雲没群山盡 (くもにぐんざんことごとくぼっす)

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概要・解説文

周煌(しゅうこう) 自筆 漢詩文「雲没群山盡(くもに・ぐんざん・ことごとく・ぼっす)」 解説   

 

 周煌(?-1785)は1756年、尚穆(しょうぼく)王の琉球国王就任を認め、祝うために中国皇帝の使者(冊封使節)として来琉しました。当時のアジア外交は文化外交が主体でしたから周煌も中国を代表する文化人です。琉球滞在中は、琉球の人々と漢詩や芸能を通して親交しました。その様子は周煌がまとめた琉球の見聞録・日誌である『琉球国志略(しりゃく)』に詳しく書かれています。ちなみに出版された『琉球国志略』に掲載された挿し絵「球陽八景(きゅうようはっけい)」はのちに北斎の浮世絵版画「琉球八景図」の元になったことでも知られます。

 漢詩文は周煌本人が作り書いたものです。書が本人の作であるのか古詩であるのかは不明であることが多いのですが、来琉する中国からの使者(正使、副使、従客ら)は詩人であり書家ですから(特に但し書きがない限り)本人作の漢詩文とみてよいようです。いつ書かれたかという記述がないので果たして来琉中(1756年)に書かれたかどうかは不明です。

 詩文の大意は「山々が雲に覆い尽くされ、夕陽も隠れようとしている。城も虚空にぼんやりと見えている。そこに一筋の煙が立ち上っている。」というほどの意味です。周煌が風水(ふうすい=大地のエネルギーの流れに沿って生活空間を作ろうとする当時広く行われた世界の見方。)を重んじていたことは『琉球国志略』などからもよく知られていますから、詩に歌われる山や城の描写も単なる風景描写ではなく、神秘的な風水思想などを背景にしているようです。

 
(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『周煌 琉球国志略』(榕樹書林 2003年)
『冊封使録からみた琉球』(原田禹雄 著 榕樹書林 2000年)
『北斎が描いた琉球 琉球八景』(浦添美術館 2007年)ほか

(調査ノート)
・五言絶句、三行書。軸装。「雲没云々」。
・漢詩(翻刻)「雲没群山盡。天垂落「日懸。憑虚俯城郭。隠「見一絲煙。」
 「周煌 □□(朱方印 二顆)」
 「憑虚(ひょうきょ)」は①無有、道と同じく形質のない無辺のものをいう道教のことば。②馮虚(ひょうきょ)と同じく「大空にのぼる」「虚空に浮かぶ」の意味。「俯」はふす、ふせる、うつむくの意味。「隠見」はかすかに見え隠れすること。
・周煌(しゅうこう ?‐1785)中国四川涪州の人。冊封副使として1756年に来琉。翰林院編修として詩、書にもすぐれ、中国帰国後、『琉球志略』を著した。徐葆光『中山伝信録』などと並び、日本、欧米にまで行き渡り広く読まれた。
・そこに掲載された「球陽八景図(きゅうようはっけいず)」は森中三良の『琉球談』などを通して江戸に伝わり、北斎の浮世絵版画「琉球八景図」の原図になったと考えられている。
・渡来の年の秋の書「院湧琉厓云々」が『未公開作品による 琉球王朝の書画 』p126に掲載されている。その解説によると周煌の行書は趙孟頫(ちょう・もうふ 字(あざな) は子昴(しこう))の書を学んでいるとみられる、とある。
・また、子昴は当時の乾隆帝の書の師であったという。乾隆帝は中国歴代の皇帝の中でも特に書、文芸に関心が深く、祖父の康煕(こうき)帝が好んだ董其昌(とう・きしょう)の書なども好んで集め書に修練したという。
・この書も「院湧琉厓云々」と同様の書風であり、楷書に近い行書で子昴風の書といえるだろう。
 
(鶴田大)
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