琉球人行列図 [1832年? 錦絵] (りゅうきゅうじんぎょうれつのず)

ヘルプ閉じる

貴重資料ビューワーの操作

操作ボタンの説明

資料のタイプに応じて、表示するボタンの種類が変わります。


ページ切替

資料のページを切り替えます。

先頭のページ/最後のページ、前のページ/次のページ、ページ番号指定
などの基本的なページ切替操作をします。

ページ数表示

ページ切替操作の際に、ビューワー画面の右下に、現在のページ数/総ページ数が表示されます。
一定時間が過ぎると自動的に非表示になります。

ズームボタン 資料画像のズームボタンです。最小サイズ/最大サイズの切替をします。
中央に表示 資料画像をビューワーの中央に再配置します。
スクリーンサイズ切替 資料表示部のサイズを切り替えます。最大サイズの場合、右側の書誌情報エリアが非表示になります。
スケールスライダー マウスドラッグ操作で、資料画像のサイズを無段階調整します。
ページ選択 多数のページを持つ資料に表示されます。一定数ごとにページを切り替えることが出来ます。
翻刻資料を表示 くずし字で書かれた原文を楷書体に置き換えた「翻刻資料」のページを表示します。


マウスの操作について
クリック
  • 資料の前後ページ切替(右クリックは使用しません)
ダブルクリック
  • 単ページ/見開きの表示切替
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替
ドラッグ
  • 資料画像の表示位置移動
  • ダイアログウィンドウの表示位置移動(ダイアログ:このウィンドウなど)
マウスホイール
  • 資料画像サイズの拡大/縮小・段階切替


解説文、その他の詳細情報

解説文などのタブについて
タブの説明
資料によって、解説文の他に詳細な説明を掲載している場合が有ります。表示されるタブの種類は資料ごとに変わります。
資料解説・概要文 貴重資料に関する主な説明・概要文が表示されます。※資料解説の末尾に記載されている氏名は、資料解説の執筆者名です。
詳細解説文 さらに詳しい詳細な説明文、資料に関する情報などが表示されます。
参考文献・調査ノート 資料の解説文作成の際に参考とした資料や、その他の情報が表示されます。


推奨動作環境

  • Internet Explorer 7以上
  • Firefox 3以上
  • Safari 4以上

  • 概要・解説文
  • 参考文献・調査ノート

概要・解説文

『琉球人行列(りゅうきゅうじん・ぎょうれつ)・錦絵(にしきえ) 』(1832年?) 解説


 こうした錦絵(にしきえ=多色刷りの木版浮世絵)は、琉球使節団が江戸を訪問するたびに当時の出版社(=板元・はんもと)が競って、使節団の情報を入手して、木版印刷にして、全国の人々に販売したものです。当時の日本(大和文化圏)の人々は、琉球王国の使節をまるで竜宮からの使者のように思っていたようです。

 

 画家や出版社、出版年については正確なことがわかりません。しかし、よく似た図像(人物の姿や器物のかたち)を持つ県立博物館収蔵の作品との比較から1832年(天保三年)の作品かと思われます。県立博物館の作品に「豊見城(とみぐすく)王子」という札を持った人物が描かれている(その人物部分がこの作品では省略されている)ため、豊見城王子が正使を勤めた年の琉球人行列と考えられるからです。また、県立博物館の作品とは押されている出版社のものとみられる朱印(「山本屋」など)も一致しています。出版社は複数がかかわっているようです。また、人物の顔の表現から、歌川派の画家がこの作品を描いたものと思われます。

 

 この作品が1832年のものとすると、新しく琉球国王となった尚育王(しょういくおう)の就任を認め祝ってもらった返礼に江戸を訪れた琉球使節団の様子を描いたものということになります。尚育王が正式に国王に就任したのは1835年ですが既に先王が病気引退状態でしたから、1828年の16歳の頃には国政を担い、事実上の国王として周辺国に認めてもらう状況にあったのです。
 
