御免琉球人行列附 [1850年] (ごめんりゅうきゅうじんぎょうれつつけ)

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概要・解説文

『琉球人行列図(りゅうきゅうじん・ぎょうれつのず) 』(1850年) 解説


 こうした「琉球人行列」版画は、琉球使節団が江戸を訪問するたびに当時の出版社(=板元・はんもと)が競って版権や、使節団の情報を入手して、木版印刷にして、あらかじめ全国の人々に販売したものです。当時の日本(大和文化圏)の人々は、琉球王国の使節をまるで竜宮からの使者のように思っていたようです。

 

 この行列図は、新しく琉球国王となった尚泰(しょうたい)王の就任を認め祝ってもらった返礼に江戸を訪れた、1850年(嘉永三年) の琉球使節団の様子を描いたものです。尚泰王は最後の琉球王国の国王です。明治維新の特別な琉球使節(1873年)を除くと、このときの琉球使節が最後の使節団だったことになります。

 

 琉球国王は様々な機会に江戸幕府へ使者を送りました。琉球国王が代替わりしたときの謝恩使(しゃおんし)、幕府将軍が代替わりしたときの慶賀使(けいがし)などです。江戸時代のおよそ250年の間に合計20回ほど使節団が送られました。使節団一行は道中、地元の人々と盛んに交流し、今でも各地には使節団の様々な書画・美術品、エピソードが無数に残されています。
 政治的には複雑な関係がありましたが、琉球王国と当時の日本(大和文化圏)との親交を深め、様々な文化交流が行われる重要な歴史的いとなみであったといえるのでしょう。

 

 ところで残念なことはこの絵が全体の右側半分であることです。さいわい同一の版とみられる図が全体が揃ったかたちで県立図書館に収蔵されています(→資料ID1001998366)。欠落のないほうの図は淡い彩色が施されています。同じ版木(はんぎ)を使っても仕上げが異なるのは木版本のおもしろいところです。彩色が出版者によるものか、持ち主などによるものかははっきりしません。
 琉球人行列の絵には様々なものがありますが、この行列図は主として文字情報の記録性を重視した作品のようです。絵はすっきりと図解的に描かれていますが、よくみていくと、要職者である馬上人物一名に対し、複数名の名前が付けられています。たとえば、下段右側の行列後半になると、正使従者(1人)、楽正(がくせい=祝宴の音楽行事の責任者ら5人)、正使使賛(せいし・しさん=正使の実務的補佐ら5人)の計11人に対し馬上人物は6人しか描かれていません。行列のリアリティを描くよりも、すっきりと全体を図示することに主眼が置かれたためでしょう(※行列全体の構成については「調査ノート」参照)。

 

 江戸を訪れる琉球人使節は「江戸立ち」と呼ばれ、その一員に選ばれることはとても名誉なことでした。しかし片道2000キロ、江戸滞在の約1ヶ月半を含め一年弱の旅は、かなり苛酷なものだったようで、道中で病気などで亡くなる人もあったようです。

 

 琉球使節から謝恩儀礼を受けた第12代将軍・徳川家慶(いえよし)は天保(てんぽう)の改革を行ったことで知られます。厳しい財政改革や言論統制を行い、幕末に向かい混乱する時代を生きました。1853年6月、「太平の世」を打ち破るペリー提督の黒船が東京湾の向こうに現れる頃、対応に追われながら病没しています。

 

 一方、この絵に描かれた人々は、この江戸往復に際して、多くの文人と交流し相互の影響関係は多大なものであったとみられます。重い責任を果たすと共に見聞を広め、帰琉後、行政に文化に大活躍します。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『琉球使節、江戸へ行く!』(沖縄県立博物館・美術館 展覧会図録 2009年)
『琉球使節の江戸上り』(宮城栄昌 著 第一書房 1982年) ほか

 

(調査ノート)
・一般的な琉球人行列の隊列は、馬上人物・御輿(みこし)人物を中心にみていくと、先乗(さきのり=道案内役。大和風装束の薩摩藩の侍ら) ~儀衛正(ぎえいせい=行列と行列で行われる路次楽(ろじがく=中国風音楽)の統括責任者 ) ~(路次楽・楽人) ~ (献上物や引かれていく馬に続き) ~ 圉師(ぎょし=献上する馬などを管理) ~(「豊見城王府」と書かれた板に続き)~ 掌翰使(しょうかんし=文書を管理) ~ 正使(せいし=琉球国王の代理であるこの使節の代表。) ~ 副使(ふくし=正使の補佐役。) ~讃儀官(さんぎかん=副使の補佐。) ~ 楽正(がくせい=祝宴の音楽行事の責任者) ~ 楽童子(有力な家の元服頃までの少年たちで行列の花形。祝宴などで詩歌(しいか)、書画、歌舞を披露した。ヒゲが無いので区別できる) ~ 楽師(がくし=祝宴の音楽会の楽器奏者) ~ 正使・副使・讃儀官従者(さんぎかん・じゅうしゃ)ら ~ 最後に後見の大和風装束の武士(薩摩藩士)と続く。さらにそれぞれの要職の人物の近くを従者らが歩いて行く。
・原題の『御免琉球人行列附(ごめん・りゅうきゅうじん・ぎょうれつ・つけ)』については、「御免」というのは一般に「許可を得ている」という意味でこの場合は薩摩藩などの許可を得て出版しているということだろう。同時に、「御免」は通行する際の一般的な挨拶で、行列図や文芸・舞台などのタイトルにしばしば使用されたもの。両者の意味が掛け合わされいるのだろう。末尾の「附」というのは「付録」の意味で、本来、文章中心の読み物のオマケとして作られたものだからであろう、といわれている。

 

(鶴田大)

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