首里那覇図 (しゅりなはのず)

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概要・解説文

阿嘉宗教(あか・そうきょう)画『首里那覇図』解説

 宗教(1828頃~1890頃)の詳しい経歴は不明ですが首里王府の貝摺奉行(かいずりぶぎょう)の画家だったと考えられます。貝摺奉行の業務は広範囲で、測量と地図作成もあり、この絵には地図的要素と絵画性が見事に一体化しています。首里城・那覇港の絵は琉球絵画の主要なジャンルで多くの作品が現存します。この絵はその伝統の最終期を飾る名作です。遠景はほぼ水平方向から、首里城や画面中央の風景ははるか上空から見渡すように、近景はやや視点を下げて迫り来るように広がります。こうした自在な視点移動により、海に囲まれた琉球の大地が四角い画面いっぱいに活き活きと描かれています。家並みなどのモチーフをていねいに精密に描くさまは、宗教がこの土地を生活と測量によって知り抜いていたことをうかがわせます。
 
(鶴田大)

詳細解説文

阿嘉宗教(あか・そうきょう)画『首里那覇図』解説(詳細版)

 宗教(1828頃~1890頃)の詳しい経歴は不明ですが首里王府の絵画制作を担当する貝摺奉行(かいずりぶぎょう)の画家だったと考えられます。貝摺奉行の業務は広範囲で、文字通り漆器を貝で飾る螺鈿(らでん)の図案作成から染織のデザイン、さらにきわめて高度で琉球独自の技術・文化であったとされる測量と地図作成もしました。首里城・那覇港の絵は琉球絵画の主要なジャンルで実にたくさんの作品が現存しています。それらの絵は測量技術もあった画家らの作品らしく地図のようでもあり絵のようでもあります。

 首里城・那覇港の絵(首里城那覇港鳥瞰図)の様式を確立したのは屋慶名政賀(1737~1800)であったとされます。その作品『首里那覇全景図屏風』は戦災で焼失したが幸いにモノクロ写真が残されています。政賀の描いたこの作品は、水墨画の様式によって記録性と芸術性を両立させている(鎌倉芳太郎 『沖縄文化の遺宝』参照)とか、「慶良間諸島の島形が、首里から眺望したように写実的に描かれていて、他の首里城那覇港鳥瞰図の同諸島のモデルになったと考えられる」(『「琉球絵画」展』所収 安里進論文 2009年)と高く評価されている。本図もまた政賀の影響を受けていると考えられますが、他の作品群と比較しても独自の点も多く見られ、首里城・那覇港図の伝統の最終期を飾る名作といえるでしょう。そのことは様々な琉球史の書籍にこの絵が掲載されていることからもうかがえます。
 この絵の特に見事な点はたとえば宗教の視点の自在さです。遠景はほぼ水平方向から、首里城や画面中央の風景ははるか上空から見渡すように、近景は海の広がりを感じさせるようにやや視点を下げて遠近感を出しています。こうした自在な視点移動により、海に囲まれた琉球の大地を四角い画面いっぱいに描いています。家並みや田畑、水路や道を歩く人々をていねいに精密に描くさまをみると宗教がこの土地を生活と測量によって知り抜いていたことがうかがわれます。
 
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(主要参考文献)
『「琉球絵画」展』沖縄県立博物館・美術館図録 2009年
『沖縄大百科事典』上巻(1983年)※「貝摺奉行(かいずりぶぎょう)」の項
安里進「近世琉球の地図製作と戦前作成の琉球諸島地形図」(『大正昭和琉球諸島地形図集成』1999年 所収)
『琉球国絵図資料集』(Ⅰ~Ⅲ 沖縄県教育委員会 1992~1994年)
『沖縄文化の遺宝』(鎌倉芳太郎 1982年)

(調査ノート)
・阿嘉宗教(あか・そうきょう)→1828年頃~1890年頃。絵師。真境名安興の「阿嘉画伯の事」(自筆「備忘録」所収)に明治二十二、三年頃、六十四、五歳で亡くなったと書かれている。
(『「琉球絵画」展』沖縄県立博物館・美術館図録 2009年)
・1879年、軍医として来琉した渡辺重綱は近代琉球最初のガイド本『琉球漫録』を刊行したが、その際、阿嘉宗教(善秀)の『首里那覇図』を付録としたという。(HP「琉文21」より→新城栄徳「うちなー書の森 人の森③」(2003年8月9日 沖縄タイムス掲載)
・首里王府において絵画制作は、貝摺奉行所の絵師の仕事であった。彼らの業務は広範囲にわたり、染織・漆器等の下絵・文様図案、障壁画・屏風絵などの制作のほか、王族の装束仕立て、さらに絵地図の作成も業務だった。
・琉球の測量技術が日本とも中国とも異なる独特のもので非常に精密であったことは知られている。貢租の確保や土地利用計画等の実務的な意味をはるかに越えるもので、或る種の技芸文化であったとさえ考えられている。(参考文献3 参照。)
・首里城那覇港鳥瞰図は琉球絵画の重要な主題であり数多くの作品が残されている。
・首里城那覇港鳥瞰図の様式を確立したのは屋慶名政賀(1737~1800)であったとされる。その作品『首里那覇全景図屏風』は戦災で焼失したが幸いにモノクロ写真が残されている。政賀の描いたこの作品は、水墨画の様式によって記録性と芸術性を両立させている(鎌倉芳太郎 ※参考文献4 参照)とか、「慶良間諸島の島形が、首里から眺望したように写実的に描かれていて、他の首里城那覇港鳥瞰図の同諸島のモデルになったと考えられる」(安里進 ※参考文献1 参照)と高く評価されている。
・本図もまた政賀の影響を受けていると考えられるが、他の作品群と比較しても独自の点も多く見られる。最も大きな特徴は四角い画面一杯に陸地と海を描き空が描かれる余地がほとんど無い点だろう。精緻に描かれた家並みや田畑、森林は河川と海と入り組みながらまるで精密な地図のような印象さえある。画家の視点の高さがほとんど航空写真の高度に達しているにも関わらず、巧みに地形を湾曲させて立体感を持つ陸地を画面一杯に描いている。水墨画的な遠近法とも西洋絵画的な遠近法とも異なり、視点を自在に移動させながら広大な空間を親密に描写している。
 
(鶴田大)
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