中山王尚育の異國船渡来之おりの書状 (ちゅうざんおうしょういくのいこくせんとらいのおりのしょじょう)

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概要・解説文

『琉球王国から薩摩藩宛の書状』(末尾部分欠損) 解説

 県立図書館には琉球王国の国王や首里王府役人から薩摩藩の藩主や家老へ宛てた書状の原本が7通ほど所蔵されていて貴重史料となっていますが、これもその一つです。書状はいづれも何年に書かれたものか書面に記述がありませんが、琉球王国末期の1840年代頃のものと見られています。同時期の薩摩藩宛ての書状が琉球大学附属図書館などにも数点所蔵されています。この時期に琉球・薩摩間で取り交わされた文書類の内容は「島津家文書(しまづけ・もんじょ)」(東京大学史料編纂所 所蔵)などから判明しますが、原本のみが持つ歴史的な重みや、書状原本の実際の書き方・紙の様子などはこうした原資料からしかわからないのでその意味でも貴重なものです。

 この書状は末尾部分が欠落しており、発信者・受信者が不明ですが、ほとんど同じ内容の書状で、座喜味親方盛善(ざきみ・うぇーかた・せいぜん ※親方は首里王府の官位名で、王子などに次ぐ高官)から「島津豊後(ぶんご)」「島津壱岐(いき)」へ宛てたものが県立図書館に所蔵されていますから、この書状もその時におそらく尚育王から同じ受信者宛に送られたものかと考えられます。
 内容は琉球を訪れ通商・外交を要求する「異国船」に関すること、島津諸氏らに対し、馬などの贈り物の御礼などを述べたものです。同じ日付(「四月十六日」)で似通う内容の書状が琉球大学附属図書館にあり、1847年頃の書状とみられていますから、この書状も同時期のものと考えられます。

 文中にある「少将(しょうしょう)」は次の藩主となる島津斉彬(しまづ・なりあきら)と考えられます。「右大将(うだいしょう)」は不明ですが薩摩藩主など以上の人物に与えられる高い官位です。「御前様(ごぜんさま)」は藩主などの呼称で薩摩藩主・島津斉興(しまづ・なりおき1791~1859)のことでしょう。これらの人々に対する相談・報告・御礼がこの書状の内容です。
 宛名として記されていたであろう「島津豊後(ぶんご)」「島津壱岐(いき)」は豊後守(ぶんごのかみ)、壱岐守(いきのかみ)のことで、それぞれ次期薩摩藩主と、島津家の分家で薩摩藩の要職者にある人物のことです。豊後国(ぶんごのくに≒大分県)や壱岐(=現在の長崎県の離島)を実際に統治したわけではなく、序列を示すための形式的な官職名です。

 この書状が1847年頃に書かれたとすると、1851年に薩摩藩主となる島津斉彬(なりあきら)がこの書状における「少将」「島津豊後」であると考えられます。一般に伝統社会においては、高い位の人物へ手紙を出す場合は、尊敬の意を示すために本人宛に書状を出すのではなく当人に近い下位の人物宛てに書状を出すことが習慣となっていました。この書状でも「少将」(=豊後守)は書状の内容を伝えたい相手であり、かつ、宛名となっていますが、それ以外(御前様、右大将様)の意思を伝えたい相手は文中に示されるだけです。宛名とされていたであろう「島津壱岐」が彼らへ書状を取り次いだというわけです。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)※項目「島津斉彬」ほか参照。
『国史大辞典』(吉川弘文館 1997年刊) ※項目「島津氏(しまづし)」ほか参照。
『史料が語る琉球』(展示会図録 琉球大学附属図書館 2003年刊)
ほか

(調査ノート)
○この書状には末尾の発信者・宛名部分が欠けていますが、同時期のものとみられる書状をみると、一般に本文末にある花押(かおう≒文様化された署名)と花押の上にある極めて細い文字の署名以外は、右筆(ゆうひつ)と呼ばれる代理の書き役が書いています。花押の前に大きく書かれた署名の文字もおそらく本文を書いた右筆の手によるものです。同時期の他の書状などの文字を詳しく比較検討すると、花押とその上の署名以外が、本文筆記者の筆跡と一致するようです。また花押は一見すると印章のようですが、この時期の同一人物の複数の花押をみると微妙に形が異なるので、毛筆で書いたものとわかります。

(鶴田大)
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