國吉親方より嶋津豊後等への書状 (くによしおやかたよりしまずぶんごとうへのしょじょう)

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概要・解説文

『国吉親方朝章(くによし・うぇーかた・ちょうしょう)書状』 解説

 県立図書館には琉球王国の国王や首里王府役人から薩摩藩の藩主や家老へ宛てた書状の原本が7通ほど所蔵されていて貴重史料となっていますが、これもその一つです。書状はいづれも何年に書かれたものか書面に記述がありませんが、琉球王国末期の1840年代頃のものと見られています。同時期の薩摩藩宛ての書状が琉球大学附属図書館などにも数点所蔵されています。この時期に琉球・薩摩間で取り交わされた文書類の内容は「島津家文書(しまづけ・もんじょ)」(東京大学史料編纂所 所蔵)などから判明しますが、原本のみが持つ歴史的な重みや、書状原本の実際の書き方・紙の様子などはこうした原資料からしかわからないので、その意味でも貴重なものです。

 書状は琉球の国吉親方(※親方は首里王府の官位名で、王子などに次ぐ高官)から薩摩藩の島津氏に宛てたもので、内容は、島津諸氏に対し、鰹節(かつおぶし)80本を贈られたことへの御礼などを述べたものです。同じ日付で似通う内容の書状が琉球大学附属図書館にあり、1847年頃の書状とみられていますから、この書状も同時期のものと考えられます。

 一般に本文末にある花押(かおう≒文様化された署名)と花押の上にある「朝章」の文字以外は右筆(ゆうひつ)と呼ばれる代理の書き役が書いています。「国吉親方」という文字もおそらく本文を書いた右筆の手によるものです。同時期の他の書状などの文字を詳しく比較検討すると、花押とその上の署名以外が、本文筆記者の筆跡と一致するようです。また花押は一見すると印章のようですが、この時期の同一人物の複数の花押をみると微妙に形が異なるので、毛筆で書いたものとわかります。

 文中にある「少将(しょうしょう)」は、1851年に薩摩藩主となる島津斉彬(なりあきら)のことと考えられます。少将、中将などは薩摩藩主などに与えられる高い官位です。
 宛名である「島津豊後(ぶんご)」「島津壱岐(いき)」はそれぞれ次期薩摩藩主と、島津家の分家で薩摩藩の要職者にある人物のことです。豊後国(ぶんごのくに≒大分県)や壱岐(=現在の長崎県の離島)を実際に統治していたわけではなく、序列を示すための形式的な官職名です。続く宛名である「島津石見(いわみ)」なども薩摩藩の高官たちです。
 この書状が1847年頃に書かれたとすると、1851年に薩摩藩主となる島津斉彬がこの書状における「少将」であり「島津豊後」であると考えられます。
 用件を伝えたい相手が高い位にある場合、尊敬の意を表するために直接本人宛としないのが伝統社会では一般的でした。ですから、この書状は「少将様」(≒次期藩主・斉彬)へのお礼状ですが、宛名には「島津豊後」(≒少将、次期藩主・斉彬)も記されますが、その周辺人物(「島津豊後」「島津壱岐」「島津石見」ほか)が列記されています。県立図書館所蔵の、琉球国王から薩摩藩主への用件を伝える書状(→資料ID1001914603)では文中に「太守様」(=薩摩藩主)への用件が述べられ、宛名は周辺人物の名前(役職名≒「島津豊後」「島津壱岐」)が列記されています。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)※項目「島津斉彬」ほか参照。
『国史大辞典』(吉川弘文館 1997年刊) ※項目「島津氏(しまづし)」ほか参照。
『史料が語る琉球』(展示会図録 琉球大学附属図書館 2003年刊)
ほか

(鶴田大)
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