われた。1700年には野国の地頭(=領主)が私費で野国総官の立派な墓を造り直し、あがめた。野国総官はますます尊崇されることとなった。」というもので、漢文で書かれています。

 ところで拓本というと単なる転写物のように考えられがちですが、歴史的には史料として美術品として重要な役割を果たしてきました。それは一つには原本(げんぽん)である書額(しょがく)や石碑、梵鐘(ぼんしょう)では見えづらい筆使いやかたちをはっきりとみることができること、もう一つには原本そのものが失われてしまうことが多かったからです。すぐれた拓本は、書や彫刻のお手本としても大切にされ、また鑑賞用に掛け軸にされたり法帖(ほうぢょう=書法のお手本を集めた本)にされたりしました。この拓本もこの時期の書風をうかがう貴重な資料でもあります。
 
 この拓本は歴史学者・東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん)旧蔵のものです。寛惇の著述(※全集9, p349)によると彼は、朝鮮で採拓技法を習得した久場政用(くば・せいよう)に依頼して「旧琉球の文化遺産たる金石文(きんせきもん=木や石や金属に刻まれた文)のほとんど全部」の拓本を収集したということです。
 これらの拓本は、戦争などで破壊された石碑などの復元事業や歴史研究に大きな役割を果たしています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社刊 1981年) ※項目「野国総官」「総官野国由来記」など参照。
『東恩納寛惇全集』7,9 (第一書房 1981年刊)
 ※第7巻に収録の「南島風土記」p.612~615に「総官野国由来記」について詳述あり。
『石碑復元計画調査報告書』(那覇市 2004年刊)
『刻まれた歴史 沖縄の石碑と拓本』(沖縄県立博物館 1996年刊)
『首里城正殿の鐘と墨絵「光と影の世界」』(小島瓔禮・金城美智子 著 沖縄総合図書 1991年刊)
『沖縄の文化財Ⅲ 有形文化財編』(沖縄県 1997年刊)
『書の総合事典』(柏書房 2010年刊)
嘉手納町ホームページ
ほか

(鶴田大)
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