陋室銘 (ろうしつめい)

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概要・解説文

石庵(せきあん) 筆『陋室銘(ろうしつ・めい)』解説

 

 石庵とは清朝(しんちょう)中国の文人、劉墉(りゅう・よう1719-1804)の雅号(がごう=ペンネーム)です。書かれているのは「質素なせまい家にも広大な世界がある」という内容で唐代の人、劉有錫(りゅう・うしゃく )の有名な詩文です。「山は高いからよいのではない、仙人が住めば名山だ。」に始まり、文人の理想や真の豊かさについて述べた名文です。

 石庵は書家であり詩人でもありましたから、その意味を十分に味わいながら書いたのでしょう。いわゆる書家の流麗な書ではなく、率直で素朴な味わいのある文学者の書で、ゆったりとした温かい声が聞こえるようです。石庵は歴代の名筆を熱心に研究し、古来の名筆の臨模(りんも=お手本を横に置いて写し書きをすること)を日課にしたことでも知られる人物ですが、そうしたことを感じさせないような穏やかな書です。書風を真似たのではなく、それらのお手本を通して「自分らしい書」というものを発見したからかもしれません。

 また石庵(劉墉)は、来琉した記録はありませんが、清朝の文化官僚として政治史書である『続通史(ぞく・つうし)』をまとめたことでも知られます。そこには東アジア外交についての研究成果も執筆されていますから、旧蔵者である歴史家・東恩納寛惇は同じアジア史家の書としての価値も見ていたのでしょう。

 
(鶴田大)

詳細解説文

石庵(せきあん) 筆『陋室銘(ろうしつ・めい)』解説(詳細版)

 

 石庵とは清朝(しんちょう)中国の文人、劉墉(りゅう・よう1719-1804)の雅号(がごう=ペンネーム)です。書かれているのは「陋い(=せまい)」質素な家にも広大な世界がある」という内容で唐代の人、劉有錫(りゅう・うしゃく )の有名な詩文です。「山は高いからよいのではない、仙人が住めば名山だ。」に始まり、質素な自宅について、窓から見える何気ない緑の美しさや訪問客の心地よい談話が行われることなどを述べ、孔子であったら、「この家のどこが狭くみすぼらしいものか、ここにはすべてがある」と言うだろう、と結んでいます。文人の理想や真の豊かさについて述べた名文です。

 石庵は書家であり詩人でもありましたから、その意味を十分に味わいながら書いたのでしょう。いわゆる書家の流麗な書ではなく、率直で素朴な味わいのある文学者の書で、ゆったりとした温かい声が聞こえるような書です。石庵は歴代の名筆を熱心に研究し、古来の名筆の拓本(たくほん)を集めた『淳化閣帖(じゅんかかくじょう)』の臨模(りんも)を日課にしたことでも知られる人物で、詩人・蘇東坡(そ・とうば)の鋭敏な書や、書家として名高い董其昌(とう・きしょう)の巧みな書から特に影響を受けたとされますが、残されている書をみると、そうした影響は中々、みつけられません。書風を真似たのではなく、それらのお手本を通して「自分らしい書」というものを発見したからかもしれません。当時から書家として高く評価されていたことは、二大書家として「濃墨宰相(のうぼく・さいしょう)」の劉墉・「淡墨彩花(たんぼく・さいか)」の王文治(おう・ぶんじ)と記されている同時代(乾隆年間)の書『流伝書法家(るでん・しょほうか)』からもうかがえます。確かに石庵(=劉墉)の書は漆(うるし)のような濃い墨で書かれ、かすれたような箇所が全く見あたりません。一方の王文治は、1756年に琉球・尚穆(しょうぼく)王の就任を認め祝う冊封使節(さっぽうしせつ)の一員として来琉したことでも知られる文人です。

 また石庵(=劉墉)は、来琉した記録はありませんが、清朝の文化官僚として政治史書である『続通史(ぞく・つうし)』(1780年)をまとめたことでも知られます。そこには東アジア外交についての研究成果も執筆されていますから、旧蔵者である東恩納寛惇は同じ(アジア)歴史家の書としての価値も見いだしていたのでしょう。

 
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『漢詩の事典』(松浦友久ほか編 大修館書店 1999年)
『中華文化在琉球 琉球歴史文物考察紀要』(中琉文化経済協会 1989年)
『書の歴史』日本書道美術館 1983年、劉墉「陳白沙七言絶句」解説
『台北 故宮博物館珍蔵書画』(中文書 東京・二玄社版 出版年未記載)
台北 故宮博物館HP ほか


