紅葉如酔 (もみじようがごとし)

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宜湾朝保(ぎわん・ちょうほ)自筆 和歌『紅葉如酔(もみじ・ようがごとし)』、(佐多)椿斎(ちんさい)画(=歌意絵 かいえ) 解説

 

 朝保(1823-1876)は琉球王国最末期の三司官(さんしかん≒国王の補佐。事実上の行政トップ)であり王府時代最大の文人の一人です。琉球王国が解体され日本の一部となる動乱の時代の舵取り役を果たしました。ここに書かれている和歌も普段の歌会(うたかい)で詠んだ和歌ではありません。1872年、江戸城で行われた明治維新の祝宴に琉球代表(維新慶賀使節)として参加し、その際に開かれた歌会で披露された歌です。しかも「紅葉如酔(もみじ・ようがごとし)」という即興のお題に見事にこたえた有名な歌です。

 当時の琉球の文人は琉歌など自国の文芸に加え、漢詩・和歌など中国・ヤマトの文芸にも精通していることを求められました。小国ならではの苦難ですが、だからこそ朝保のような偉大な文化人を輩出したともいえます。皮肉な話です。
 歌は「さかずきを酌み交わす私たちの窓際から見えるモミジまで、新時代の祝いに酔っているようだ」というほどの意味。こうした文芸の交歓が、各藩(各国)の人々の互いの心理的距離を近づけ、深刻な闘争を避けることにどれほど力を発揮したか、計り知れないものがあります。

 この掛け軸は維新慶賀会からしばらくして制作されたものでしょう。有名な和歌に合わせて絵を描いたのは薩摩藩最後の御用絵師(ごよう・えし=公式の画家)である佐多椿斎(さた・ちんさい)。絵と共に画面上に書かれる詩歌(しいか)は、普通は画賛(がさん)と呼ばれますが、この作品の場合は、有名な和歌に合わせて絵が制作されているので、和歌が主体であり、絵のほうが「歌意絵(かいえ)」と呼ばれます。

薩摩藩と琉球王国は政治的には1609年の薩摩藩による琉球王国侵攻以来、緊張した関係でしたが、こうした文化交流を通して個人・個人の間には想像以上の信頼関係のネットワークが広がっていたようです。
特に朝保がこの時期(=琉球王国末期~琉球藩時代)、盛んに薩摩藩の政治家・文人らと歌会(うたかい=和歌を詠み披露しあう会)を開いていたのは、純粋に文芸を楽しむという目的以外に政治的な意図が働いていたと考えられます。明治政府の中心となる薩摩藩とより深い親交を保つことで少しでも琉球・沖縄が安定・発展的な位置を占めることを政治家としての朝保が期待していたと考えられるからです。朝保らの薩摩藩との和歌を通じての親交が、明治時代以降の琉球・沖縄のよりよい立場の確立に結びついたかどうかについては、定かでありませんが、朝保が親交を結んでいた薩摩藩士らが明治政府の文化部門や行政の中枢を担い活躍していったのは史実です。
こうした政治的な背景を反映しているのでしょうか、朝保の書は、いつもの朝保の才気走った強い筆線(ひっせん)とは異なり、やや遠慮がちに小さめにやわらかい筆線で書かれています。椿斎のほうも朝保の書に合わせたのでしょうか、描かれた紅葉のほうも書に響き合うような雰囲気でおだやかに淡く描かれています。

 
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄美術全集 4 絵画・書』(沖縄タイムス社 1989年)
『近世沖縄和歌集』(池宮正治他 ひるぎ社1990年)
『宜湾朝保 沖縄近世和歌集成』(池宮正治編 緑林堂 1984年)ほか


(調査ノート)
・「汲みかはす・・・」の和歌は明治五年(1872)の維新慶賀使(副使)として江戸城を訪れた際の歌会で「紅葉如酔」という即興の詠題の際に披露した有名な歌。(『沖縄美術全集4』(118図)、個人の和歌集『松風集(しょうふうしゅう)』にも掲載あり。)
・(和歌釈文)「汲みかはす まどいの外(ほか)の「紅葉(もみじ)まで酔(よい)のさかりと「見ゆる けふ かな 「朝保(印無し。)」
・紅葉図の落款署名は「椿齋(ちんさい)」(handokuファイル)
・朱円印(白文)「洗心」(handokuファイル)
→箱書きなし。(図書館の分類シールのみ。)書き付け等なし。
・表装は入念で書画に合わせて造られたと考えられる。軸は蒔絵(紅葉文様)で歌題、画題に合わせて特別に用いられている。一文字風帯は共裂(亀甲文の地文様に花文様の金襴)で、中廻し、上下(天地)の布も仕上がりが整っている。(風帯は傷みがあり、要修理。)
・ 書は枯れた味があり、『沖縄美術全集4』に同じ歌を速い筆で大書したものがあるが、それとはかなり筆法が異なる。しかし他の朝保短冊の筆跡との比較等から朝保の自筆とみられる。
・有名な歌であり、揮毫を求められたのであろうか。紅葉した楓の葉は濃淡様々に描かれ、また、幹にも薄く朱色が刷かれ、まるで木立(こだち)全体に酔いがまわっているかのようにみえる。わずかに数葉の落葉を描き、紅葉の盛りを思わせる。表装は入念なものだが、絵は比較的、略筆で、おおらかな気分のものであり、書もまた絵に合わせるように淡々と平明に書している。文人らの集まりの際に、座興で描かれたものかと思わせる。
・画は落款「椿斎」とあり、薩摩藩最後の御用絵師である佐多椿斎とみられる。薩摩藩と琉球の文人が書画、歌会を通じて交流していた様子が窺える。
・軸の外題部分に「財団法人 東恩納文庫蔵」(朱文楕円印)、「東恩納文庫 1963.5.10 2820」(朱方印)、貼り紙「軸物6」あり。
・王府時代末期の和歌文芸隆盛の中心人物は宜湾朝保と薩摩の八田知紀、福崎季連であったがこれは琉球文化が大和文化と融合する時勢の一端であり、政治的には琉球王国が日本の一県となるという歴史の動乱とシンクロする動きであった。朝保らは、二つの文化圏の避けがたい衝突・混交・融合の運命を覚悟して、せめて文化的な交流によって政治的混乱を少しでも鎮めたいという思いもあったのだろう。

(鶴田大)
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