 琉球人行列の絵には様々なものがありますが、この作品は行列の一部の人物をクローズアップして色彩も豊かに描いたものです。人物名まで書き込むような行列全体を描く作品が、実際に行列見物を楽しむツールであったのに対し、この作品は、主として絵を鑑賞するために描かれたものでしょう。
 中国風の衣装を身にまとった人物らは、異国風をたたえ、従者らの顔は異形(いぎょう)というべき雰囲気で描かれています。一方、行列の花形である楽童子(がくどうじ=祝宴で歌舞・書画・詩歌(しいか)などを披露する、有力な家の15歳頃の少年) は歌舞伎の主人公のように女性的に花やかに描かれています。

 

 江戸を訪れる琉球人使節は「江戸立(えどだち)」と呼ばれ、100名ほどの使節団の一員に選ばれることはとても名誉なことでした。しかし片道2000キロ、江戸滞在の約1ヶ月半を含め一年弱の旅は、かなり苛酷なものだったようです。

 

 琉球国王は様々な機会に江戸幕府へ使者を送りました。琉球国王が代替わりしたときの謝恩使(しゃおんし)、幕府将軍が代替わりしたときの慶賀使(けいがし)などです。江戸時代のおよそ250年の間に合計20回ほど使節団が送られました。使節団一行は道中、宿場沿いの人々からたいへんな歓待を受けました。九州、瀬戸内海地方、近畿地方から東海道にかけて、地元の人々との交流が行われ、今でも各地には使節団の様々な書画・美術品、エピソードが無数に残されています。
 政治的には複雑な関係があったり、難しい交渉もありましたが、琉球王国と当時の日本(大和文化圏)との親交を深め、様々な文化交流が行われる重要な歴史的いとなみであったといえるのでしょう。

 

 こうした絵に描かれた人々は、この江戸往復に際して、多くの文人と交流しました。相互の影響関係は多大なものであったとみられます。帰琉後の彼らは、外交行事の重い責任を果たして安堵すると共に、広めた見聞を活かし、行政に文化に大活躍します。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『琉球使節、江戸へ行く!』(沖縄県立博物館・美術館 展覧会図録 2009年)
『琉球使節の江戸上り』(宮城栄昌 著 第一書房 1982年) ほか


(調査ノート)
・天保三年(1832)、尚育王の就任を祝う慶賀使を描いた琉球人行列図か。
・板元は朱印から「山本屋」ほか複数が考えられるが詳細不明。
・一般的な琉球人行列の隊列は、馬上人物・御輿(みこし)人物を中心にみていくと、先乗(さきのり=道案内役。大和風装束の薩摩藩の侍ら) ~儀衛正(ぎえいしょう=行列と行列で行われる路次楽(ろじがく=中国風音楽)の統括責任者 ) ~(路次楽・楽人) ~ (献上物や引かれていく馬に続き) ~ 圉師(ぎょし=献上する馬などを管理) ~(「豊見城王府」と書かれた板に続き)~ 掌翰使(しょうかんし=文書を管理) ~ 正使(せいし=琉球国王の代理であるこの使節の代表。) ~ 副使(ふくし=正使の補佐役。) ~讃儀官(さんぎかん=副使の補佐。) ~ 楽正(がくせい=祝宴の音楽行事の責任者) ~ 楽童子(有力な家の元服頃までの少年たちで行列の花形。祝宴などで詩歌(しいか)、書画、歌舞を披露した。ヒゲが無いので区別できる) ~ 楽師(がくし=祝宴の音楽会の楽器奏者) ~ 正使・副使・讃儀官従者(さんぎかん・じゅうしゃ)ら ~ 最後に後見の大和風装束の武士(薩摩藩士)と続く。さらにそれぞれの重職の人物の近くを従者らが歩いて行く。
・「琉球人行列図」は一般に歴史資料として活用する際には注意を要する。例えば、実際には行列全体に渡って大和風装束(やまとふうしょうぞく)の武士(=薩摩藩士) が歩くのが本来のようだが、ほとんどの行列図ではそのように描かれていない。視覚性を重視し、琉球の人々の姿がよく見えるように、薩摩藩士の姿は行列の先頭と末尾のみに描かれるのが通例となっている。

 

(鶴田大)

しばらくお待ちください