琉球人行列道順附 (りゅうきゅうじんぎょうれつみちじゅんつけ)

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概要・解説文

『琉球人行列図(りゅうきゅうじん・ぎょうれつのず) 』(道順付 1842年) 解説


 こうした「琉球人行列」版画は、琉球使節団が江戸を訪問するたびに当時の出版社(=板元・はんもと)が競って、使節団の詳しい情報を木版印刷にして、あらかじめ全国の人々に販売したものです。当時の日本(大和文化圏)の人々は、琉球王国の使節をまるで竜宮からの使者のように思っていたようです。

 

 この行列図は、新しく江戸幕府将軍となった第12代将軍・徳川家慶(いえよし)の就任を祝う1842年(天保十三年) の琉球使節団の様子を描いたものです。(実際には家慶の将軍就任は1837年ですから5年ほど経過しています。使節団の人選から、贈り物の準備まで長い時間を要したわけですが、近代以前のアジアの時間感覚は、今とは随分、異質であったことがうかがえます。)
 
 こうした琉球人行列図には様々なタイプがあり、最も広く出回ったのは、行列全体を描き、役職名・名前を人物の近くに、器物の近くにその名称を詳細に書き入れるタイプのものです。また、主に絵として鑑賞用に作られたもので、行列の主要な人物らをピックアップして鑑賞用に仕立てた錦絵(にしきえ=多色刷り木版浮世絵)も広く出回りました。
 この作品はやや珍しいもので、行列については簡略に、賑やかな路次楽(ろじがく=行列しながら中国風の音楽を演奏する楽隊。)と正史(せいし=国王の代理である使節団の代表者)のみを描き、行列全体の姿は思い切って省いてあります。そして行列図の上部に、江戸における琉球人行列の江戸城登城(とじょう)の際の通り道などを日付入りで詳しく記しています。琉球人行列を見物するためのガイドブックというわけです。あるいは、行列全体の詳細な記述のある一般的なタイプのものと併用して行列見物を楽しんだのかもしれません。
(※標準的な隊列については「調査ノート」参照。)

 

 琉球国王は様々な機会に江戸幕府へ使者を送りました。琉球国王が代替わりしたときの謝恩使(しゃおんし)、幕府将軍が代替わりしたときの慶賀使(けいがし)などです。江戸時代のおよそ250年の間に合計20回ほど使節団が送られました。使節団一行は道中、宿場沿いの人々からたいへんな歓待を受けました。九州、瀬戸内海地方、近畿地方から東海道にかけて、地元の人々との交流が行われ、今でも各地には使節団の様々な書画・美術品、エピソードが無数に残されています。
 政治的には複雑な関係があったり、難しい交渉もありましたが、琉球王国と当時の日本(大和文化圏)との親交を深め、様々な文化交流が行われる重要な歴史的いとなみであったといえるのでしょう。

 

 琉球使節の祝いを受けた徳川家慶(いえよし)は天保(てんぽう)の改革を行った将軍として知られます。厳しい財政改革や言論統制を行い、幕末に向かい混乱する時代を生きました。1853年6月、「太平の世」を打ち破るペリー提督の黒船が東京湾の向こうに現れる頃、対応に追われながら病没しています。

 

 一方、この絵にも見える正使「浦添(うらそえ)王子」朝憙(ちょうき)はこの江戸往復に際して、多くの文人と交流。当時の和歌文学(江戸時代の公式文学。現在の短歌のもと。) の第一人者、最晩年の香川景樹(かがわ・かげき) から直接、教えを受けました。
こうして琉球人行列に参加した人々は、外交行事の重い責任を果たすと共に見聞を広め、帰琉後、行政に文化に大活躍します。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『琉球使節、江戸へ行く!』(沖縄県立博物館・美術館 展覧会図録 2009年)
『琉球使節の江戸上り』(宮城栄昌 著 第一書房 1982年) ほか


