戌秋走小唐船方陣賦(唐船平面図) (いぬあきはしりしょうとうせんほうじんくばり とうせんへいめんず)

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『戌秋走小唐船方陣賦(いぬ・あき・はしり・しょうとうせん・ほうじん・くばり)』(唐船平面図) 解説


 この図は琉球王国から中国へ外交・貿易の目的で出かける進貢船(しんこうせん=唐船・とうせん)について、その乗組員の数や、人員などの配置(方陣=ほうじん)を示した図です。当時の中国への航海は命がけで、天候による海難事故、海賊による被害などがありましたから、それに備え、十分な計画を立ててから船を出したのです。

 

 「戌秋走(いぬ・あき・はしり)」というのは年号に関することで、干支(えと)の戌(いぬ)の年の秋に出航する船という意味です。中国から来琉する使節団であれば戌の年の使節団といえば、1838年の「戌の御冠船(うかんしん、または、おかんせん)」(=尚育が琉球国王に就任する際にそれを認め祝うために中国から来琉した使節団のこと)を指します。しかし琉球から中国へ行く進貢船に関しては、一般に申(さる)年の進貢船であれば日記などでも単に「申進貢船帰帆日記」という題名を付けます。十干十二支(じゅっかん・じゅうんし)のうちの「十干」を省略するのが一般的なのです。申の年の進貢船は何度もありますから、いつの進貢船か推定が困難です。中にある名称も唐名(からな=中国式の名前)が記入されるといいのですが、役職名のみなのですぐに人物の特定が出来ません。家譜(かふ)などを丹念に調査すれば、いつの進貢船か判明するでしょう。

 

 また、「小唐船(しょう・とうせん)」というのは、小さいほうの唐船(中国製、または中国式の船)という意味です。進貢船についていえば、中国へ出かける進貢船は大小二隻(せき)の船で行く決まりになっていたので、その小さな方の船を指します。大唐船(だい・とうせん)には約120名、小唐船には約70名の乗組員という決まりでした。この図には「八十三」名の乗組員が乗り込むということが記されています。弓や槍、鉄砲や大砲まで準備して海賊に備えました。
 また、「方陣」は配置、「賦」は割り当て、計画というような意味で、この図の内容のことです。那覇港などと共に描かれる唐船図は数多く残っていますが、こうした方陣図(平面図)はたいへんめづらしい貴重なものです。折りたたんだ形跡や書き入れ内容から、写しではなくて、実際に担当の役人らが使用したものと考えられます。「総管(そうかん) 池宮城里之子親雲上(いけみやぎ・さとぬし・ぺーちん)」などの人名のほか、「水主(かこ)=水夫)」、「鉄砲」などの具体的な配置が細かく書き入れられています。

 

 ところで唐船(とうせん、または、とうしん)とは最も一般的には琉球から中国へ行く進貢船(しんこうせん)を指しますが、広い意味では、中国から来琉する冊封(さっぽう)使節の船、琉球から中国へ行く進貢船や接貢(せっこう)船、あるいは中国製の船を譲り受けて琉球王国が使用する船など様々な船を指します。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)

『「唐旅」紀行 琉球進貢使節の路程と遺跡、文書の調査』(比嘉 実 著 法政大学沖縄文化研究所 1996年)

『冊封使節からみた琉球』(原田禹雄 著 榕樹書林 2000年) ほか

 

(調査ノート)
・尚育王の冊封使節は1838年の5月(夏)~10月(冬)まで琉球に滞在している。
・「戌秋走」とあるので、1838年の秋のことと思われるが、冊封使節を迎える接封船であれば、夏、謝恩進貢船などであれば冬以降であり、齟齬がある。「秋」という記述が何らかの事情で実際の日程とずれたものとも考えられる。
・1838年尚育王冊封の記録としては、中山世譜、球陽、林鴻年『使琉球録』などがある。

 

(鶴田大)

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