伊藤博文自筆書簡 (いとうひろぶみじひつしょかん)

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概要・解説文

『伊藤博文自筆書簡(いとう・ひろぶみ・じひつ・しょかん)』(1879年4月) 解説

 この書簡は、明治政府の内務卿(ないむ・きょう)・伊藤博文(1841〜1909)から部下の内務大書記官(ないむ・だいしょきかん)の松田道之(まつだ・みちゆき1839〜1882)へ宛てたものです。琉球王国が琉球藩を経て沖縄県となり、明治日本の体制に完全に組み込まれる状況を映す原資料です。
 伊藤は長州藩(ちょうしゅう・はん=山口県)出身の明治期の政治家で、内閣制度をつくりあげ、初代総理大臣となったことでも知られています。当時、伊藤は明治政府の内務卿として琉球問題を統括していました。内務卿とは、官制改革(1885)以前の内務省の長官のことです。内務卿は事実上、総理大臣に次ぐ権限を持ち、警察を含め、国内の様々な行政機構の管轄(かんかつ)する役職でした。

 伊藤は、内務大書記官の松田道之をこの時期までに三度、琉球へ派遣し、琉球処分(りゅうきゅう・しょぶん≒1872年に始まる琉球王国の解体~沖縄県設置の一連の過程)の最終段階に取り組んでいました。この手紙は、1879年(明治12)4月1日(※2日の誤りともみられています)付で、琉球に滞在していた部下の松田へ宛てたものです。当時、琉球では明治日本の一部になることを受け入れようとする人々や、それに対抗し、清朝中国へ訴えて明治日本による琉球の併合を国際問題化し、琉球王国の復活を目指す人々(≒脱清人(だっしんじん)と呼ばれます)が入り乱れ大混乱の状況にありました。しかし、かつてアジア諸国が臣下の立場を取っていた大国・清朝中国は1840年代以降、アヘン戦争でイギリスに敗北し、政治的にも経済的にも破綻状態にあり、琉球に対して何らかの援助をする余裕はもはやありませんでした。

 この時期、すでに琉球王国は琉球藩となっていて、江戸時代の各藩は廃藩置県を経て順次、府県となり明治政府の統治のもとで行政機構を整えつつあり、琉球が「沖縄県」として明治政府の統治下へ入ることも避けがたい流れとなっていました。それでも伊藤は戦闘や混乱を避けるため入念に計画し、「沖縄県」設置へ向けて琉球最後の王である尚泰(しょう・たい)とその周辺人物を東京へ移送して琉球王国復活を目指す人々の意思を完全に砕こうとしていたのです。電報を通じて松田から報告を受けていた伊藤はこの手紙の中で、脱清人の動きに注意することを指示し、また琉球藩王である尚泰の東京での住居については松田にも伝えずに「上京後に指示する」などと記して、徹底した情報管理を行っています。尚泰らを東京へ移送する計画を完遂(かんすい)するために細心の注意を払っていることがうかがわれます。琉球王国が崩壊していく、当時の状況を伝える生々しくも重要な資料です。
 関連資料として、松田道之がまとめた『琉球藩御処分書類(りゅうきゅう・はん・ごしょぶん・しょるい)』(1875〜1879)が県立図書館に所蔵されています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)※項目「琉球処分」ほか参照
『宝庫からのメッセージ~琉球・沖縄の貴重資料』(琉球大学附属図書館 沖縄県立図書館 沖縄県立博物館・美術館 三館合同企画展)
ほか

(調査ノート)
・この資料は京都大学教授だった故・小葉田淳(こばた・あつし)氏から県立図書館へ寄贈された。

(鶴田大)
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