首里之御詔 (しゅりのみことのり)

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概要・解説文

『首里之御詔(しゅりのおんみことのり)』(道光(どうこう) 9年 辞令書) 解説

 琉球・沖縄は高温多湿で紙資料の保存の難しい地域ですが、琉球王国時代の首里王府からの辞令書(じれいしょ)である「首里之御詔」は比較的多く現存しています。おそらく「首里之印(しゅりのいん)」という文字が彫られた首里王府の朱印(しゅいん)が押された文書は家宝として大切に保管されてきたのだろうと見られています。「詔」というのは国王などによる通知・命令という意味です。
 1979年の沖縄県の調査では全県内に73点の辞令書が確認されています。現存最古は嘉靖(かせい)二年(1523)のもの(※「田名家文書(だなけ・もんじょ)」中にあり)です。辞令書は琉球王国時代を通して莫大な枚数が発行されたとみられますから73点の辞令書はそのほんの一握りです。明治維新の混乱期や沖縄戦をくぐり抜けて家々で大切に守られたそれら辞令書は家譜(かふ)と共にかけがえのない貴重な歴史資料と言えます。

 辞令書の内容は、首里王府から役職や領地を与える内容を記した定型的なものがほとんどです。しかし書式については著しい特色あるものとして広く知られています。
 まづ、文字の使用法ですが現存文書を手がかりにして、当初は平仮名書きであったものが漢字仮名交じり文へと変化し、さらに漢文体へと変化したことが知られています。時代的には中国年号で嘉靖~万暦(ばんれき)年間(1522~1619)頃は平仮名書きで、天啓(てんけい)年間(1621~1627年)頃から漢字仮名交じり文に変化し、康煕(こうき)~同治(どうち)年間(1662~1874年)頃は漢文体が一般的となっていた、ということです。
 また辞令書はその時代の能書家(のうしょか=書の上手な人)が書くので、琉球の書の歴史の重要な史料であり、同時に美術品でもあります。東アジアでは「書」は伝統的に美術(≒視覚芸術)の中心的な位置にあったからです。琉球の書についてはそのおおらかな書風について、中国にも当時の日本(大和文化圏)にもみられない独特のものがあるとして注目されています。

 この文書は道光9年(1829)の辞令書です。王国時代末期の文書で、漢文体で書かれています。首里王府の印である「首里之印」は冒頭と末尾の二カ所に押されています。用紙が複数枚に渡る際には紙のつなぎ目にも押される規則だったことが現存資料から知られています。
 内容は美里間切(みさと・まぎり ※「間切」は現在の市町村のこと)の領主として「嵩原樽金安綱(たけはら・たるかね・あんこう)」を任命し、そこから収穫される米30石(こく ※1石は約180キログラム)も給付する、ということを記しています。「樽金」は童名(わらび・な=幼名)で安綱が正式の名です。安綱(1828~?)については、家譜(かふ)などから詳しい事跡がわかっています。毛氏(もう・うじ)美里家の14世として亡父の跡を継いだのは生まれた翌年ということになります。美里間切は現在の沖縄市の一部です。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)
 ※項目「辞令書」、「首里之印(しゅりのいん)」など参照。
『辞令書等古文書調査報告書』(沖縄県 1978年刊)
『資料に見る沖縄の歴史』(沖縄県 2002年刊)
ほか

(鶴田大)
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