御船手儀池城親雲上等より船手役人屋嘉筑前之への書簡 (おふなてのぎいけぐすくぺーちんとうよりふなてやくにんやかちくどぅんへのしょかん)

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概要・解説文

※書簡の文面について詳細は「翻刻資料」を御覧下さい。また、書簡と一緒に掛け軸にされている、古い和歌を書写した手本〔※『千載和歌集(せんざい・わかしゅう=1188年成立)』巻三 歌番号357〕は、船手座関係の書簡とは無関係とみられます。こうした形式で和歌を書写したものは通常「和歌懐紙(わかかいし)」と呼ばれます。和歌懐紙は、基本的に歌を作った本人の自筆ですが、平安時代の歌人である「小弁〔こべん=小弁君(こべんのきみ)。生没年未詳。11世紀に活躍した歌人〕の自筆とは考えられません。それほど古い資料ではなく、江戸時代後期の書写とみられます。和歌懐紙風に書いた手本などであったとみられます。書簡と共に、何らかの理由で、たまたま一緒に表具(ひょうぐ)されたものと考えられるので、詳しい解説は省きます〔※「翻刻資料」を御参照ください〕。

 本資料は首里王府内の文書で、海上運輸・船舶関係を管轄した船手座(ふなてざ)の役人である屋嘉筑登之〔やか・チクドゥン ※筑登之は士族の位階名〕へ、船手座が属している給地方〔きゅうちほう=主に王府役人の管理地・領地などを管理〕などの上役であった松嶋親雲上・池城親雲上〔ペーチン=士族の位階名〕から送られた書簡です。屋嘉筑登之らが職務をよく務めていることを賞賛した内容となっています。 

書簡の文面はおよそ次の通りです。
船手座の楷船〔かいせん=薩摩と往来した琉球の官船〕の帳簿は、康熙(こうき)三十七(1698)年=戊寅〔つちのえ・とら〕年以降、提出の遅滞があり、毎年7~8月になってやっと管轄の給地方などへ提出されていた。しかし、昨年からは4~5月には帳簿が提出され、しかもその内容もきちんとしていて備品や輸送品についても全く過不足がない。
〔※「戊寅」部分は「成寅」と書かれているが誤記とみられる。〕
こうした船手座の精勤ぶりについて関係部門である勘定奉行が非常に感心していて、褒賞(ほうしょう)などについてはあらためて正式に通知の予定とのこと。ひとまづは「宜しく伝えるように」とのことだったのでここに文書を送る。

 琉球国の首里王府のなかでどのような文書がやりとりされていたか具体的にうかがえる貴重な史料原本です。
〔鶴田 大〕

詳細解説文

・本書簡の文面には検討を要す記述があります。それは冒頭辺りの「康煕三拾七年戊寅年、両楷船」という箇所の「康煕三十七年戊寅年」と言う部分です。これは「康煕三十九年庚辰(かのえ・たつ)」〔=1700年〕の書き誤りかとみられます。この年(1700年)、船手座の職掌(しょくしょう)において重要な出来事が生じます。それは毎年の薩摩への琉球国の官船である楷船が、それまでの年に一隻から、年に二隻に改められた年です。琉球国の重要な換金作物である砂糖(黒糖)を始めとして多くの物資の輸送の増大は琉球国にとっても重大事であり、それまで薩摩藩に対して請願を続けていた懸案でした。年号の記述に続けて「両楷船(=二隻の楷船)」とあるので、おそらくこの書簡の筆者である松嶋親雲上・池城親雲上は「一年に二隻の官船の運航が開始されて以降」という意味でこの記述を書簡の冒頭に置いたと考えられます。
・書簡が書かれた年は「寅」年ということがわかるだけで詳細は不明です。船手座の仕事ぶりを褒め称える内容なので、首里王府の正史である『球陽(きゅうよう)』などを通覧しましたが、該当の記事はみつかりませんでした。本資料が県立図書館へ収蔵された詳しい経緯が不明〔※2003年 個人寄贈とのみ記録あり〕ですが、研究者などから寄贈されたのであれば、琉球の海運関係を扱った研究書や琉球国時代の史料を集成した『那覇市史 資料編』〔第1巻9~12の近世史料集〕などを丹念に探すとこの文書や関連文書が出てくるかもしれません。
 〔鶴田 大〕

参考文献・調査ノート

(参考文献など)
・『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1983年刊)
 ※「船手座(ふなてざ)」「給地方(きゅうちほう)」「楷船(かいせん)」「鎖之側(さすぬすば)」「筑登之(ちくどぅん)」「親雲上(ぺーちん)」「球陽(きゅうよう)」「御冠船(おかんせん)」「冊封(さっぽう)体制」ほか各項目参照。
・『球陽』〔「原文編」「読み下し編」全2冊。鄭秉哲ほか原編、球陽研究会・編 角川書店 1974年刊〕
 ※首里王府の正史の一つである球陽の全文〔原文・読み下し文〕を掲載。本資料に関係の記事を掲載している可能性がある。
・『那覇市史 資料篇』 第1巻9~12〔那覇市企画部市史編さん室 編・刊 1998~2004年〕
 ※近世史料を集成している。本資料や関係文書が含まれている可能性がある。

 (調査ノート)  
・書簡の年代に関しては注意すべき点が文面にみられる。差出が「寅七月二十一日 松嶋親雲上 池城親雲上」とあり、宛先が「戌御船子(いぬ・おんふなこ)役人 屋嘉筑登之」となっている点である。宛先の屋嘉筑登之についてわざわざ「戌」年の御船子役人と記しているところから、屋嘉筑登之は「戌の御冠船(ウカンシン)」〔=尚育王の即位を国際的に認め祝う中国からの冊封(さくほう)使節〕が来琉した際〔尚育王4年=1838年=戊戌〕の船舶関係の業務を取り仕切った人物とも想像される。ということは差し出し年月日にある「寅」年はそれに続く1842年〔尚育王8年=壬寅〕の7月21日とも考えられる。しかし、文献などで調べた範囲では船手座の職掌は主に国内や薩摩・琉球間の船舶に関わることであり、中国からの冊封使節の歓待業務は別の部署〔=鎖之側(サスヌスバ)〕の管轄となっている。また、本資料に該当の記事は首里王府の正史『球陽』の同年の記事にもみつからない。
やはり書簡の年代については今後の検討課題と思われる。
〔鶴田 大〕
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