(調査ノート)
・天保十三年、第十二代将軍家慶の就任を祝う慶賀使を描いた琉球人行列図。
・絵師、板元は不明。1842年(天保13年)板。木版単色刷り一枚。
・行列図の上段に付録として道順の説明書きあり。
・一般的な琉球人行列の隊列は、馬上人物・御輿(みこし)人物を中心にみていくと、先乗(さきのり=道案内役。大和風装束の薩摩藩の侍ら) ~儀衛正(ぎえいしょう=行列と行列で行われる路次楽(ろじがく=中国風音楽)の統括責任者 ) ~(路次楽・楽人) ~ (献上物や引かれていく馬に続き) ~ 圉師(ぎょし=献上する馬などを管理) ~(「豊見城王府」と書かれた板に続き)~ 掌翰使(しょうかんし=文書を管理) ~ 正使(せいし=琉球国王の代理であるこの使節の代表。) ~ 副使(ふくし=正使の補佐役。) ~讃儀官(さんぎかん=副使の補佐。) ~ 楽正(がくせい=祝宴の音楽行事の責任者) ~ 楽童子(有力な家の元服頃までの少年たちで行列の花形。祝宴などで詩歌(しいか)、書画、歌舞を披露した。ヒゲが無いので区別できる) ~ 楽師(がくし=祝宴の音楽会の楽器奏者) ~ 正使・副使・讃儀官従者(さんぎかん・じゅうしゃ)ら ~ 最後に後見の大和風装束の武士(薩摩藩士)と続く。さらにそれぞれの重職の人物の近くを従者らが歩いて行く。
・「道順」(釈文)「琉球人行列 道順附「登城 十九日 廿八日「廿二日 御老中身 「芝御やしき 那監(?)ばし御門前、大門まえ、芝口辺り、しん橋、横通り、幸橋(さいわいばし)、那来やしき、新橋通り、外桜田「御門外通り、日比谷御門、八代すうじ辰の「口夫より大手退出門、桜田御門より坂下御門「外とおりへ登城。退出、外桜田御門、今広同所。
「上野 廿七日 「芝御やしきより幸ばし御門辺。右同所。「より、しん橋通り、外桜田通、「ほりはた通り、半蔵御門、代官町、「竹はし御門、御ほりばたとほり、「かんだばし御門、小川町昌平橋、「門すじかい御門、下谷御なり度(たく)、「広こうじ、夫(それ)より、上野すじかい御「門迄、同所ふより須田町通り、日本橋、「京橋、新橋大門前、那監ばし、「芝御やしきへ着。」
「御三家通り 二日 「芝赤羽橋通り、西の久保八万(八幡)前、天徳寺 服「担良様前、点御門入。黒田様、井伊様、出羽様、「やしき前、赤坂御門内 紀尾井坂くいちがひ、紀藤様、四ッ谷御門外 御ほりばた通り、「御ほりばた 小石川御門外、水戸様、水道橋、外御ほりばた通り、せい堂、神田橋、是より内通り」
「集府年歴 「慶長後、慶安二年九月、承応二年九月、「寛文十一年七月、天和元年十一月、宝永七年、「正徳四年十一月、享保三年八月、寛延元年十一月、「宝暦二年十月、明和元年九月、寛政二年十一月、「同八年十月、文化二年十月、天保三年十一月、同十三年十一月。」
・原題の『琉球人行列附(ごめん・りゅうきゅうじん・ぎょうれつ・つけ)』にある「附」というのは「付録」の意味で、本来、文章中心の読み物のオマケとして作られたものだからであろう、といわれている。
・「琉球人行列図」は一般に歴史資料として活用する際には注意を要する。例えば、実際には行列全体に渡って大和風装束(やまとふうしょうぞく)の武士(=薩摩藩士) が歩くのが本来のようだが、ほとんどの行列図ではそのように描かれていない。視覚性を重視し、琉球の人々の姿がよく見えるように、薩摩藩士の姿は行列の先頭と末尾のみに描かれるのが通例となっている。

 

(鶴田大)

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