(調査ノート)
・「山不在云々」
・紙本墨書、漢詩文全21行。巻子本。一巻。(詩文17行・92文字。題三行(後記)、落款一行)
・漢詩文(釈文)「山不在高有「仙則名水不「在深有龍則「斯霊斯是陋「室惟吾徳馨「苔痕上堦緑「草色入簾青「談咲有鴻儒「往来無白丁「可以調素琴「閲金経無「絲竹之辞耳「無案牘之労「形南陽諸葛廬西蜀子雲「亭孔子云何「陋之有
 (識語)右録劉㝢錫「陋室銘特書「於天香深處 「石庵 □□(朱方印 二顆)」
・引首印「恩賜 仙舫」(「恩賜」は朱文、「仙舫」は白文の朱円印)、末尾に「劉墉印信」(朱方印)、「石庵」署名及び白文朱方印。以上、印は三顆。
・劉墉(1719-1804)は山東省出身の中国清朝の文人。字は宗如。雅号を石庵と称した。乾隆16年の進士。詩文集が広く知られるとともに書にも優れた。その書法は初め董其昌、趙孟頫(ちょう・もうふ)らの書を臨模して学び、歴代の書を体系的に学んだ。「淳化閣帖」の臨模を日課とし、特に学んだという。
台北の故宮博物館に晩年77歳「淳化閣帖」の臨模本(『臨閣帖行書』)が収蔵されている。全体を丸ごと写したものではなく、部分的に書写し、その書風や詩文の内容について注釈を書き入れている。
(←台北 故宮博物館HPより内容を抄出。生没年等、諸書で確認。)
・台北の臨模本は臨模する有名な書の誤字脱字を含め文学的な書写内容についてまで細かい関心が向けられていて、そこに詩人(文学者)としての性格がうかがわれる。古来、書家とされる人たちの書には書の内容を詳しく理解していなかったような形跡(似た文字の書き誤りなど。)がしばしばみられる。劉墉の書は、書法(美術性)と書写内容(文学性)とに等しく関心の深かった人物の書として鑑賞できる豊かな内容を持っていると云える。
・「経史百家にも通じ、詩文をよくしたが、書技にもすぐれ、鐘繇(しょう・よう)、蘇軾、董其昌らを学んで一家を成した。乾隆期における帖学派の大成者として、その名は碑学派の鄧石如と並び称される。」(『書の歴史』日本書道美術館 1983年、劉墉「陳白沙七言絶句」解説)
→この書はゆったりして肥痩のあるところに特色。一方で文字間の流れが敢えて作られておらず、一文字それぞれが点景のように在る。またところどころにある、流暢ではない素朴な筆線も特徴。
・丸みを帯びたゆったりした文字を互いに繋げずに間隔を空けて書す。
・識語「右、劉㝢錫(りゅう・うしゃく)の陋室銘を録す。特に天香深処にて書す。」
・金銀?箔置きの料紙、染め紙か。
・劉㝢錫は唐~五代時代の文人。古来、日本で最も親しまれてきた白居易と親交のあった文人でこの『陋室銘』は有名な詩文の一つ。「山は高ければよいのではない、仙人が住めばそれこそ名山だ。泉は深ければよいのではない、龍が住んでいれば名泉だ。」に始まり、質素な自宅について窓から見える何気ない緑の美しさや訪問客の心地よい談話が行われることなどを述べ、「孔子であったら、この家のどこが狭くみすぼらしいものか、ここにはすべてがある」と言うだろう、と結んでいる。文人の理想や真の豊かさについて述べた詩文として有名。
・劉墉は『続通史』の編者としても知られる。中国の「十通」と呼ばれる通史(政治史)の一つで乾隆50(1780)年に完成した。
・政治史をまとめた劉墉は当然、外交史の研究者でもあった。旧蔵者の東恩納寛惇は歴史家として琉球の海外交易史をメイン・テーマの一つとしていたから、歴史家としての劉墉に関心を寄せていたのかもしれない。
・琉球に冊封使節(従客)として周煌と共に訪れた王文治と同年代の清朝の文人官僚としても知られる。共に能書で、劉墉が「濃墨宰相」、王文治は「淡墨彩花」として時の書家として並び称された。→『流伝書法家』(乾隆年間 中国書)→※『中華文化在琉球』(1989年)に引用あり。
 
(鶴田大)
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