琉球国之図(薩摩藩調製琉球図) (りゅうきゅうこくのず(さつまはんちょうせいりゅうきゅうのず))

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概要・解説文

『薩摩藩調製琉球図(さつまはん・ちょうせい・りゅうきゅうのず)』解説  

 

 この地図の制作年代はその記載内容などから1700年代後半とみられています。首里王府が作成した「間切島針図」(1737~1750年)を縮小改訂した「琉球惣絵図」(1700年代後半)をさらに縮小改訂したものとみられるからです。ですから作成者は題名にある薩摩藩ではなく首里王府であったとみられています。昔から地図は行政目的(土地の管理や税の徴収など)に作成されましたが軍事目的に使用される面もあり軍事機密扱いでした。現在の私たちが当然のように知っているこの地図の沖縄本島と周辺離島の様子も、王府時代の一般の人々は知らなかったのでしょう。ところでこの地図には番所(役場)や道路など実用的な情報が書き込まれる一方で、「嶽々」(たきだき=聖地である御嶽群)、「旧城」(かつてグスクだったところ)など精神文化に関わる情報も書き込まれています。見事な彩色などを見ても、この地図が実用品であると同時に鑑賞の対象であったことがうかがわれます。

 
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
「近世琉球を描いた絵地図」(金城善 「しまたてぃ」50号 2009年所収)
『「琉球絵画」展』(沖縄県立博物館・美術館図録 2009年)
『琉球国絵図資料集』(Ⅰ~Ⅲ 沖縄県教育委員会 1992~1994年)

(調査ノート)
・紙本彩色。軸装・一幅。間切ごとに色分けした地図で、番所(役場)、道路など実用的な情報を書き込む一方で「嶽々(たきだき=御嶽群)」「旧城(きゅうじょう=グスク)」など琉球の精神文化に関する情報も書き入れていて興味深い。
・薩摩藩(ほぼ現在の鹿児島県にあたる)が琉球王国を統治し、税金を取り立てる道具の一つとして作成されたものであろうが、現在になってみると美術品のような趣がある。
・こうした地図が実用に使用されたのか、調度品として使用されたかは不明だが興味深い。

(※以下の項目、主に金城善論文2009年を参考に記述。)
・近世琉球を全体的に描いた絵地図は本図のほか、
○「琉球国絵図」(正保三年=1646年をはじめ、元禄十五年=1702年、天保三年=1838年に幕府の命により作成された絵図。)、
○「間切島針図」(首里王府が実施した乾隆検地(1737~1750年)の際に作成された絵図。)、
○「琉球国惣絵図」(「間切島針図」を縮小して描いたとみられるもの。1700年代後半作成か。)、
○「琉球国之図」(1796年の制作年記あり。色分けなどの描き方、寸法などが「薩摩藩調製図」に相似していることから制作年代が近いとみられるが、本図ならではの文字情報が記載されている。尚家財団所蔵で一部のみ公開されている。)
が知られている。
・本図については旧蔵者である東恩納寛惇は論文などでふれていないので入手経路やタイトルの付けられた経緯などが不明。本図の制作年代については、記載内容が「琉球国絵図」と隔たりがあり、1666年~1676年に実施された間切分割によって成立した間切である美里・伊野波・宜野湾・久志・小禄・恩納・田港・西原が記載されていること、凡例の内容や間切の色分け、本島と周辺離島を朱線で結ぶなどの特徴の類似から「琉球国惣絵図」を縮小改訂して作成されたものとみられている。また「琉球国之図」(1796年の制作年記あり。尚家財団所蔵。)と描き方や寸法まで相似していることからほぼ同時期の制作とみられている。つまり18世紀後半ということになる。また「薩摩藩調製」と伝わる点については、首里王府が主体となって制作された「間切島針図」(1737~1750年)とその縮小改訂版である「琉球国惣絵図」をさらに縮小改訂して制作されたとみられることから、首里王府による制作とみられている。
・江戸幕府は各藩に命じて慶長、寛永、正保、元禄、天保の各期に計五回にわたって国絵図を作成させている。琉球については薩摩藩の管轄として正保検地以降の三回、検地・国絵図制作が行われている。正保度の絵地図(文献などから約二万分の一の縮尺とみられる。)は模本とみられるものが「島津家文書」(東京大学史料編纂所 所蔵)にあり、元禄度、天保度の原本は国立公文
書館内閣文庫に所蔵されている。

(※その他)
・「琉球国惣絵図」(1700年代後半 県立博物館収蔵)はNPO法人・琉米歴史研究会により2001年に米国から返還され県立博物館に寄贈された。間切ごとに色分けされ、総面積や村名、さらに番所、馬場、拝所などが記載されている。記載内容から「間切島針図」を縮小改訂した図とされる。顔料調査(人工顔料使用が判明)からもおよそ1700年代後半の制作とみられている。
・本図が「琉球国惣絵図」の縮小改訂版だとする根拠は両図の元になっているのが首里王府が作成した「間切島針図」であるという点だが、薩摩藩が「間切島針図」や「琉球国惣絵図」の写しを希望したことは十分に考えられるので、薩摩藩に伝わった転写本やさらにその転写本が本図である可能性もあり、こうした経緯から「薩摩藩調製」と伝わったのかもしれない。
・「今杣」、「本杣」などの書き入れはそれぞれ「今帰仁間切杣山」、「本部間切杣山」などを表している。絵図全体に文字情報がそれほど多くない中で、こうした記述があるのは、木材管理に対する関心が高かったことをうかがわれる。
 
(鶴田大)
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