牧港・首里・与那原風景スケッチ (まきみなと しゅり よなばるふうけいすけっち)

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概要・解説文

『牧港(まきみなと)・首里・与那原(よなばる)風景スケッチ』 木脇啓四郎(きわき・けいしろう) 画 解説

木脇啓四郎(1817~1899)はもと薩摩藩士で、茶の湯や生け花などの文化的興味から写生をするようになりました。やがて博物画(はくぶつが≒現在でも植物図鑑などで用いられている描写法による図画(ずが)で、写真よりも鮮明・精確に対象物を描かれた図画)を描く技術を習得してゆきます。明治期には博物画の専門家として活躍し、鹿児島湾の魚を300点以上収録した図譜(ずふ)『麑海魚譜(げいかい・ぎょふ ※麑は鹿児島のこと)』(1883年刊)を二木直喜(にき・なおき)と共に描いています。こうした図譜は明治政府の産業振興政策の一環である内国博覧会(ないこく・はくらんかい=各地域の特産品やその紹介図譜などを集めて展示し、それら特産品の商品化を目指すイベント。その国際版が万国博覧会)と連動するかたちで制作されていきました。    

やがて木脇は沖縄県でも仕事をするようになり、得意の描写力を活かして琉球の様々な植物や文物をスケッチしています。沖縄県立図書館所蔵の『花草類真写図』(→資料ID1001879897)も沖縄の植物・花を描いた図譜で、第3回の内国博覧会に出品する目的で描かれたものです。同じく内国博覧会に関連して琉球漆器の商品化を目指して作成された『琉球漆器考』(1889年刊→資料ID1002140166)においても図譜は木脇が担当し、本文の内容と共に琉球王国時代の琉球漆器を伝える古典的著作となっています。

このスケッチでは一枚の紙を上から三段に区切って、沖縄本島内の三カ所を墨彩(ぼくさい)で描いています。上部には本島中部西海岸の牧港(=現・浦添(うらそえ)市内の湾岸地帯)の風景を描いています。牧港は江戸時代頃まで当時の「日本」で広く知られていた「為朝伝説(ためともでんせつ)」にゆかりの地です。「為朝伝説」とは、平安時代の智勇に優れた武将である為朝が伊豆大島で悲劇的な死を迎えたという史実から生まれた伝説で、その後、為朝は生きて琉球へ渡り、琉球の乱世を平定して、その子・舜天(しゅんてん)は琉球国王の祖となったという物語です。牧港はこの伝説の中で、苦境に陥った為朝は舜天らを港に残してひとまづ琉球を離れた、というエピソードの舞台です。これにちなんで牧港は現地読みでマチナト(=待ち港)と呼ばれるようになったというものです。
中央には龍潭(りゅうたん)の向こうに見える首里城を描いたスケッチです。日付がありこのスケッチが明治22年(1889)3月10日に描かれたことが分かります。木脇の年譜にみられる木脇の沖縄滞在時期にも一致しており、ほかのスケッチも同じ頃描かれたと考えられます。
下部には与那原(※旧・大里村。現・与那原町)の風景が描かれています。書き込みから、大里王子朝教(おおざと・おうじ・ちょうきょう)の別荘と、そこから眺めた中城湾(なかぐすくわん)などの風景が描かれていることがわかります。
どのスケッチも写真とはまた異なる味わいと共に、古い沖縄の風景を的確に伝えてくれているようです。木脇のことですから、測量的な精確さでこのスケッチを描いていると考えられるからです。
また、多くの沖縄訪問者が首里・那覇を訪れるのみであるのに対し、木脇は本島の北部から南部まで広く散策し、スケッチを残しています。こうしたスケッチが今後も出現することも期待されます。

(鶴田大)

参考文献・調査ノート

(参考文献)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社 1981年刊)
『薩摩藩文化官僚の幕末・明治』(原口泉ほか編 岩田書院 2005年刊)
※木脇啓四郎について詳細に調査して記述している。
「1880年代の近代沖縄と石澤兵吾」(粟国恭子  「沖縄芸術の科学」第24号(沖縄県立芸術大学附属研究所紀要)  2012年刊)
 ※1880年代の沖縄における芸術・美術の商品化について詳しく論じている。
ほか

(調査ノート)
○1880年代の沖縄の美術状況や木脇啓四郎、内国博覧会については粟国恭子氏に多くの御教示を頂いた。記して謝意を表したい。

(鶴田大)
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