伯徳令記念碑 [拓本] (はくとくれいきねんひ)

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概要・解説文

ベッテルハイム記念碑 拓本(たくほん) (1926年) 解説

 この拓本は1840年代に琉球に滞在していたキリスト教伝道師・医師であったバーナード・ベッテルハイム(漢字名・伯徳令=はくとくれい)を記念して彼が滞在した那覇・護国寺内に1926年に建立された石碑のものです。現在は新しい石碑に建て替えられており、この拓本は貴重な資料となっています。

 琉球・沖縄と西欧文明との交流というと、アメリカ合衆国のペリー艦隊(1853年)がよく知られますが、それに先立つ1840年代、すでに多くのヨーロッパ各国の船や人々が交易・滞在を要求して琉球・沖縄を訪れていました。
 中でもイギリス人宣教師ベッテルハイムの9年間に及ぶ那覇滞在は歴史的にも大きな出来事でした。「伯徳令」という名前で当時の文書にも多く登場するベッテルハイムは首里王府の禁止にもかかわらず強引に那覇に上陸し、1846~1854年にわたって那覇・波上(なみのうえ)の護国寺に滞在しました。その間、200年以上に及ぶキリスト教禁止令にもかかわらず布教活動を強行し、1852年には新約聖書(しんやく・せいしょ)の主要部分(イエス・キリストの言行を弟子たちが記したマタイ伝、マルコ伝、ヨハネ伝、ルカ伝)を初めて琉球語訳します。

 ベッテルハイムのキリスト教伝道は王府の禁令もあり、あまり成果がありませんでした。しかし医師でもあったベッテルハイムは医療活動を通して一般の人々には親しまれ、当時めづらしかった眼鏡をかけて波上に居座る彼を、人々は「波上の眼鏡(なんみん・ぬ・がんちょー)」などの愛称で呼んでいました。

 ベッテルハイムについては先述のように、強引な行動もあり、歴史的評価が分かれる部分も大きいのですが、キリスト教プロテスタント系(※16世紀頃に日本各地で伝道活動したカトリック系イエズス会≒旧教に対して新教とも呼ばれる)としては日本で初めての本格的な布教活動を行ったこと、初の琉球語の新約聖書を書いたことなどは文化史的に大きな出来事でした。

 石碑の内容をみると、上部にベッテルハイムが琉球語訳した聖書の一部分が記され、中央部分には世界を渡り歩いたベッテルハイムにゆかりのある土地の名称がプレートで埋め込まれています。下部にはこの石碑を建てたいきさつと共にベッテルハイムについて紹介する文面が刻まれています。
 上部の琉球語訳の新約聖書については先述の「ヨハネ伝」の一部分が刻まれています。内容は有名な「善きサマリア人」とイエス・キリストが会話をする場面の一部分、第4章・第14節のイエスのことばです。「(あなたが私に与えてくれたこの井戸水はいつか、かわくかもしれないが)私が与える水を飲む者はいつまでもかわくことがない。水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわきあがるだろう」という内容が刻まれています。
 中央部分の地名はベッテルハイムの生まれ故郷である「ハンガリー」や帰化した「イギリス」、宣教師として訪れた「支那(≒当時の中国)」「琉球」など10カ所の地名・国名が刻まれています。左下の「ブルックフィールド」は1854年にペリー艦隊と共に米国へ渡ったベッテルハイムが1870年に亡くなったアメリカ合衆国・ミズーリ州の町の名前です。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)
 ※項目「ベッテルハイム」「琉訳聖書」など参照。
『英宣教医 ベッテルハイム』(照屋善彦 著 人文書院 2004年刊)
『異国と琉球』(山口栄鉄 著 本邦書籍 1981年刊)
「石碑復元計画調査報告書」(那覇市 2004年刊)
ほか

(鶴田大)

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閉じるベッテルハイム記念碑高解像度の画像を表示(640px × 480px)
1926年建立の伯徳令記念碑とは異なる。

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